第19話 私が歌う理由

 砂月が歌い出してから二時間ほど経った。

 殆どの人が砂月に目もくれず通り過ぎていくが、たまに立ち止まる人もいる。

 そうした人は必ず一曲聴き終わってからその場を後にすることが、砂月に聴かせる力があることを証明している。

 俺の見ている中で、CDも十枚以上は売れた。

 一日歌って数枚も売れない人がいる中で、善戦している方だろう。

 俺自身もスマホを操作しながら、砂月の歌をBGM代わりに聴いていた。


「今日は来ていただいてありがとうございました!」


 砂月の言葉で、この時間が終わりになることを知る。

 それと同時に、違和感を覚えた。

 今のがラストの曲になるだとか、そういった知らせはなかったはずだ。

 観衆も突然の終わりに少し戸惑いつつ、拍手を送っている。

 俺は就活生の集まるサイトから視線を外して砂月を見ると、どうやら焦っているようだ。

 寄ってくるファンの人への対応もほどほどに、機材の片付けを優先している。

 出会った時みたく金髪ヤンキーでも視認したのだろうかと辺りを見回すも、皆んな普通の人のように思える。

 手伝おうかとも思ったが、今の俺はスーツ姿だ。

 変な仲に思われて、砂月の今後の活動に支障が出たら困る。

 ──いや、学生友達だと思わせれば何ら不自然なことでもないか。

 さりげなく周りにそう思わせるのも、俺にならできるだろう。

 そう思い直し砂月に近付こうとすると、見慣れた姿が視界に入った。

 車道の向こう側に、浅見先輩の姿があった。

 その横で笑う人を見て、俺も建物の柱に身を隠す。

 横にいたのは先程説明会を担当していた採用者の人だ。二年目の、確か名前は吉岡さん。

 どうしてあの二人が一緒にいるのかは分からないが、広告という事業内容が被っていることから二人の会社は取引があるのかもしれない。

 同い年で親しみやすいだろうし、お昼時にランチへ出掛けているのなら納得だ。

 二人は俺と砂月のいる道筋に来る前に曲がり、お洒落なカフェテリアへ入っていった。

 別に悪いことをした訳ではないのに、何故身を隠してしまったのだろう。

 浅見先輩と親しい俺なら、先輩が吉岡さんと打ち解ける流れを作ってくれたかもしれないのに。

 ……あれだけ条件にケチをつけておいて内定だけは欲しいんだなと、自分に呆れてしまいそうになる話ではあるのだが。


「勇紀、行こ」


 振り返ると、砂月が俺の腕を引っ張った。

 観衆は疎らになっていたため、俺は抗うことなく砂月に付いていく。

 駅の改札に入ったところで、やっと一息ついた。


「浅見先輩が見えたからか?」


 俺が訊くと、砂月は頷いた。


「そう。遠目に見えたから、焦っちゃって」

「よっぽど隠したいんだな。せっかく皆んな聴いてくれてたのに、勿体なくなかったか」

「元々、今日のライブは告知なしのゲリラだったからね。終わる時間も私の自由」


 告知なしにしては、CDの動きもよかったように思える。見たところ残り三十枚を切っているし、上手くいけば次のライブで完売するのではないだろうか。

 そんな俺の思考を察したのか、砂月は苦笑いをした。


「ところがどっこい、五十枚セットがまるまる一つ自宅に在庫されています」

「……六月終わるまでに変えた方がよくないか?」


 五月が終わるまで、あと一週間半しかない。ただでさえ、砂月は路上ライブをする頻度が低いのだ。

 それで在庫を全て捌き切るのは、些か難易度が高いと感じる。

 だが、砂月はかぶりを振った。


「ダメ。五月までに三百枚売り切らないと、意味がないの」

「じゃあ路上ライブの日数、週二から増やせば何とかなるんじゃないのか?」

「できない。同じ日数じゃなきゃ、フェアじゃない」


 自分に言い聞かせているような、強い口調。

 砂月の言葉が何を意味しているかは分からなかったが、これ以上言及することは藪蛇のようだ。


「そうか」


 俺は短く返事をして、ホームに視線を移す。

 線路の先の壁には、大きな広告板が貼られていて、様々な宣伝を謳っている。

 あの内のどれかに、浅見先輩の関わった広告があるのかもしれない。

 そう思った次の瞬間、オレンジ色の電車が到着して、広告板は見えなくなった。


「じゃ、俺帰るわ」


 この電車は、自宅の最寄駅まで一本で行ける特快だ。

 女性専用車両を避けて乗り込むと、お昼時ということもあって無理なく座席に座れそうだ。

 今日の午後は予定が入っておらず、家で明日の一次面接に向けて準備をするつもりだったが、この電車の中でしてしまうのもいいだろう。

 準備といっても、やることは比較的少ない。質問される内容自体はどの企業も似たようなもので、回答を企業ごとの求める人物像に寄せていけば大抵は通る。

 俺が苦戦しているのはその先の二次面接、三次面接だ。

 就活生の生きてきた人生を深堀りするような質問がどうにも苦手で──


「──なんでいんの?」


 俺は横を見て、ゲンナリとした声を出した。

 機材を担いでいる砂月は「だって、ほら」と俺の片手に視線を落とした。

 俺の片手からは、砂月のCDがぶら下がっている。代わりに持ってあげたのは良いが、返すのを失念してしまったようだ。


「……ゴメンなさい」

「あれ、そういうことじゃないの?」

「へ?」


 俺が何を言っているのか分からないという反応をすると、砂月はからかうように口角を上げた。


そういう・・・・お誘いなんじゃないかと思いまして」


 含みのある言い方に、俺は顔を顰める。


「……なわけねーだろタコ」

「私は私の直感を信じるのだ」

「じゃあそれ全然アテにならないから二度と信じない方がいいぞ」

「勇紀に何が分かるのよ、知ったような口きかないで」

「何で俺が怒られてんの?」


 砂月は俺の言葉でくつくつと笑う。

 不本意な状況でもとりあえずは話が盛り上がってしまうのが砂月の凄いところだ。

 中身のない話でも、滅多に途切れることがない。恐らく大学でも交友関係は広いことだろう。

 四駅分程進むまで世間話をしていると、砂月は何かに気付いたようでサッと腰を上げた。


「どうぞ」


 砂月の眼前には妊婦さんがいて、驚きつつも嬉しそうに会釈をする。

 俺は自分の視野の狭さを恥じつつ、辺りを見回した。

 お年寄りがいたので、自分も席を譲ろうと立ち上がる。

 すると席が空くのを狙っていたであろう学生が、すぐに埋めてしまった。

 ……さすがにどけとは言えない。

 仕方なく俺はドア付近まで移動すると、砂月が面白そうに言った。


「残念でした」

「あの学生も疲れてたかもしれないし、人助けには変わらないだろ」

「それもその通りだねぇ」


 そうは言いながらも、砂月の笑みはそのままだ。

 俺は不貞腐れて、外の景色を眺める体で砂月の視線から逃げた。


「……ねえ、勇紀」

「なんだよ」


 砂月は車窓から流れる景色を眺めながら、口を開く。


「私の夢、あともう少しかもしれないんだ」


 流れる景色のスピードが徐々に遅くなり、もうすぐ駅に到着することが分かる。


「そうか」

「応援してね」


 ……それくらい、言われなくたってそのつもりだ。

 砂月に告白紛いの言葉を告げられた夜、「別に恋人にならなくたって、支え合えるだろ」と俺は言った。

 俺が砂月の話を聞いてやる、なんて心持ちだったが、今となっては俺自身も就活の話を度々話す。あの時咄嗟に出た言葉は、案外現実になったりするのかもしれない。

 これから支え合う仲になるのだとしたら、夢を応援することくらい当然だ。

 

「分かった」

「……素直すぎて変な感じ」

「うっせ」


 砂月がメジャーデビューしたら、姉貴にでも自慢してやろう。

 俺はそんな不純なことを思いながら、外の景色から視線を外した。

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