第16話 お金より大切なこと
「で? どうだったお姉ちゃんとのお泊まり会は」
砂月はからかうように口角を上げた。
「変なことした?」
「してねーよ。よく姉貴のことでそういうこと言えるな」
浅見先輩の家に泊まった次の日。
俺は砂月と待ち合わせをして、カフェへ訪れていた。
カフェといっても、ただのカフェではない。
砂月の通う女子大の敷地内にある、小洒落たカフェだ。
周りに男は一人もおらず、居心地が悪いなんてものじゃない。
そんな俺の思いを察したのか、砂月は小さく笑った。
「大丈夫よ、別に珍しい光景でもないから。誰も気にしてないと思う」
「そうなのか? なんか見られてる気がして」
「そりゃ男がいたら目立つよー」
「どっちだよ!」
俺は本当に帰ってしまおうかと、ポケットからスマホを取り出す。
日曜日の十五時。
明日からまた就活が始まると思うと、少し憂鬱な気分になる。
「ねえ、訊きたいんだけどさ」
「……そうだな、訊きたいことがあるっていうから呼び出したんだもんな」
「なによー、ご不満?」
砂月が口を尖らせる。
「いや、全く。いい現実逃避になってる」
「理由が反応しづらい……まあいいや」
砂月は紅茶を飲み干して、その勢いで言葉を放った。
「勇紀、お姉ちゃんのこと好きでしょ」
「ぶっ」
口に流し込もうとした麦茶がコップに戻る。
その光景を見た砂月は一瞬顔を顰めたが、すぐにウェットティッシュを俺に寄越してくれた。
「さんきゅ……って、違う。別に俺は──」
「好きじゃないなんて言わせないから。私の対応と違いすぎるし」
「砂月のことが好きじゃないって可能性は考えなかったのか?」
俺が意地悪な質問をすると、砂月は口をぱくぱくとさせた後、ゆっくりと腰を下ろした。
「そ、その発想はなかった……」
表情を暗くさせる砂月に、俺は慌てて訂正する。
「いやごめん冗談だ、そんな顔しないで」
「おいこら勇紀」
「は、はい?」
乱暴な呼び掛けに、俺は思わず固まってしまう。
顔を上げた砂月は挑戦的な瞳をしていて、俺は背筋を伸ばす。
「私、勇紀と付き合いたいなーって思ってるんだけど」
「ああ、それはまあ……」
「でも今はまだ時期尚早って分かってるから、とりあえずこの話は先延ばしにしてあげる」
「ありがとう!」
俺が素直にお礼を言うと、砂月は「元気な返事しないでよ!」とむくれる。
「それで、就活の手伝いって私なにすればいいの」
「え?」
「何でもするって言ったじゃん。だから手伝うよ」
そういえば昨日そんな話もしていた気がする。
元々成り行きで進んだ話だし、このまま有耶無耶にしてしまったても全く問題なかったのだが。
「じゃあ、一つ質問させてくれ。就活の指標を、定め直したい」
「おお、なになに?」
目を輝かせる砂月に、俺は直球で訊いた。
「お金を、俺は世界一大事だと思ってる。だからこれを指標に就活してきたけど、どう思う」
やりたい仕事なんて分からない。
だが、求める条件なら沢山ある。だから自然と俺の就活は、仕事内容よりも雇用条件を重視する傾向にあった。
砂月は数秒ほど考えた様子を見せた後、軽く頷いた。
「お金は大事。お金よりも大切なものがある! なんて綺麗事、私はあんまり好きじゃないしね」
「……だよな。俺もそれを指標にして──」
「でも、あるよ。お金より大切なこと」
砂月の凛とした声色に、俺は思わず口を噤んだ。
「お金は大事なことは間違いない。でも本当に大事なものって、その先にあるものなんじゃないの?」
空になったマグカップの取手に、指を絡ませながら言葉を紡いでいく。
「家族だったり、暮らしの彩りだったり。お金って、あくまで何かを叶えるために求められるもの。自分を満たすために、必要な道具だもの。道具が一番大切なんて、変な話じゃない」
その言葉に、俺はガツンと頭を殴られた気分になった。
雇用条件ばかりを見て、特に平均年収を重視していた。
だが確かに、俺が本当に欲しいのは自分の人生を豊かにしてくれる何かであって、お金そのものではない。
あくまでお金によって引き起こされる何かが、欲しいだけだ。
それは年収が高いというステータスだったり、良い車を買うことだったりするかもしれない。だが、どれも正直ピンとこない。
それなら俺は、一体何のために働こうとしているのだろうか。
「あと、私の場合、お金を得るまでの過程も同じくらい大切だと思う。社会人になったら、仕事をしてる時間が人生の大半を占めることになるでしょ? 愉しい時間が多いに越したことはないんじゃないかな」
砂月の主張は、全てとはいかないものの比較的受け入れることができた。
……最近は内定を貰う事ばかりを考える余り、自分の働く意義を企業に見出す努力を怠っていた。条件面ばかり見ていたが、本当は仕事内容をもっと見なければならない。
興味のある企業を受けるのが、本来あるべき姿なのだ。
だが、内定がなければそうしたことを考える余裕すらも失ってしまう。
今日砂月と話したことは、ある意味本当に就活の助けになったかもしれない。
「他には?」
砂月の問い掛けに、俺は首を横に振った。
「いや、充分だ。ありがとう」
「え、それだけなの? こんなの手伝いって言わないし!」
「俺にとっては助かるからいいんだよ。それに、就活が団体戦だった時期はもう過ぎたからな。頼りすぎるのは不本意だ」
実際、その時期は本当に過ぎてしまった。
就活サークルの面々も、グループラインを動かす頻度は明らかに減っている。内定を得ている皆んなは、既に就活するにあたっての軸を確立して、今更情報交換もないだろう。
だが、本当に充分だと思った。
今しがたの会話で、何かを掴めた気がしている。
この時期に必要なのは──
「じゃあ相談に乗ってあげる。それくらいならいいでしょ?」
「相談、か」
確かに、この時期に必要なのはメンタルケアかもしれない。
最も頻繁に選考へ参加する時期だということは、不採用通知を貰う回数も恐らく増えるということだ。
慣れてきたとはいえ、やはり気持ちが多少重くなることに変わりはない。
今までは浅見先輩がたまに話を聞いてくれていたが、先輩も忙しい身だ。
連絡を取り合っているのは十中八九俺だけではないだろうし、少しは気遣うべきだろう。
すると他に相談する相手は家族を除くといなくなってしまう訳だが、そんな状況で受ける砂月の提案は悪くないかもしれない。
先程のやり取りで、俺は自分の就活への指標が変わりそうな予感がしている。
──根拠はない。
だが雨宮砂月は、俺の納得いく結末に導いてくれそうな気がした。
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