第21話 勝利のモーニングコール

 朝、俺はスマホを見て歓喜の声を上げた。

 起きた直後の眠気なんて、何処かへ吹っ飛んだ。

 それほどの衝撃が、スマホの画面に映っている。


『株式会社大賛電機 採用担当でございます。

 先日は弊社面接にお越し頂き、誠にありがとうございました。慎重に詮議致しました結果、新田勇紀様には是非最終面接へお進み頂きたいと考えております。つきましては、日程の調整を下記のURLから──』


 大賛電機の二次面接を受けたのは、先週の話だ。正直面接の手応えはなく、一週間連絡が無かった為サイレントかと決め付けていた。

 サイレントとは、特に通知をすることなく選考から落とされることだ。次の案内が来なければ先の選考に進むことができない為、実質的な不採用となる。

 大賛電機は就活生なら誰もが知る大企業で、特に二次面接が難関だと言われていた。

 グループワークと個別面接を立て続けに受けるという珍しい手法で、かなり疲弊したのを覚えている。

 それでも、受かってしまえば疲弊した甲斐もあったというものだ。

 まさに起死回生。

 大賛電機にさえ受かってしまえば、もうこの就活から抜け出すことができる。

 俺は思わず、砂月に電話をかけた。

 この一週間、俺は毎日のように砂月から就活の進捗を報告していた。

 最初は砂月の質問に答えるだけの形だったが、この数日は自分から連絡を取っている。

 何でも話すことのできる相手がいるというだけでいくらか肩の力が抜けて、以前よりも自分らしい答えを面接で発言できるようになったと自覚してからは、砂月の存在は一層有難い。

 呼び出し音が十数秒流れる。

 時計を見ると朝の八時半で、さすがに朝は出ないかと切ろうとした時、呼び出し音が途絶えた。


『……もしもぉし』


 やたらと眠そうな声が、電話越しに聞こえる。

 いつもの溌剌とした印象とは打って変わる声色に、俺の口元は思わず緩んだ。


「おはよう。朝から悪いな」

『勇紀からのモーニングコールなんて……初めてじゃない? 顔、洗ってくるね』


 砂月がスマホを持って、洗面台で顔を洗う気配がする。

 パシャパシャという水の音を聞きながら、朝っぱらから電話を掛けたことを少し反省した。

 思わず報告したくて電話を鳴らしてしまったのだが、自分が着信音で起こされると良い気はしないと思ったからだ。

 水の音が止まり、砂月が『よいしょ』と声を出す。

 恐らく、スマホを手に持ったのだろう。


『おはよー。朝早くからどうしたの?』

「悪い、つい嬉しくて電話しちゃった。大賛電機の二次面接通っててさ」


 反省しつつも嬉しさを噛み締めながら口にする。

 砂月はそんな俺の報告に、『おおっ』と声を漏らした。


『前に多分落ちてるって言ってたところ? 通ったんだ、すごいね良かった!』


 砂月が嬉しそうな声色で祝福してくれる。

 その反応で俺も更に気分が高揚したが、内定を貰った訳じゃない。

 興奮はまだまだ冷めやまないが、この気分のまま面接に臨む訳にもいかない。

 俺は自分に言い聞かせるように、口を開いた。


「まだ次があるから、こんなに喜ぶのもナンセンスなんだけどな」


 自分から電話をしたくせに何言ってんだとも思ったが、砂月は気にする素振りも感じさせずに返事をする。


『それでも、前進したことに変わりないじゃん。せめて今だけは、喜びに浸ってもいいんじゃないかな』

「……かもな。ありがとう」

『ううん、こちらこそ朝から幸せのお裾分け貰っちゃった』


 素敵な言い回しだと思った。

 余裕のない時期の俺ならば、そんな言葉を口にすることは到底あり得なかっただろう。


『それに、私も今日はお昼から路上ライブの予定だったから。この時間に起こしてくれて、ありがとう』

「いや、とんでもない」


 カレンダーの日付を見ると、五月が終わるまであと三日だ。

 大企業の選考は終盤を迎える時期なことから、この大賛電機がラストチャンスかもしれない。

 雇用条件を重視するならの話だ。

 以前砂月の言っていた、本当に価値のあるものはお金によって得られる対価と得るまでの過程だという主張は、未だに頭に残っている。 

 あの価値観はいくらか俺を揺さぶっていて、迷いが出てきていた。

 そんなことを思案していると、あることに気が付いた。


「CDの方はどんな具合だ?」


 砂月は五月末までに三百枚を売り上げる目標を掲げていた。

 残り少なくなった日で捌けるくらいの数にはなったのだろうか。何をモチベーションにしているのかは定かではないが、路上ライブのみでデビューをすることへ拘るならば、目標への到達は本人にとってかなり重要なことなのではないかと感じる。


『あと三日、一日中歌えば達成できると思う』

「そうか。あんまり無理するなよ」

『喉を痛めない程度に、無理するよ。これが私にとって、ラストチャンスなんだから』


 砂月は凛とした声色で答えた。

 ラストチャンス。確かに砂月はそう言った。

 その目標を達成しなければ、路上ライブでの活動も終えてしまうのかもしれない。

 砂月は俺と同い年。普通ならば就活に励む時期なのだ。結果が出なければ、今から就活を始めるという可能性も十分あり得る。

 俺が親ならば、その選択を支持することだろう。娘に夢を追い掛けることへ優先させる親は、この現代社会には少ないように思える。

 ……ラストチャンスは、お互い様なのかもしれない。

 俺にも思うところはあるが、今だけは目の前の選考に集中するべきだ。


「前にも言ったけど、何かあったら聞くからな」


 一人で戦う砂月にとって、俺からの言葉など頼りないものだろう。

 だが、同い年が頑張っている姿を見て勇気を貰える人だって必ずいる。一度夢を諦めている俺だからこそ、砂月には叶えてほしかった。


『ありがと。応援してくれて、嬉しい』

「最近は特にな」

『それって、私がお姉ちゃんの妹だから?』

「同い年が頑張ってるからだよ」


 そう返事をすると、砂月は小さく笑った。


『前と言ってること違うじゃん』


 妬ましいと言ったことを、砂月は覚えているらしい。

 できれば忘れてほしいと思うが、あの件がなければきっとこうして電話をする関係にはなっていない。

 人の縁とは、不思議なものだ。

 砂月はまたクスリと笑って、続けて言った。


『私の夢ね、歌手になることじゃないの。それでも、応援してくれる?』

「そっか。応援するよ」


 俺が言うと、砂月は予想外だったというように『え?』と反応した。


『驚かないの?』

「まあ、違うのかもなって思ってたし」


 この前歌う理由を訊いた時も、はぐらかされていた。

 オーディションやスカウトでもないというのなら、別の何かになりたいのだろうと察しは付く。


『そ、そっか。ずーっと言おうと思ってたんだけどね。私の夢、皆んなな期待してるようなものじゃないから言いにくくって』


 そう前置きして、砂月は自分の夢を俺に語った。

 砂月らしいというのが、話を聞いた俺の感想だった。


「ほんと、負けず嫌いっていうか、強情っていうか」

『あは、褒められてる気がしないね』

「別に褒めてはないからな」

『あはは。でも、楽しいよ』

「だろうな。良い性格だと思うわ」

『勇紀も、何が一番自分にとって楽しいことか考えてる最中でしょ』

「俺がか?」

『だって勇紀、説明会の帰り道ちょっと楽しそうだったもん。大賛電機とベンチャー企業を比べてたんでしょ?』

「俺が今考えるべきことは、大賛電機の最終面接のことだ」

『それはそうよ、せっかく選考に通ったんだから』


 砂月は一息ついて、再度言葉を続けた。


『面接の前日、私のライブ来てくれない? 何となく私、歌なら勇紀に伝えられる気がする。言葉にするの、ちょっと難しくって』


 言葉にするのが難しい。俺の進路に関わることなのだろうか。

 明日、俺の中の何かが変わる。

 そんな予感がしながら、俺はゆっくりと頷いた。

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