第10話 訪問
「まじで、教えてほしいことがあるんですけど」
ビールを数杯飲んだ後、俺はグラスを勢いよくテーブルに置いた。
浅見先輩が少し困ったように笑った後、「ん?」と反応する。
「浅見さんどーやってあんなに沢山内定貰ったんですかっ」
そう言って俺は、酔いが回って重くなった頭をテーブルに預ける。ゴトンという音がして、それが自分の起こした音だと気付くまで数秒掛かる。
「だめだ、酔った……」
「空きっ腹にそれだけ流し込めば、そりゃねぇ」
浅見先輩がインターホンを鳴らして店員を呼んだ。
遠くから、お会計を済ませる浅見さんの声が聞こえてくる。
──頭がグラグラする。
俺は今日、初めて浅見さんと二人でご飯に行った。
そして数杯で酔い潰れた。我ながら何とも情けない話である。
普段なら七、八杯程度でも足取りはしっかりしているのだが、今日に限ってこのザマだ。
浅見さんの言った通り、空きっ腹に一気に酒を流し込んだことが原因だ。
そんなことは分かっている。
「ほら、行こ?」
「はーい……」
「勇紀のこんな姿、私初めて見たよ」
「俺も自分にこんな姿があるなんて思わなかったです」
ゆっくりと腰を上げ、俺は居酒屋から外へ出る。
この前就活サークルの宴の場となった居酒屋より、いくらかお洒落なお店だ。
酔い潰れる直前まで酒を飲む人なんて、本当に少数だろう。
浅見先輩に恥をかかせるところまで飲まなくてよかったと、おぼつかない頭で思う。
「あっ、お金」
浅見先輩に代金を払ってもらっていたことを思い出し、鞄を弄って財布を取り出す。
だが、浅見先輩は首を横に振った。
「いいの。色々あったんでしょ」
その言葉で、俺は思わず俯いた。
──飲まずにはやっていられなかった。
浅見先輩が予約したお店で食べるご飯と、二人の時間。今日という日を、俺は少なからず楽しみにしていた。
金曜日なので、ひとまず嫌なことを忘れて楽しい時間を過ごすことができる。
そんなことを考えていた待ち合わせ時間の直前に、一通のメールが届いたのだ。
『この度は弊社選考にご応募いただき、誠にありがとうございます。今回の選考につきまして、社内で慎重に検討しました結果、誠に残念ながら今回はご期待に添えない結果となりました。末筆になりますが、新田勇紀様の今後益々のご活躍をお祈り申し上げます』
絵に描いたようなお祈りメール。どこかのテンプレートをなぞったような、見慣れた文面。
そう、文面自体は全く見慣れたものだった。『今回は』ってなんだよ、次回がないからお祈りメールなんだろ、などというツッコミを心の中で唱える余裕すらありそうなものだった。
だが問題は、送り先が三次面接に進んだ企業だったというところだ。三次面接さえ突破すれば、最終面接に進むはずの、第一志望群の大企業。
ネットに書き込まれていた就活生用の口コミによると、あの企業の最終面接は意思確認の目的が大きい。
要するに、本当に手を伸ばしたすぐ先には、内定が見えていたのだ。
それが、途絶えた。
あまりにも呆気なく、たった一通のメールでリセットされた。
またやり直し。説明会参加から、やり直し。
まだ選考が残っている企業も、最も進んでいる選考が一次面接の結果待ちだから、本当に後がない。
そんな考えからお酒で逃避しようとしたところ、ハイペースで飲んでしまったのだ。
「就活って大変だよね」
「そうですね。なんか擦り切れていく感じがします」
「うん、うん」
浅見先輩はコクコクと頷く。
「辛い時期って分かってたからこそ、なるべく楽しい時間にしたくて就活サークル作ったんだけど」
「最初は楽しかったですよ」
合同説明会に皆んなで参加して、同じ説明会を受けて所感を話し合ったり。違う説明会を受けて、情報を共有したり。
内定という同じ目的のために友達と動く時間は、悪くなかった。
受験勉強の時のような、お互いを支え合う、そんな感覚だった。
だが、両者は似ているようで全く違ったのだ。
受験で結果が出る時期は、比較的皆んな似通っていた。
ところが就活で結果が出る時期は皆んなバラバラで、早ければ早いほど良い勝ち抜けゲーム。
内定が出ても就活を続ける人はいるが、一つも保持していない就活生からすると別次元の話だ。
受験は団体戦。就活も最初の時期は、受験以上に団体で行動することが優位に働いた。
だが就活はある時期を越えると、一抜け、二抜けと人が去っていく。
そしてその頃には、目指していた企業たちが選考を締め切り始める。
受験で落ちる時には、点が足りないという明確な理由があった。
だが面接で落ちる理由は、分からない。
自己分析により推測することはできても、その答えは選考一つ一つによって変化する。
共通しているのは唯一、その企業が自分を必要としていないという事実だけ。
そんなことを考えるようになった頃には、就活はとっくに苦しいものへと成り果てていた。
「ねえ、終電まだあるかな?」
唐突に、浅見先輩が問い掛けてきた。
腕時計を確認すると、まだ二十二時。電車は日を跨いでもまだ何本か通っているので、愚問だと思う。
「あるに決まって──」
「んん、よしよし、ないね? そっかぁ、じゃあ仕方ないかな」
浅見先輩は俺の答えを聞かないまま、スマホで何かを調べ始める。
何をしているんだろうと思いながら、少しでも酔いを冷ますために夜空を見上げた。
街の明かりで、空にあるはずの星は殆ど確認することができない。
「勇紀」
「はい」
「私の家行こっか」
「はい。……はい!?」
酒で聴覚がおかしくなったのだろうか。
俺は思わず耳を疑った。
◇◆
「……ここが、浅見さんの家?」
「うん、そうだよ」
案内されたのは、俺が住むには綺麗すぎるマンションだった。
俺が住むアパートと比較すると何もかもが輝いて見える。
とても社会人二年目が住むような部屋があるとは思えない。
「家賃たっかそう……」
「高いねぇ。お仕事頑張らなくちゃ」
そう言って浅見先輩はエレベーターのボタンを押す。
静かな音で一階に降りてきたエレベーターに乗り込むと、内装も小綺麗だ。
オフィスビルのような速さで九階まで上がると、またドアが開く。
906号室が浅見先輩の部屋だった。
俺のアパートと違った重厚なドアの前で、浅見さんは一旦止まった。
「鍵が空いてる」
「……え?」
頭の中に泥棒の二文字が浮かぶ。
マンションはオートロックだったが、何が起こるか分からない世の中だ。
「浅見さん、今日鍵閉めたんですか?」
「閉めたはずなんだけどなぁ」
ならば、警戒するに越したことはない。
俺が浅見先輩の前に立ち、ドアノブに手を掛ける。
ドアを勢いよく開く瞬間、後ろから浅見先輩の「あっ」という声が聞こえた。
間の抜けた声色を疑問に思うのも一瞬で、答えは目の前に広がっていた。
玄関先の廊下を突き抜けた先にはリビングが広がっており、そこには無防備な下着姿をした女子が──
「ああ、お姉ちゃん──、えっ?」
そう言った女子は、この前出会った路上シンガー。
雨宮砂月、その人だった。
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