第8話 初めて

「ねえ、私たち付き合わない?」


 それは、あまりにも唐突な問い掛けだった。

 俺はたっぷり数秒間パチパチと瞬きをしたあと、思わず訊き返す。


「ん? どういうこと?」


 砂月は一旦目を逸らしたかと思えば、今度は迷いのない表情を浮かべる。なんで。


「えっと、付き合ってほしいなって」

「いや意味は理解してる。したくなかったけど」


 俺が返事をすると、砂月は目を丸くした。


「え、今私もしかしてフラれた?」

「これからフるんだよ!」

「せ、宣言された。こんな状況初めてっ」

「当たり前だろ、知り合って二回目の男によく告白したな!」


 俺が声を大きくすると、砂月は頬を掻く。


「えー。私可愛いからいけるかなって思ったんだけどな」


 僅かに頬が紅潮している。

 どうやら信じ難いことではあるのだが、砂月はふざけて言ったわけではないらしい。


「またお前、なんでこのタイミングなんだよ」


 テーブルには、まだドリンクが届いてすらいない。

 二回目の食事ということを抜きにしても、このタイミングは些か早い。


「付き合いたいと思った時が旬って、よく言うじゃない」

「恋多き女の言葉だな。俺そういう人苦手なんだよ」

「私処女だけど」

「頭おかしいの?」


 俺はげんなりして言ったが、砂月は気にした様子もない。


「勇紀の発言を否定しただけですー」


 砂月はベッと舌を出す。

 それがどこか様になっていて、そのあざとい仕草をしたのは今のが初めてではないことが分かる。


「それが本当のお前だな」


 ぶりっ子とまではいかないが、あざとい女。

 そこに強情が加わるとなると、今まで俺があまり絡んでこなかった人種だ。

 俺が思わず溜息を吐くと、砂月は小首を傾げた。


「あざといの嫌い?」

「好きじゃないな。少なくとも付き合いたいとは思わない」

「なんで勇紀が選ぶ側になってるの?」

「お前が告ってきたんだろーが!」

「あはは、そうだったね」


 砂月はお腹を抱えて笑う。

 何が面白いのか理解できないでいると、砂月は込み上げる笑いを抑えるように声を震わせながら言った。


「惚れた方が負けってこういうことかー、これから先が思いやられるね」

「なんで付き合う流れになってんの? 俺今から断るって言わなかった?」

「いいじゃん、減るもんじゃないし」

「な、なんだその暴論は……」


 思っていたより砂月のペースに飲み込まれている。

 初めて砂月と話した時は多少お淑やかな印象を受けたが、恐らくその時はまだお互いどこか緊張していて普段通り接することができていなかったのだろう。

 そこに思い至った時、扉がノックされて、店員がメインディッシュとドリンクを持ってきた。

 ひとまず砂月の作った話の流れを切れることに感謝して、俺は店員から大皿を受け取っていく。

 肉を焼き始めると砂月が再度訊いてきた。


「ねぇ、返事は?」

「断る」

「ちゃんと答えてよ!」

「今答えましたけど!?」


 手に持っていたトングを一度戻して、俺は砂月に向き直る。


「いい加減にしろって。俺たちお互いのこと全然知らないだろ」

「今から知ればいいじゃん。こうして話してる間にも、勇紀の人柄が少しずつ伝わってきて嬉しいよ」

「お前は良くても俺はだめなの。こんなの酒が抜けたら絶対後悔するぞ」

「まだ飲んでないじゃん」

「こ、言葉の綾だって」


 焦りから間違えてしまっただけだが、俺は無理やり誤魔化して顔を背けた。


「彼女欲しくないの?」


 砂月の問い掛けに、素直に頷く。


「そうだな、あんまり」


 肉の赤身に少しずつ焼き色が付いていくのを眺めていると、砂月がトングを手に取り引っくり返していく。

 何枚も連なった牛タンは、あと僅かで食べ頃になりそうだ。


「就活ってさ、大変だと思うの」

「え?」

「私もね、似たような経験あるから」


 砂月は遠い目をしながら、何かを考えている。

 その中身にさして興味はなかったが、彼女も彼女で様々な苦労があることくらいは察することができた。


「辛い時期って、恋人ほしくならないの?」


 砂月の質問に、俺は俯く。

 辛い時期。今の就活期間が、まさにそれだ。

 間違いなく今が、俺が生きてきた中で精神的な負荷の大きい期間。

 例えば浅見先輩のような人であれば、あの包容力にあやかりたいと思うことだってあるかもしれない。

 だが、俺は誰でも構わず恋人がほしいとは思わない。

 砂月も恋人が欲しいだけで、俺と付き合いたいというわけではないだろう。

 彼女だって厳しい世界に身を投じているのだ。

 もしかすると今の言葉は、砂月自身の想いを表したものなのかもしれない。

 砂月が自分の現状を辛い時期だと捉えているのだとしたら。


「あんま無理するなよ」


 今の俺が掛けられる言葉は、これくらいのものだ。


「俺は彼氏にはならないけど、話くらいは聞いてやる」


 出逢いは衝撃的なものだったが、砂月が悪い人間でないことは分かる。

 彼氏にはならない。でも。


「別に恋人にならなくたって、支え合えるだろ」


 幸い俺たちには共通の知り合いがいない。

 弱みだって、他の人よりは見せやすいはずだ。

 俺の答えが意外だったのか、砂月は暫く無言で見つめてくる。

 そして数秒経ったあと、やっと小さく笑った。


「……男ってもっと馬鹿だと思ってたな」

「馬鹿に見えるやつだって、多分内心では色々考えてるぞ」

「普段はそうかもしれないけどね。女関係になると、馬鹿になる人とかいると思うし」


 経験則に基づく推論だろうか。

 ただの偏見ではないように思えたが、ここで訊くのは尚早だろう。


「勇紀はそういう人じゃないんだね」

「そんなエネルギーがないんだよ」


 そういったエネルギーがある人の方が、ある意味楽しく生きることができると思う。

 自分がなりたいとは思わないが、来世があるならそういった生き方をしてみたい。

 まあ、この場でそんなことは言えないが。


「じゃあ、お言葉に甘えていいかな。これから色々とさ」


 俺が肉を取り分けてやると、砂月は「ありがと」と短く言う。

 口に運んだ牛タンの肉汁に舌鼓を打っていると、砂月がクスクスと笑った。


「あー、初めてフラれた」


 その表情はどこか扇情的で、思わず胸が高鳴る。

 本当に不本意ではあるが、俺も今の時期じゃなかったらあの突然の告白を受け入れていたことだろう。


 ──そういう表情が、男を馬鹿にするんだと思うぞ。


 俺はそんな言葉を、何とか牛タンと一緒に飲み込んだ。

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