第6話 強情な女

「あっ」


 間奏中、砂月と目が合う。

 そしてあろうことか、砂月は俺の姿を認めると小さく声を漏らした。

 路上ライブを聴きに来た観客の一部が、不思議そうな表情でこちらに視線を送る。


 ──まずい。


 俺は慌てて顔を逸らす。

 ネット記事にされてからまだ日が浅い。

 何か言われても面倒だと、俺は砂月を囲む半円の端へと移動する。

 周りを見渡すと、SNSで話題を集めた為か、この前より明らかに観衆は増えていた。

 今まで路上ライブを聴くために立ち止まったことはあまり無かったので、砂月が路上シンガーの中でずば抜けた実力を持っているかと問われたら判断することができない。

 だが少なくとも、この観衆を惹きつける何かは持っているのだろう。

 実際俺も、砂月の歌声に惹かれて観衆の一部となった身だ。

 砂月の足元に視線を落とすと、この前より少ないもののCDが積み上げられている。

 横に用意されている投げ銭ボックスにはお札もチラホラと確認でき、この調子だとあの金髪によって被った損害は十分回収できるだろう。

 もっとも、あの出来事は中々記憶から薄れてはくれないことは察せられる。お金の問題だけではないことは理解しつつも、俺はひとまず胸を撫で下ろした。


 ──同い年だから、勇気が貰える。


 この前、砂月はそう言った。

 それが真っ当な思考回路のはずだ。

 今日の俺は、素直な気持ちで砂月の歌を聴くことができている。

 就活から離れて、心を休めているからだろう。これが就活サークルの飲み会に参加した帰り道であれば、きっとこんな気持ちにはなれなかったはずだ。

 友達の面接成功談。

 内定した会社の話。

 そんな話題で素直に笑っていられるほど、俺は自分の気持ちを切り替えることが上手くないらしい。

 浅見さんの気遣いがなければ、この休日も暗鬱たる気分になっていたに違いない。


 観衆の拍手で、俺は思考から引き戻された。

 砂月は観客に路上ライブを締める挨拶をしている。

 歌声によってもたらされた心地良い空間は、俺の思考を随分と捗らせたようだ。

 到着した途端に終了したライブに驚いている内に、観衆は疎らになっていく。

 何人かは砂月と握手をした後、CDを購入していく。

 その際砂月は嬉しそうに名前を訊き、一人一人にサインを書いていた。


「いつかオークションで高値で売れるようになるからね!」

「いやいやずっと取っておきますって!」


 砂月と観客の会話が聞こえてきて、微笑ましい気持ちになる。

 手売りのCDは俺が眺めている間になんだかんだと十枚以上売れていき、観衆がいなくなるまではかなりの時間を要した。

 砂月はやっと俺に近付いてくると、口を開いた。


「来てくれてありがとね」

「いや、聴きにきたというか……」


 ネットライターの取材。

 あの出来事が更に拡散されることを防ぐために来たのだが、それらしき人間がいた様子はなかった。

 訊くかどうか迷っていると、砂月は口角を上げる。


「取材は断ったよ?」

「え?」

「ああいう記事書いてもらったら、また来てくれるかと思って」


 砂月は機材を片付けながら、こともなげに言った。


「実際、名刺渡したのに連絡くれなかったし」

「そんなの、どの面下げて連絡すりゃいいんだよ」


 初対面の食事の際、身勝手な理由で途中退室したのだ。

 俺が逆の立場なら、そんな人に二度と会いたくない。

 だが砂月は困ったような笑みを浮かべて言った。


「ねえ忘れてない? 私、助けてもらったんだけど」


 その言葉で、やっと自分の立場を理解する。


「あー、そうか。そうなるんだな」


 結果的に助ける行動になっただけだ。

 その行動を取るきっかけとなった思考は、自分でも嫌気がさすもの。

 だから正直、お礼をされるようなことをしたという自覚も薄かった。


「ぶっちゃけ、助けたつもりはないんだ。だから、もういいからな」

「んー、あなたに助けるつもりがあったかなんて関係ないよ」

「へ?」

「だから今日もご飯奢らせて」

「いやどんな理論? 俺本人がいらないって言ってんだけど」

「じゃあ行こっか」

「話し聞け待て!!」


 スタスタと歩き出す砂月を、思わず追い掛ける。

 ここで付いていかないと、再度大きなツールを利用され呼び出しをくらうような雰囲気を感じ取ってしまった。

 ネット記事で現場へ呼び出される人なんて、そうはいないだろう。いてたまるか。


「なあ、待てって。分かった、今日だけ付き合うから一つ約束してくれよ」

「なに?」


 砂月は立ち止まって振り返る。


「やだ」

「まだ何も言ってねえ!!」


 俺が声を上げると、砂月は肩を竦める。


「だって、今日で会うのを最後にしようとか言うつもりなんでしょ。結果的にそうなるならいいけど、事前に約束するなんてバカみたいじゃん」

「お前……助けられた側ならもうちょっと言葉選べっつーの」

「あ、やっと自覚芽生えた? じゃあそういうことで」


 砂月はニコリと笑って、機材の入った大きめのリュックを背負い直し、再び歩き出した。


 ──初対面の時も思った。


 端正な顔に似合わず、強情な女。

 だが今、その認識を改めた。

 雨宮砂月は、超のつく強情な女だ。

 俺は仕方なく付いていくことにして、砂月が両手にぶら下げているCDの入った袋を手に取る。


「やっぱり良い人じゃん」

「うっせ」


 女が見るからに重い荷物を持っているのに、男が手ぶらなんて世間体が悪い。

 俺が荷物を持ったのは、ただそれだけの理由だ。

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