第18話 雨の日の説明会

 月曜日になると憂鬱な気持ちになってしまうのは、もはや仕方のないことだろう。

 雨の日と重なると、その気持ちも尚更だ。

 ──だが、流石にこの状況は予想していなかった。

 朝九時から予約していた説明会にいざ参加してみると、会場に用意されていた席は半分も埋まっていない。

 会場といっても、オフィスの一室を借り上げた一時的なものなので、こぢんまりとしている空間だ。

 その中で席が埋まっていないのは、余計に物寂しい印象を抱かせる。

 何故こんなにも欠席者が多いのかと思っていたが、それは先程この会社の説明会担当者がポロリと溢した言葉で判った。


「まあ、雨の日は飛ぶ人多くなるもんね」


 そう言って女性の担当者は、なんてこともないような態度で資料を一人一人に配布していく。

 やたらと和かな笑顔を見せているのは、就活生になるべく良い印象を持って帰ってもらう為だろう。

 就活生も、いつか顧客としてなど、何らかの形で関わる可能性もある。

 最終面接などの限られた機会ならまだしも、就活生なら比較的自由に参加することのできる説明会では特に気を遣われている。

 この担当者も気持ちを切り替えて、個性のないリクルートスーツに身を包んだ俺たちに愛想を振りまいていた。


「さ、始めますっ」


 弾けるような笑顔を見せて、浅見先輩の年齢と同じくらいであろう担当者は、会社の紹介をし始めた。

 自己紹介の社歴には二年目と書いてある。

 あと二年と少しで、目の前にいる担当者のような業務をこなせているようになっているのだろうか。

 俺は会社説明を相槌とともに聞きながら、そんなことを考えた。


◇◆


「以上で説明会を終わらせていただきます。個別にご質問ある場合は、どうぞご遠慮なく私まで」


 会場は終始和かな雰囲気で、その時間の説明会を終えた。

 業務内容に関してはほどほどだったが、条件面の話に転換した途端に就活生のメモを取るスピードが明らかに加速するのは、もはや見慣れた光景だ。

 かくいう俺も月給や年間休日数、平均残業時間を事細かに書き連ねた。

 だが、何点か疑問事項がある。

 俺はそれを訊く為に担当者へ「すみません」と声を掛けた。

 担当者は親身とも捉えられる笑顔で、「はい」と返事をしてこちらを見上げた。


「月給についてご質問なのですが、こちらの数字は先程ご紹介していただいた家賃補助などの手当を含めたものですか?」

「はい、そうなります」

「ありがとうございます。それでは、この固定残業代の数字は何時間の換算になっていますか?」

「三十時間になります」

「かしこまりました、ありがとうございます。では最後に、吉岡様のこの業務のやりがいを教えていただければ幸いです」

「やりがいですか、そうですね──」


 そこからの言葉は、赤べこのように頷く俺の耳には殆ど入ってこなかった。

 失敗を乗り越えた時とか、後輩に物を教えている時とか、そんな単語が断片的に聞こえてくる。

 条件面だけの質問がしたかった訳じゃないですよ、とアピールする為だけの質問だが、担当者の答えは皆んな似たようなものだ。

 担当者が話し終えると、俺は深々と頭を下げてお礼を口にする。

 姉の説教もよく聞き流していたのだが、その時は度々「はい、私が言ったこと復唱してみて」と確かめれたものだ。

 今この瞬間同じことを言われようものなら、俺は間違いなく書類選考で落ちるだろう。

 会場となった部屋から出ると、まだ室内だというのに雨による湿気が肌に纏わり付く感覚に襲われる。

 不快感を顔に出さないようにしながら、俺は最後にまた説明会の担当者に会釈をした。


「ありがとうございました」

「とんでもないです。またご縁がありましたら」


 そんな返事と営業スマイルに見送られて、エレベーターに乗り込む。そこでやっと、多少気を抜くことができた。

 ビルから出ると、空は落ちてきそうな程暗い雲に覆われていた。


「はぁ……」


 思わず、長く息を吐く。

 今日説明会を受けた企業はWeb広告系の事業をしており、内容自体にかなり興味はあった。

 中でも特に惹かれたのは、スポーツ事業への広告に力を入れているというところだ。プロバスケットチームにも関わる内容もあり、今まで受けた会社説明会の中では最も仕事内容に心を動かされたと言っていい。

 だがWeb業界はまだ発展途上の為、世間でいう大企業クラスの会社は殆どない。

 よって必然的に俺は初めて設立から間もないベンチャー企業の説明会に訪れたのだが、欠席者の数が驚くほど多かったのはその為なのかもしれない。

 先程の質疑応答も然り、やはり雇用条件では到底大企業に敵わないようだ。


「こら!!」


 唐突な大きな声に、俺は仰天して飛び退いた。

 何か担当者に失礼があったのだろうかと瞬時に申し訳なさそうな表情を作る。

 だが、予想に反して目の前にいたのは砂月だった。


「………………なにやってんだお前」


 無理やり作った表情を見られた恥ずかしさから、俺は頬を吊り上げながら声を尖らせる。


「あはっ、随分な挨拶ね」


 砂月は可笑しそうに笑ってから、俺に訊いてきた。


「それはそうと、勇紀ここの企業受けてたの?」

「そうだよ、とりあえず行くぞ」


 俺は砂月を待たずにビルから離れた。

 砂月の格好は『雨宮砂月』モードで、背中にはまた機材を乗せている。

 説明会帰りの就活生が、私服姿の学生と一緒にいるところを採用担当者に見られるのは芳しくない。

 雨で機材が濡れないかと思って振り返ってみると、しっかりとビニール包まれている。


「今日のところはどうだった? 勇紀が一番重視してる、条件面とか」


 砂月の質問に、俺はすぐに答えた。


「イマイチだな」

「へえ、辛辣。その心は?」

「月給はそこそこ高いんだけど、基本給が低すぎる」

「ん? 同じじゃないの、その二つ」

「ちげーよ」


 俺は傘をくるりと回して、畳んだ。

 雨は殆ど降っておらず、傘をさして歩くほどではない。


「月給は、総支給額。基本給は、あくまで毎月決まって貰える基本賃金」

「え、全然わかんない。どういうこと?」

「月給の中の一要素が、基本給ってこと」


 車道を挟んだ向かい側にある信号が点滅し、俺は立ち止まる。

 いつもなら渡りきるところだが、水溜りがある中を革靴で駆ける気にはなれない。

 俺はエンジンを蒸すレクサスを眺めながら、無心で口を開く。


「例えば月給二十万の内訳が、基本給十二万、固定残業代四万、家賃補助四万だったとする。基本給二十万プラス家賃補助、残業代が別途で付く企業とどっちが条件良いと思う?」

「そんなの後者に決まってる!」

「だろ。ただ、募集要項に月給二十万とだけ記載されてると、知らない人は後者をイメージしちゃうんだよ。入社後それに気付いて、それがギャップになる」


 俺が言うと、砂月はあんぐりと口を開けた。


「社会の闇だ……」

「知っていれば防げることだけどな」


 先ほどの企業も、月給の高さをアピールポイントとして挙げていた。だが家賃補助や固定残業代を含んでいたとなると、明らかに平均値を下回る数字だ。

 下手すれば、実際の基本給は平均値の半分ほどかもしれない。


「ボーナスってな、基本給を基準に考えられてるところが殆どなんだよ。基本給が低かったらそこにだって期待できない」


 俺が続けて言ったところで、信号が青く点灯する。

 横にいる砂月のペースに合わせて歩くと、いつもより大分遅くなる。


「ほんとによく調べてるんだね。私感心しちゃった」

「砂月も、歌に関しては自分で調べたりするだろ。同じだよ、俺の指標は雇用条件なんだから」


 歩くペースを早めるために、砂月が両手に持っていたCDの入った袋を引き受ける。

 出会った時と変わらない、砂月の後ろ姿が印象的なパッケージが俺を覗いていた。


「やっぱり優しいね」

「そんなんじゃないっての」


 車道を渡りきると、駅に近付いたおかげかかなり雑踏している。

 砂月はいつも、こんな喧騒の中歌っているのかと改めて思った。

 カラオケやライブハウスなどとは違う、音響の『お』の字もないような状況下。それなのに、かつて俺は砂月の歌声に誘われて聴衆に加わっていた。

 音楽業界に対して知識の浅い自分に、きっと成功するんだろうという漠然とした感想を抱かせるのは、砂月の力量に他ならない。


「砂月って将来は歌手になりたいのか?」


 俺が砂月から引き取った袋の中には、『五月末までにCD売上300枚挑戦中』というボードも入っている。

 アマチュアではこの300枚という数字はかなりハードルが高いことは察することができる。だからこそ、砂月が将来なりたいものは明白かに思われた。

 だからこそ、次の答えは意外なものだった。


「んん、どうだろうね」

「どうって、普通プロになりたいから路上ライブするんじゃないのか?」


 砂月自身も「まだデビューさえしていない」とプロになりたいと窺わせる言動をしていたはずだ。

 返事を考えている様子の砂月を見て、俺は続けて問いを投げた。


「何のために歌ってるんだ、砂月って」


 聞こえようによっては、嫌味に思われるかもしれない。

 だが俺自身は素直な気持ちで、砂月の本当の答えが知りたかった。

 飾られた答えを欲していないからこそ、あえて歯に絹着せぬ物言いで問い掛ける。

 そんな俺の胸中を知って知らずか、砂月は不快な表情を見せることなく答えてくれた。


「──夢を叶えるためかな」


 砂月の夢が何なのかは分からない。

 だが、応援する気持ちが湧いてきた自分にホッとした。

 就活で荒んでいた心は、いつの間にか幾分かマシになってきているようだ。

 結局砂月の夢が何かはハッキリとは分からなかったが、いつになく相好を崩す姿が印象的だった。

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