第22話 藤堂と美濃さんと就活サークルと

 砂月へのモーニングコールが終わると、俺はすっかり着慣れたリクルートスーツに身を包み、呼び出された場所へと向かっていた。

 俺を呼び出した相手は、就活サークルの一人。

 サークルの中では、最もよく話す仲の男だ。

 人工的な光沢を放つ黒髪の人物が、俺を視認すると片手を挙げた。


「よう。久しぶりじゃん」


 白い歯を覗かせる男の名前は、藤堂とうどう真斗まさと

 就活が思うように進まない中、浅見先輩を除いて唯一たまに連絡を取っていたのが藤堂だった。

 就活の状況を逐一話すことはしないものの、目新しい情報などがあれば互いで共有をしている。

 藤堂は俺と違い顔が広いので、正直助けられている面の方が大きい。

 なので、今日の誘いも断る訳にはいかなかった。


「久しぶり。どう、調子は」


 許されるなら、今自分の口から出た言葉を戻して飲み込んでしまいたい。

 自分で自分の首を絞める流れを作ってしまったことに内心唇を噛む。


「上々。お前は?」


 ……そう訊かれるに決まっているのだ。

 だが自分で作った流れの手前、逆らう訳にはいかない。

 俺は決意を固めて、口を開いた。


「内定はゼロ」


 俺の答えに、藤堂は僅かに沈黙する。

 あの対人能力の高い藤堂でさえ、言葉を詰まらせるのだ。

 他の人に近況報告することへの億劫さは、察してもらいたい。


「そうか。選考状況は?」


 藤堂はここで下手に慰めないと知っているから、躊躇ったものの話すことができている。

 俺とだけ、ではなく誰とでも深い話ができるのが藤堂という男だ。

 藤堂に内定が複数あって良かったと、心底思う。彼にさえ出ない内定ならば、自分に出る気が毛頭しないから。

 俺はそんなことを考えながら、藤堂の問いに答えた。


「大賛電機の二次選考、受かったってところ」


 藤堂は目を丸くした。大賛電機は、それほどネームバリューのある企業だ。


「大賛電機の二次選考ってまじか。次最終じゃん」

「まだ分からないけどな」

「でも、期待できるってことだろ。あそこの難関は書類選考と二次面接って聞いたことあるし、可能性高いだろ」

「まあ、な。状況だけだと、そうなる」


 俺が口籠ると、藤堂は嬉しそうに俺の背中を叩いた。


「んだよ、じゃあもっと早く言えよ! 最近まじ連絡してこないから心配してたっての!」

「悪い、だってまだ決まってなかったから」


 就活サークルでは「就活が一人終わるたびに打ち上げしようぜ」と発言しておいて、最後に残ったのは自分だ。

 情けなくて、連絡を取るのが嫌だった。

 だが、それで良かったのかもしれない。

 あの時の俺は、最後まで内定の出ないメンバーの気持ちを本気で考えることをしなかった。今となっては、最後に残った人にストレスを抱えさせる余計な提案だったと心底思う。


「それでも心配するのが友達だって」


 藤堂はそう言って、ポケットから電子タバコを取り出す。

 それからすぐに閉まい込み、バツが悪そうに苦笑いした。

 以前から禁煙をしていると言っていたからだろう。


「また吸い始めたのか?」


 俺が訊くと、藤堂は頷いた。


「まあな。彼女と別れたし、もういいかなって」

「なるほどな」


 俺は納得して、視線を遠くに向ける。

 煙草を吸うなら、距離はあるが喫煙所にまで歩かなければならない。

 スーツで入るのには少し抵抗があったが、今日の予定は説明会のみ。

 それならば問題はないかなと思案していると、藤堂は怪訝な表情を浮かべた。


「随分あっさりな反応だな」

「え?」

「俺が別れたって報告した中で、勇紀が断トツで反応薄い」


 そう言って、藤堂はあっけらかんと笑った。

 俺が驚かなかったのは、浅見先輩からそのことを事前に聞かされていたからだ。

 そういえば藤堂本人から聞いたのは今のが初めてだったと気付き、首を横に振る。


「いや、何て言えばいいか分からなかっただけ。ごめん」

「なんで謝るんだよ。そう言われるとこっちも辛いっての」


 藤堂は口角を上げたまま、ネクタイを少し緩めた。

 水色のネクタイは、藤堂の爽やかな印象を強めている。


「理由訊いていいか?」


 藤堂と彼女の付き合いは相当のものだったはずだ。

 大学生になってすぐに付き合い始めたという話だったから、三年以上になるだろう。


「遠距離恋愛が確定したからだろうな」

「内定先の問題か?」

「そうなるな」


 藤堂は短く息を吐いた。

 就活を終えた学生にとって、恋人の内定先というのは非常に重要な事柄だ。

 大企業ならば無条件で喜べるとは限らない。

 藤堂が数ある内定から選び抜いた企業は、俺も知っている。今後藤堂と知り合う異性で、彼の就職先を好く可能性は非常に高いと確信できる。

 だが、別れた彼女にとってはそうではなかった。

 勤務地が離れて、遠距離恋愛を強いられる。

 別れる理由も、理解できた。


「ほんと、何のために就活頑張ったんだかな。こっちは遠距離乗り越える気満々だったんだけど……ま、しっかり意思確認してなかった俺の落ち度だ」


 自分の落ち度だと納得しているのが、藤堂らしい。

 俺が藤堂の立場なら、彼女に憤りかねない。


「俺は自分のためにしか就活してないから、藤堂の気持ちを全部分かることはできないけど」

「はは、それが普通だって。てか別に俺も、就活は自分のためだし。その結果彼女と別れるってのが予想外でびっくりなだけ」

「そうか」


 短く返事をすると、藤堂は清々しい笑みを俺に送った。

 俺が藤堂の立場なら、そんな風に笑うことはできないなと素直に感心してしまう。


「ま、新しい出逢いのために社会人になったら仕事頑張ります」

「頑張れ。うちの大学のホープ」


 冗談のように、俺は藤堂の肩を叩く。

 すると、藤堂は笑いながら首を横に振った。


「俺なんかより、とんでもない人はいるぞ。ほんと浅見先輩の再来って感じで、大手から内定バンバン貰ってる女子とかな。心なしか、雰囲気も似てる気がする」

「浅見先輩の再来って、そんなやつがいるのか」 


 藤堂がそう言うのだから、その人は相当なものなのだろう。

 やはり世の中、一定数特別な人はいるらしい。

 ただ、雰囲気が似ているというのが気になった。


「似てるって言ってたけど、名前は砂月だったりするか?」


 念のために訊くと、藤堂はあっさりとかぶりを振った。


「いや、俺の知り合いは美濃さんだな」

「あー、聞いたことない。他学部か」

「有名だけどな、美人だし。まあゼミとかサークルで絡みなかったら、知らないのも当然か」


 俺は規模の大きいサークルやゼミに入ることがなかったので、交友関係は狭い方だ。浅見先輩の作った就活サークルが無ければ、この時期は更に大変だったと思う。

 藤堂は自分の顔の広さを活かして、就活に取り組んできたのだろう。

 美濃さんとどうやって知り合ったのかが気になったが、藤堂は続けて言葉を並べた。


「美濃さんは"私は就活が得意なだけ"って謙遜してたけど、今度そこらへん詳しく訊いてみるわ。……てか、勇紀一緒に来るか?」

「いや、それは遠慮しとく。今は最終面接に集中したい」

「あ、そりゃそうか。悪い」


 藤堂は片手を空に切る。そして、思い出したかのように小首を傾げた。


「ところで砂月っていう人は、勇紀の彼女か?」

「ちげーよ」


 藤堂の問いを否定しながら、俺は考えた。

 もし砂月が保険で就活をしていて、良い企業から内定を貰っていたら俺はどう思うのだろう、と。

 二週間前の俺なら、きっと嫉妬に身を焦がしてたんだろうなと苦笑いした。

 だが砂月の直向きな姿を目の当たりにした今となっては、そう思うことはないだろう。

 あいつの姿を見て、格好いい、応援してやりたいと心底思うようになった。

 夢を叶える人は、格好いい。これは、恐らく現代社会においても皆んなの持つ共通認識。

 "叶える"人が、讃えられる。


 ──では、夢を"追い掛ける"人は?


 砂月とのやり取りで、一つと答えを得た。

 大学の友達からは、理解を得られず。

 砂月は恐らく浅見先輩にも、賛成はして貰えないと確信している。

 茨の道だと分かっていながら進む人を、どうして仲が親しくなる程応援することが難しくなっていくのだろうか。

 それは現代社会が安定を正としているからだ。

 確かに安定した生活は素晴らしい。人によっては何事にも代えがたいものになり得ることも理解できるし、実際俺はそちら側の考え方に傾いているが、この社会ではその考え方を他人にまで強要してしまう。

 安定を求める人と同じく、夢を追い掛ける人だって素晴らしい存在のはずなのだ。

 砂月を否定する人の中には、自分の現状に心の何処かで納得できていない人も混じっているかもしれない。

 少なくともかつての俺の場合は、それに近いものがあったから。


「なあ、藤堂って夢あるか?」


 俺が訊くと、藤堂は少し驚いたように苦笑いした。


「なんだよ、藪から棒に」

「俺、ないんだよな」

「そりゃまあ、具体的な夢がある人の方が珍しいだろ」

「……だよな」


 俺だって、一度夢を諦めてからは再度見付けることはできなかった。夢と目標は、同じ目指すべきものであってもその本質は違う。


「何、勇紀は夢あるの?」

「昔はあったんだ」

「……今から目指すとか言うつもりか?」

「俺は言わねえよ」


 俺は軽く笑って、続けた。


「でもまあ、関わりたいなとは思わなくもない」


 自分の就職先に、かつての夢なんて求めたことはなかった。

 雇用条件や世間体などを気にしては、求める発想すら浮かばない。

 だが、就職先は自分の多大なる時間を費やす居場所なのだ。

 自分が将来納得できる選択はどちらなのか、本当は就活を始める前に自問自答する必要があったのだろう。

 砂月が俺に伝えたいことも、まさにそれなのかもしれない。


「なあ、勇紀」

「ん?」

「俺はお前の考えてることが分かる気がするから、これだけは言っとくけどな」


 藤堂は前髪をかき上げてから、小さく息を吐いた。


「長い目で見て、考えとけよ」

「──分かってるよ」


 分かっているはずだ。

 だというのに、今更あのコートの情景が脳裏を過るのは一体どういうことなのだろう。

 現実見ろよ、と自分に言い聞かせるように、俺は自分の脇を抓った。

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