第5話 元・憧れの人

 約束の居酒屋に到着したのは、予定されている集合時刻の四十分前だった。


「早く着きすぎたね。もうちょっとカフェでゆっくりしておばよかった」


 浅見先輩が残念そうに言う。


「特快がドンピシャで来るとは思わなかったんですよ」


 とはいえ、手持ち無沙汰なのは否めない。

 予約している訳ではないので、先に入店してしまうというのも選択肢の一つではある。

 だが浅見さんも久しぶりの参加だし、皆んなと乾杯してから飲みたいだろう。


「先入ろっか」

「え、いいんすか」


 俺の思考とは裏腹に、浅見先輩は先に暖簾のれんを潜る。

 まだ日が沈んでいない時刻だからか、客も疎らだ。

 案内された個室の掘りごたつに足を下ろすと、浅見先輩は口を開いた。


「あと四十分、枝豆でやり過ごせばノープロブレムかな」

「えぇ……まあ仕方ないですけど」


 迷惑な客認定をされなければいいが。

 特に時間制限は言われなかったため、問題ないと思いたい。

 それほど店内に客は入っていないようだし、恐らく大丈夫だろう。

 あとで沢山注文して売上を潤すので許してほしい。


「久しぶりのお酒楽しみだな〜」

「久しぶりなんですか?」


 社会人になると飲み会の機会が増えるイメージがある。

 実際浅見先輩もインスタのストーリーで、飲み会の頻度が高いと更新していた。

 俺の問いに、浅見先輩は小さく笑う。


「プライベートのお酒は久しぶりなの」

「あー……大変ですね」

「そうかな? 入りたくて入ったんだから、これくらいはね」

「すっご。その思考回路分けてください」

「あはは、でも疲れる時もあるよー」


 学内でも優秀な成績を残し、容姿端麗な浅見先輩。

 高校時代から他学年にまで名前が知れ渡っていた先輩は、就活においても優秀で、大企業から四つの内定を貰っていた。

 その全てが、まともな就活生なら誰もが知っているような大企業の総合職採用。

 他の企業を合算すると内定の数は二桁近くあり、皆んなで羨んだものだ。

 その中から厳選した企業へ入社した浅見先輩でも軽く弱音を吐いてしまうなんて。

 慣れていない環境に身を浸すというのは、労働環境が整っている企業だとしても甘いものではないのだろう。


「二年目になってどんな感じですか?」

「だいぶざっくりした質問だねー。まあ、悪くはないと思うよ。やり甲斐も出てきたし、何より給料良いしね」

「ご馳走さまです」

「待って五人分奢るのはさすがにキツい! やだやだやっぱり今のナシ!」


 浅見先輩は慌てたように手をブンブンと振る。

 届いた枝豆を俺に差し出して、「これで我慢してっ」と言った。


「こんなんじゃ腹も膨れないです」


 俺が拒否すると、浅見先輩は頬を膨らませる。


「そりゃ社会人だし、多めには出すけど。でもそれが当然とは思わないこと! 勇紀は奢り甲斐のない後輩になっちゃダメだからね」

「すみません何でも言うこときくんで!」

「それは現金すぎる!」


 そうは言いながらも、浅見先輩は口元を緩める。


「でも、勇紀の"何でも"はそんなに安物じゃないって知ってるよ。私からの飲みの誘いも平気で断るくらいだし、相当お高いんでしょう?」

「それとこれとは話が別ですって」


 俺が断るのは、浅見先輩と二人きりの誘いだけだ。

 浅見先輩は告白する男が嫌いと公言している割に、後輩を気軽に二人きりの飲みに誘うくらいにはガードが緩い。

 そんな相手に心を乱して堪るかと、基本的に二人で出掛けようという誘いは断るようにしているだけの話だ。

 今日のように、後から皆んなで合流する時は話も別だが。


「彼女作らないの?」

「俺は錬金術師じゃないんですよ」

「あはは、おもしろーい」


 枝豆を端正なご尊顔に投げ付けたい衝動に駆られるが、何とか我慢する。


「この大事な時期に、恋愛になんてかまけてられませんから」

「えー、この時期だからこそじゃないかな。辛い時に支え合うっていうのもさ」

「藤堂はそれで別れたって言ってましたよ」


 藤堂とは、この就活サークルに入っている学生の一人だ。

 後で合流してきたらその話を訊いてみよう。


「まあそっか。そうなる人の方が多いかー」


 浅見先輩はどこかつまらなさそうに言ってから、思い出したかのように微笑んだ。


「でも、春が来るのは意外とすぐかもしれないよ?」

「……なんの話すか?」


 浅見先輩は口元に弧を描いているが、心当たりがない。

 最後に彼女がいたのはもう三年ほど前の話だし、就活中に女と良い雰囲気になった覚えもない。

 就活はある意味様々な学生と知り合える機会でもあるのだが、生憎今の俺にはそこまで心の余裕もない。

 考えあぐねていると、浅見先輩はスマホの画面を見せてきた。

 怪訝に思いながらも覗いてみると、一枚の写真が表示されている。

 見覚えのある場所だ。

 スマホに映し出されているのはネット記事のようで、タイトルにはこう記載されていた。


『路上シンガーのトラブルを救った男性が話題に』


「……あ!?」


 公開されている動画にはハッキリと俺が映り込んでおり、金髪ヤンキーと揉み合っている。

 ついでに倒れているところも撮られていて、他にも複数枚の写真が添付されていた。


「だー! 俺じゃなくて金髪撮れよ!」


 そういえば、倒れた時にスマホを掲げる野次馬が何人かいた気がする。

 その内の誰かがSNSにアップロードしたところ、拡散されてネット記事にまでなったのだろう。

 とんだ災難だ。

 何故助けた方の写真がネットの世界にばら撒かれなければならないのか。


「でも、悪いことばかりじゃないみたいだよ?」


 浅見先輩が指し示す記事は、『助けられた路上シンガーは、早くお礼がしたいですと語っている──』と締め括られている。


「いや、求めてないし」

「ええ、せっかくのお礼なのに?」


 浅見先輩が仰天したように声を上げた。

 確かにお礼の内容に興味はあったが、あの日の俺はどうかしていた。

 就活の鬱憤が溜まりに溜まった日だったこともあり、正直合わせる顔がない。


「あと単純に、ネットに顔ばら撒かれるのは嫌です」

「確かに、それは迷惑だよね」


 浅見先輩は納得したように頷く。

 砂月のように優れた容姿を持っていれば、ちょっとネット記事に載るくらいなら許容できるかもしれないが。


「この記事も路上シンガーについて書けば良かったのにな。顔はすごい可愛かったし、記事に映える」


 何より、砂月の宣伝にもなっただろう。

 こうした記事が拡散されるのは今の時代ならではのことだが、顔さえ映っていないのでは意味が殆どない。


「そんな人を救った男の子の方が、私みたいな女の子は楽しく読めるからね。この記事、どちらかというと女性向けに書いたやつみたいだし」


 浅見先輩はもっともらしいことを言う。


「可愛いかったなら尚更。あーこの男の子は相手が可愛かったから助けたんだって、冷めた目で見る人が出てこないとも限らない」

「何すかその分析ぃ……」


 俺がげんなりすると、浅見先輩は驚いた表情を見せたあと、慌てたように手を振った。


「ごめんごめん、仕事の癖がつい。この記事の最後に自己研鑽の商品がタイアップされてたから、上手い誘導だなぁと」


 浅見先輩の仕事は広告を取り扱うものだと、以前聞いたことがある。

 ライターに依頼して書かせることもあるようで、浅見さんは今完全に依頼者目線で語っていた。

 浅見先輩も社会人なんだなぁと、何となく感慨深い。そんな気持ちに耽けるより、一つでも内定を貰うことが優先なのは分かっているけれど。


「このシンガーさん、今日取材受けるみたいね」

「えぇ……」


 浅見先輩の言葉で記事を隅々まで確かめると、二回目の取材が既に決められており、日付はまさに今日だった。


「やめて欲しいなぁ」


 これ以上話を大きくされて拡散されるのはまっぴらごめんだ。


「止めてきたら?」

「はい?」


 浅見先輩の提案に目を丸くする。


「いや、今日の飲み会はどうするんすか」

「だって勇紀、今日の飲み会乗り気じゃないでしょ?」


 枝豆を食べるために伸ばした手が止まる。


 ──浅見先輩の言葉は、図星だった。


 あのグループで内定を持っていないのは、もう俺だけかもしれない。

 そんな状況下で、笑いながらお酒を飲める自信がない。

 酒の席で話題に気を遣われるのも皆んなに申し訳ない。

 内定は保持していても、就活を辞めているやつはまだ一人もいないことは確かだ。

 皆んな日頃の就活について語りたいだろう。これからの就活について語りたいだろう。

 その席に何の結果も出ていない人間がいるのは、迷惑ではないのだろうかと、そう考えてしまう。


「皆んなは気にしないと思うけど、勇紀が気にするもんね」


 浅見先輩はそんな俺の思考を見透かしたように、優しい声色で呟いた。


「お酒の席でそういう想いを発散できる人と、できない人はいると思うし。勇紀には違う発散方法があると思う」


 浅見先輩は小首を傾げる。


「可愛い女の子とお話ししてきたら?」

「……別に、可愛い女の子ならここにいるじゃないですか」


 俺が言うと、浅見先輩は目をパチクリとさせた後、吹き出した。


「ちょっとドキッとしたー、不覚」


 ……やっぱりこの人、信じられないくらい可愛いな。

 何と返事をしたものかと思案していると、浅見先輩は言葉を続けた。


「じゃあさ、その子と友達になって私に紹介してよ」

「え?」

「私、そういう夢追ってる人好きなんだよね。なにかインスピレーション貰って、私に伝えてよ。仕事に何か活かせるかも」


 浅見先輩の仕事は、広告を取り扱うもの。

 だから、砂月のような一般人と毛色の違う人間のことを知りたいという言い分も納得できる。


「私のために仲良くなってきてくれたら、嬉しいなぁ」


 だが、浅見先輩は自分のためだけにこんなことをお願いするほど傲慢じゃない。

 いつもこうした言動の裏には、何かしらの思惑が垣間見える。

 今回はそれが明白だ。

 即ち、俺を元気付けるという目的。


「……ありがとうございます」


 お礼を言って、立ち上がる。

 小さく手を振る浅見先輩を横目に、俺は個室の扉を開けた。

 本当に、できた人だ。


 ──これだから、浅見先輩のことが好きだったのだ。


 かつて俺は、高校時代この人に片想いしていた。

 今でも、たまに良いなと思ってしまう。

 優れた容姿に、内面も良い。努力家で、結果も出し、人への気遣いも上手い。

 何も感じない男の方がどうかしているとさえ思う。

 俺は胸に宿った燻りを誤魔化すように、道端に落ちている石を軽く蹴った。

 転がった石はすぐに排水溝へと落ちていって、俺は小さく溜息を吐いた。

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