第4話 浅見優花

 飲み会が予定されている土曜日がやって来た。

 集合時刻までのんびりしようと立ち寄ったカフェテリアにて、俺はコーヒーでゆっくりと喉を潤している。

 服装がスーツから私服へと変わるだけで、心のゆとりが大きく変わる。

 就活により蓄積した疲労を忘れられるひと時。

 そんな寛ぎの時間に水を差したのは、テーブルを挟み向かい合った席に座る先輩だった。


「ねえ?」


 目の前で艶のある声を出したのは、浅見あさみ優花ゆうか

 学年は二つ上の二十三歳。つまり社会人二年目だ。

 高校の部活からの先輩で、大学時代も同じサークル。

 そこそこ長い付き合いと言ってもいいだろう。

 綺麗な二重から覗く瞳は澄んだ黄金色で、筋の通った鼻、ぷるんとした唇。細身と女性らしさを感じさせる程よい肉付きを併せ持つスタイル。

 平たく言えば超絶モテる先輩で、男として丁重に扱うべき存在ではあるのだが、俺がこの人に求められている対応は違う。


「なんすか」


 仏頂面で答えると、浅見さんは悪戯っぽく口角を上げた。


「ありゃ、相変わらずの塩対応」

「だから付き合い長いんでしょうが」

「ちょっとー、野暮なことは言わないの」


 浅見さんは口を尖らせて抗議してくる。

 大学時代、一緒に参加した合コンの自己紹介で「嫌いな男は告白してくる男です」なんてパンチのある言葉を放っていた女性だ。

 あれを聞いて身の振り方を改めようと決意したのは、今でも鮮明に覚えている。


「今日の髪型どう?」


 浅見さんがフルフルとかぶりを振ると、後ろに束ねたブラウンの髪が揺れ動く。

 大きなイヤリングもついでに揺れて、揺れる物に目がない男は大抵ここで撃沈する。


「いい感じじゃないですかね」

「あはは、そっかー。勇紀のお墨付きなら安心だね」

「俺に訊かなくても、鏡見れば一発すよ」


 オフィスカジュアルを彷彿とさせるような私服を上品に着こなすファッションセンスがあるのだから、無難な服装しかできない俺に訊いても何の意味もないと思う。

 だが浅見さんは、俺の返答を見越していたかのように人差し指をチッチと振った。


「あーもう勇紀君、君ねぇ全然分かってない。こういうのは異性に判断してもらうのが一番自信になるんだよ」

「前は同性の目線が一番頼りになるって仰ってましたけどね」

「嘘! じゃあやっぱり女子に訊いた方がいいのかも」

「はい、嘘ですよ」

「どっち!?」


 浅見さんは目を丸くして驚いてから小首を傾げて、「えっ?」と声を漏らした。

 嘘を吐いた意図が理解できなかったのだろう。


「こんな嘘で浅見さんの意思が簡単に変わることは確認できたので、もう俺には訊かないでくださいね」

「うそっ、勇紀の性格捻くれすぎ……?」

「うっせ!」


 ドン引きした声色を出す浅見さんに、思わずタメ口でツッコみを入れる。

 年上ではあるが、こうしてたまに敬語を使わない時がある。

 浅見さんが可笑しそうに肩を震わせているのは、俺がたまに出すタメ口を何でもないことのように受け入れているからだ。

 会話のテンポによっては、敬語を使わない方が良い場面もある。

 まあ今のは素で出たタメ口だったけど。


「もー、癒されるなー勇紀と話してると」

「あざとすぎる。それで俺から告白されたらどうするんですか」

「断るかなあ」

「ぶん殴っていいですか?」

「やだこわぁい」


 浅見さんは腕を抱えて身を引いてみせる。

 俺はそんな仕草に息を吐いて、カフェラテを飲み干す。

 空になった容器を置いて、俺は腰を上げた。


「もう行くの?」

「浅見さんはここにいていいですよ」

「私も今日の飲み会参加するんですけどぉ」


 浅見さんはそう言って、渋々俺の後ろに付いてくる。

 彼女が俺の仲間内の飲み会に参加する理由は、あのライングループを作るきっかけとなったのが浅見さんだからだ。

 ライングループにいる五名は全員同じサークルで、その名も『就活サークル』。

 大学から許可を得て立ち上げられたものではないので正確には同好会なのだが、それでは何だか締まらないという理由でメンバーたちは就活サークルと呼称し続けている。

 ラインメンバーの中に入っていないものの、サークルの創設者は何を隠そう浅見さんその人だ。

 活動目的は『楽しみながら自分の進路を見付けよう』。

 就活自体にネガティブなイメージを持つのではなく、楽しみながら取り組むことで良い経験に繋げていこうという考えだ。

 普段の俺なら「意識高い系じゃん」と参加するのを渋っていたかもしれないが、発足したのが浅見さんだったため、勧誘された際は二つ返事で快諾した。

 気心の知れた仲で、浅見さんが常に結果を出してきた実績も知っているというのが大きな要因。

 普段の言動はかなり残念だが、尊敬はできる。

 学内でも優秀な成績を治め、整った容姿も兼ね備える憧れの先輩。

 高嶺の花かと思いきや、気さくで自分の思ったことを誰にでもズバズバと言ってのける芯の強さ。

 そんな彼女がこうしてたまに飲み会に参加してくれるのは後輩としても嬉しいことで、他のメンバーも心待ちにしていることだろう。


「皆んなと会うのも久しぶりだな〜、楽しみっ」

「前は新年会の時でしたっけ。時間経つの早いですねー」

「そんな前か、歳も取るわけだわぁ……」

「浅見さんはまだ二十三じゃないすか」

「甘い甘い。社会人になってからの時間の早さを嘗めちゃいけないよ、ほんとあっという間にアラサーになっちゃうんだから」

「経験者は語る」

「いやまだ経験してないわ!」


 浅見さんが肩をパシリと叩く。

 道端で通り掛かる人の視線が、たまに浅見さんに釣られていくのを感じる。

 そんな人と親しげに歩く気分は悪くないのだが、周りの目は普段より多少気になる。


「新年会も楽しかったね〜」

「ですね」


 あの頃はまだ、就活もインターンが殆どで本格的な選考には参加していなかった。

 インターンとは、学生の就業体験のようなもの。

 募集する企業によって体系は様々で、一ヶ月の体験勤務の後給料を出してくれるところから、二時間のグループワークだけで終わるところもある。

 インターンが実質的な選考の意味合いを持っている場合もあるが、少なくともあの頃の俺は重視していなかった。

 だが、内定をまだ一つも貰っていない現状では、あの時の自分の見通しは甘かったと言わざるを得ない。

 インターンで貰う内定だって、一つでもあれば心の余裕に繋がり、良い結果に繋がることができるきっかけになり得るのに。


「なーに暗い顔してんの」


 頬をギュッとつねられて、俺は思考から引き戻される。


「こんな良い女と歩いておいて、贅沢者め! 不届きっ!」

「二重で痛いっす。自分で良い女とかやめてくださいよ」

「ほ、ほんとに生意気なやつ!」


 浅見さんは今度はガクガクと肩を揺らしてくる。

 そうこうしているうちに、先程のナイーブな思考はどこかへ飛んでいた。

 軽く息を吐いて気持ちをリセットすると、浅見さんはクスリと笑みを溢した。


「なんすか」

「うん。悩みもするし、落ち込むこともあるだろうけどさ。休日くらいはリセットしなきゃね」


 そう言いながら、優しく背中をさすってくる。

 時折見せる年上の余裕だ。

 辛い時期に触れる人の優しさは、余計に心へ染みる。


「普段はアレですけど、こういう時の浅見さんってすごい良い人ですよね」

「アレってなに? ねえアレってなに?」


 浅見さんは俺のすねを蹴り上げた。

 今度は痛いだけだった。

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