第31話 エピローグ〜浅見優花side3〜

 紅い光が射し込む放課後の教室で、私は佇んでいた。

 浅見優花と書かれているネームプレートを、鞄に入れる。

 高校二年生になった私は、部活に行く前にこうして一人の時間を作るようにしていた。

 窓の下から、部活に励む生徒たちを眺める。

 不思議とこの時間が落ち着くのだ。

 歌うのを辞めてから、私は自分の中の大部分を占めていた何かが欠け落ちたような感覚に陥っていた。

 何をしても、全力を出せない。常に上位なのは勉学くらいのものだ。

 努力さえしていれば、すぐに結果に表れる。

 将来の選択肢を広げる切符が勉強だと考えると、これほど報われやすいものも他にないと思う。


 ──自分の将来。

 今まで、歌手になることしか考えていなかったせいか、曖昧な未来しか想像できない。

 友達たちを見ていると殆どみんな大学までのことしか考えていないので、私が特別遅れている訳ではないと思う。

 それでも、歌うのを辞めてからはずっと焦燥感があった。

 私はこのまま、自分の道とやらを見つけられないまま、生きていくしかないのだろうか。

 一度自分を燃焼させるものを見付けてしまった私は、常に物足りなさを感じている。

 そんな気持ちも、校庭で皆んなが汗水流して部活に励む姿を見ると薄れていく。皆んな、自分を燃焼させている。

 苦しくて、楽しい時間に身を浸している。

 でも、高校三年生になれば皆んな引退する。大学に入って部活に入る人すら少数派なのだから、将来今の部活でしていることを仕事にしようと考えてる人なんて殆どいないに違いない。

 そう考えると、安心する。

 皆んな私と同じで、自分のやりたいことをハッキリ見つけることができないまま、就職していくんだって。

 捻くれた考え方だと自覚しているけれど、そう思うと楽になれた。

 私は一つ決めていた。

 ライブで毎度歌う曲がある。私が作った、オリジナル曲。

 それを一曲歌い切ることができなかったら、キッパリ諦めて勉強に専念しようって。

 今日が声帯ポリープだと診断されて丁度二ヶ月目。

 明日に再度診断の予約をしていたけど、その前に白黒付けておきたかった。


 ──大きく息を吸い込んで、声を発する。

 久しぶりの大きな声。特に低い声が出しにくくて、ビブラートだって酷いものだ。

 でも、今までで一番気持ちを歌に乗せられている気がした。

 二ヶ月振りの歌に、身体が喜びに湧きたっている。

 心が弾み、自分の歌声にハリが出てきているのが分かる。

 たった一人の教室から、運動場に届くくらい、大きな歌声で。私の歌が、誰かに届くことを信じて。

 誰かの記憶に、残ることを信じて。

 喉に違和感を覚えると、私は声量を下げて、やがて歌うのを止めた。

 たった一分半ほどの時間だ。

 まだ完治はしていないらしい。症状が酷い場合は手術の必要があると言われたけど、デビューの望みも薄い歌手活動を続ける為に、そんな費用を親に求めることはできない。

 私の夢はここで打ち止めだ。

 でも、悔いはない。

 自分を燃焼させるものを見付けられただけで、私は幸せ者だった。

 鞄を持って、教室から出る。ふと廊下の窓から中庭を見下ろすと、じっと佇む人影があった。

 目を凝らすと、細身の男子生徒だ。

 こちらを見上げていて、視線が交差した気がした。


 ──もしかしたら、聴いてくれてたのかな。

 途中で歌い終えてしまったことに少し申し訳なさを感じながら、中庭へと向かう。

 もし聴いてくれていたのなら、最後に感想だけ教えてほしかった。

 私が最後に貰った感想を、あの男子生徒に上書きして欲しかった。

 中庭に降りるとその男子生徒は丁度校門から出るところで、私は小走りで追い掛ける。

 横顔が、なんだか見覚えがあった。

 追いついて、横に並んでみる。

 やっぱり、似ている。

 歌えなくなった私と、似ている。

 鞄から一年生を示す赤色の体操服が見え隠れしていて、この時間に帰るということは帰宅部なんだろうと察しがつく。

 なんだか、自分を見ているようで放っておけなかった。

 私は自分が影で何て呼ばれているか知っている。

 性格が良いとか、中には調子に乗ってるなんて意見も恐らく混じっている。

 どれでもない。

 性格は良いとは思わない。私は知らない人を助けたいなんて慈善に満ち溢れた心を抱いたことは殆どない。

 音楽活動だって、ずっと自分のために動いてきたんだから、誰かに届けばいいと想いながら歌ったことなんて殆どない。

 先程の歌が、特別だっただけだ。

 でも、目の前にいるこの生徒だけは、助けてあげたい。

 面識なんてない。

 でも、夢を諦めた私と似ていると思ってしまったら、もう放っておくことはできなかった。

 私は意を決して、声を掛けた。


「退屈そうな顔してるね」


 虚をつかれたような表情は、なんだかとても面白かった。

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