第17話 砂月への相談

 空になったマグカップに絡ませていた指を離して、コースターに置く。

 薄ピンクに金箔が散りばめられているカップにブラウンのコースターという組み合わせ。

 いかにも女子大らしいな、という感想が浮かぶ。


「相談って、するだけでも全然違うと思うの。自分だけで悶々とするより、口に出しちゃった方が頭も整理できるよ」


 砂月はそう言ってから、「それでは改めまして」と切り出した。


「今の勇紀が企業に一番求めるものはなに?」


 マグカップから視線を逸らし、俺は脊髄反射のように口を開いた。


「高めの平均年収」

「次は?」

「年間休日の多さ」

「次は?」

「平均月残業時間二十時間以内」

「条件面ばっかりじゃーん!」


 そこまで聞くと限界だというように、砂月は大きな声を上げた。


「え、そんな考えで就活するのが普通なの? 絶対つまんなくない?」

「つまんないとか以前に、仕事に条件求めるのは至極当然のことだろ。自分の時間はなるべく高く買ってほしいって思ってたからな」


 俺の言葉に、砂月は小首を傾げてから、ゆっくりと頷く。


「納得はできるけど、なんかお姉ちゃんの言ってることと似てて嫌だなぁ」

「似てる?」


 浅見先輩はどちらかといえば砂月のタイプのような印象だ。

 もちろん勤めている企業も年収や福利厚生は申し分ないだろうが、浅見先輩がそうした条件を求めて就活をしていた印象は薄い。

 興味のある仕事を求めた結果が、あの数多くの内定だと俺は思っている。

 だが妹である砂月が似ていると言うのだから、浅見先輩にも俺の知らない一面があるのかもしれない。

 浅見先輩と一緒にいる時間は比較的長いかもしれないが、あの人の理解者になることは難しい。

 砂月の発言は、充分信憑性もある。

 それでも俺は、首を横に振った。


「全然違うと思うぞ。俺とあの人は」


 発言の表面だけを比較すると、似ていたことがあったのかもしれない。

 だがその発言の意図や根幹は恐らく全くの別物だろう。

 俺と彼女との間には、それほどの能力差が存在している。


「あはは。何の確信なんだか」


 砂月は小さく笑う。

 それがどこか含み笑いにも思えたが、一瞬のことだった。


「勇紀、一昨日にライブに使う機材の写真送ってくれたよね。忘れ物だって」

「ああ、送ったけど」

「あれ、私のじゃないから」


 その言葉を理解しようと考えを巡らせていると、砂月は軽く笑った。


「お姉ちゃんを好きになる人は沢山いるけど、勇紀じゃダメね」

「うるせー。そんなこと言われなくても分かってる」


 元々釣り合わないからという理由で、告白をしなかったのだ。

 諦めて、その後仲良くなった女子と付き合った期間だってある。

 俺では足りないということは、自分が一番知っているはずだ。

 砂月はマドラーをカップに入れて、くるくると回す。

 中身にはもう何も入っていないので、おかしな光景だ。


「うんうん、それでいいよ。勇紀のお姉ちゃんへの気持ち、別に応援したくないしね」

「……なんでだよ」

「だって私が勇紀と付き合いたいんだもん」


 砂月が俺の掌に触れる。

 暖かい体温とともに、浅見先輩の言葉を思い出す。


 ──ほんとに好きなのかもね。


 出会って数日で、本当にそんなことがあるのだろうか。

 そんなモテ方は今まで全く経験がないし、無縁だと思っていた。

 本当に好かれているのだと仮定しても、一体自分のどこに惹かれたというのだろう。


「不思議そうな顔しないでよ。当然でしょ?」

「当然?」

「過程はどうあれ、勇紀は見知らぬ人を助けたのよ。周りが誰も手を出せない状況下で、一人だけ身を挺した」


 初めて会った時のことか。

 あれは正義感からの行動じゃないと言っても、砂月はまた「結果が全て」と跳ね返すだろう。

 それでも、あの現場に遭遇して見て見ぬフリをするのがいつもの俺なのだ。

 助けられたからと理由で好きになるのなら、その事実に気付いてすぐに気持ちが冷めることになるだろう。

 好かれること自体は、正直嬉しい気持ちもある。

 だが冷められた時の砂月の顔を見るのが嫌で、これ以上近付きたくないという思いの方がいくらか強い。


「むしろ何も思わない方がおかしいと思う。それに、ほら」


 砂月は身を乗り出して、俺の耳元で囁いた。


「私たち、結構相性良さそうじゃん?」

「なっ──」


 俺がのけぞると、砂月が口角を上げた。


「お、まだ脈ありかな」

「こんなのされたら誰だってこうなる」


 俺は席を立って、鞄を肩に掛けた。

 砂月も今度は止めるつもりがないらしく、俺を横目に見ながらカップに残っていた紅茶をゆっくり飲んでいる。

 カフェから出て行こうとすると、あることに気が付いて足を止めた。


「……ここ、男一人で歩いていいもんなの?」


 カフェの内装があまりにも自然で、ここが女子大だということを失念していた。

 砂月は軽く笑って、「大丈夫だけど、恥ずかしいかもね」と言って席を立つ。


「出口まで送ってあげる。またすぐに会えるし」

「相談なんて、ラインでもできるけど」


 俺が言うと、砂月はかぶりを振った。


「口に出すのが必要って言ったでしょ? これ、経験則だから」


 経験則。砂月にも悶々とする時間があるなんて、普段の言動からは少し想像し難い。

 だがあの出会い方を鑑みれば、あの一見華やかな世界にも様々な苦労があることくらいは察することができる。

 そして、一つ疑問に思うことがあった。


「それは、お前が歌ってることを姉貴に隠してることと関係あるのか?」


 姉妹に言えないことが、悶々とすることに繋がったりしたのだろうか。

 この姉妹についてもう少し知りたいと思い、俺はそう質問する。

 砂月はハンドバッグから財布を取り出した後、口を開いた。


「あるかもね。なに、興味あるの?」

「まあ、あるな」

「そっか」


 砂月は近寄ってきて、俺の懐から顔を見上げ、ニッと笑った。


「言わなーい」


 イヤリングの付いていない方の耳を引っ張り上げる。


「いい痛い痛い!?」

「おお、思わず」


 パッと耳を離すと、砂月が信じられないというように目を見開いた。


「なによー! だってどうせ興味あるのってお姉ちゃんに対してのことじゃない! そんな状態で言ってやるほど私お人好しじゃないもん!」

「じゃあもう諦める」

「ちょ、すぐ諦めないでよ!」


 砂月はゼエハアと息を乱して、自分の声の大きさに気付いたのか赤面した。


「ふん。絶対後悔するんだから」


 そう言って、砂月と俺はカフェテリアを後にする。

 歩きながら不満げな表情を隠そうともしない砂月に、俺は不思議と癒される。

 こんな性格でも、芯がしっかりしている。

 就活に何かしらの影響を及ぼされるかもしれない。だが、それも良いだろう。

 俺はそう、心に折り合いをつけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る