第2話 サラリーマン風情

「止めろ」


 若者グループと路上シンガーの間に割り込み、声を上げる。

 自分のものじゃないみたいな声色に、心の中で苦笑いした。


 ──本当に、ガラじゃない。


「なにお前? 俺ら間違ったこと言ってねえんだけど」


 グループの一人、髪を金に染め上げた威圧感のある男が、俺の胸ぐらを掴み上げた。

 ワイシャツのボタンが一つ外れて、地面に落ちる。


「条例違反だろ、路上ライブは。警察にチクッて優しく退去してもらうより、俺らみたいなやつがガツンと言ってやった方がコイツも懲りるんだよ」


 細い切れ目で、俺の背後で座り込んでいるであろう路上シンガーを一瞥する。

 俺も視線を路上シンガーの方へ投げると、彼女は『シンガーソングライター雨宮あまみや砂月さつき、五月末までにCD300枚売り上げに挑戦中』と記載された看板を大事そうに抱えている。

 その傍には、一枚の書類が落ちていた。


「……お前は間違ったこと言ってるよ」


 俺の言葉に、金髪の男は「ハァ?」と笑う。

 若者グループがニヤニヤとこちらを眺めているが、俺はこの場を切り抜ける活路を見出していた。

 といっても、一縷いちるの望みではある。


「ここ、許可があればライブができる場所だから。問題は、雨宮さんが許可を得ているかどうかだけど──」


 そう言うと俺は、胸ぐらを掴んでいる手を払い、屈んで書類を拾い上げる。

 内容を少しだけ確認し、小さく息を吐いた。


「──大丈夫みたいだな。この人、ちゃんと許可得てる」


 その言葉で、周りからヒソヒソと「じゃあ良いじゃん」「何のために出てきたの?」という声が聞こえ出す。

 若者グループが戸惑った様子を見せたので、俺は畳み掛けるように言葉を放った。


「それで? 条例っていう後ろ盾を失ったお前らに残るのは、人様のCDを蹴散らした犯罪者っていうありがたい肩書きなんだけど」


 そこまで言うと、充分なようだった。

 恐らくは派手な騒ぎを起こしても相手が条例を違反しているから大丈夫だという、安直な思考回路だったのだろう。

 金髪は俺を睨み付けたあと、その場を立ち去ろうとする。


 背中を向ける金髪に安堵して、目を逸らしたのが甘かった。


「サラリーマン風情が、偉っそうに!」


 腹に強い衝撃を感じた時には、俺は地面に寝転がっていた。

 周りの喧騒が大きくなり、頭がグラグラと揺れている。

 ガラにもない事をしたツケだろう。

 鈍った身体に重い一発を食らってしまった俺の頭には、先程の一言が反芻していた。


 ──サラリーマン風情、か。


 ……それになろうとしてるんだけどな。

 三ヶ月前までは、なれると疑っていなかった。

 皮肉にも今の現実は、内定を一つも貰っていない就活生。

 今までは、学生という肩書きが常に付き纏っていた。

 だがこのまま内定がないまま時が経つと、俺の肩書きは無くなってしまう。

 時に煩わしさも感じていたこともあった学生という肩書きも、失うまで一年を切った今となっては惜しくて仕方ない。


「ねぇ、大丈夫ですか? ちょっと!」


 身体を揺らす声に、意識が覚醒する。

 上体を起こすと、周りの人集りは一層大きくなっていた。


「大丈夫ですか……? その、救急車とか」


 雨宮砂月が、俺を覗き込むようにして心配している。

 間近で見ると、彼女は本当に整った容姿をしている。

 遠目で見ていた時は美しさが第一印象にきていたが、大きな瞳で眉を八の字にしているところを見ると可愛らしいとも思えてしまう。


「あの……」


 無言の俺に少し困ったように、こちらを見つめる。

 こんな子に失敗してほしいという考えが一瞬でも過ったことを恥じた。


「いや、いい。考え事してただけだから」


 立ち上がり、蹴られたであろう部分に付着した汚れを払う。

 ふと周りにいる人を横目で見ると、何人かがこちらにスマホをかざしていた。


「俺行くから」

「えっ、待ってください!」


 転がっている鞄を拾い上げようと伸ばした手を止めて、振り向く。

 雨宮砂月より先に視界に入ったのは、散らばったCDだった。

 ……100枚程度だろうか。

 中には割れてしまっているものや、傷が付いてしまっているものが見受けられる。

 彼女はこれからどんな想いでこれを拾い、片付けるのだろう。

 何事も無かったように、周りにいる人たちに向けて再度歌ったりするのだろうか。


「……手伝うよ」


 割れたCDを手に取り、整理していく。

 周りにいた集団の何人かが手伝いにきて、やがて殆ど全員が参加してきた。

 掌のザラザラとした感触が、嫌にハッキリと伝わってきた。


 ◇◆


「ご飯奢らせてください」

「だから、いらないって」

「それじゃ私の気が済みませんから」


 雨宮砂月は、端正な顔に似合わず、強情な女だった。 

 結局あの場を離れた俺は、帰宅しようと最寄り駅へ歩いていたのだが、後から走って追いついてきたのだ。

 路上ライブ用の機材などを担いで、手にはCDや告知用のパンフレット。

 そんな人とスーツ姿で歩いていたら嫌でも目立つ。


「ほんとに気にしなくていいから」

「でも──」


 雨宮砂月が何か言おうと口を開いた時、大きな腹の虫が鳴った。

 俺ではなく、雨宮砂月の腹の虫だ。


「……ご飯が食べたいだけでは?」

「そ、そんなことないです!」


 雨宮砂月が、少しむくれる。

 先程の印象通り、恐らく年は近い。

 そしてとんでもなく可愛いのだが、今は色々と重なってお酒を飲む気分ではない。

 蹴られた腹はジンジンと痛むし、何より今日終わった面接の振り返りもしておきたい。

 ……大手企業の二次面接。

 手応えは上々だったものの、自分の発した言葉に誤りが無かったか、事前に提出していたエントリーシートと齟齬が無かったかどうかだけで確認する予定だった。

 例えその行動が面接の結果に関わることがないと知っていても、今後のためにできることをやっておきたい。

 だが、お礼の誘いを蔑ろにするのは今更ながら気が引けた。


「……酒が無いところなら良いよ」


 結局そんな返事をしてしまう。


「……良かった!」


 雨宮砂月は安堵したように口元に弧を描く。

 就活の息抜きとしては、まあバチも当たらないだろう。

 俺はスマホをポケットから取り出し、近くにあるご飯屋さんを調べようと電源を入れた。

 デスクトップが光ると同時に、就活グループの通知が次々と降ってくる。

 内容は今週土曜日に開かれる予定の、就活お疲れ飲みの話だ。

 俺は心の中で息を吐き、通知設定をオフにした。

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