フール・ビビッド・アンモラル
日々曖昧
忘れられるべき街
ハンバーガー・ファースト
廃ビルの群雄割拠、張り巡らされた電線網を掻き分けるように少女はコンクリート製の歩道を駆け抜けていた。
少女が走り始めたのはどれくらい前だったか、もう当の本人さえ定かではない。その足取りは少しずつだが、確実に重くなっているようだった。
「危ない危ない。もうちょっとでゴミ袋に叱られるところだった」
少女の様子を見た地下街の人間は、彼女が何者かに追われているのではないかと不審がり、小柄な人影が横切るのと同時に次々と窓のカーテンを閉めた。
「バカ共、辛気臭い顔してるからろくな事が起こらないんだよ」
少女はいつも通りの光景に溜息混じりの呆れた声を漏らした。
彼女はそれから暫く走ったところで足を止めた。それは疲労からではなく、無事に目的の場所に着いたからだった。彼女にしてみれば、無事と言うべきかは悩ましい所ではあったが。
「ゴミ袋、今帰ったよ」
そう言いながら、少女は肩からかけた、彼女の背丈から考えると少し大きめの鞄を乱雑に積み上げられた段ボールの山に投げた。茶色い山岳が雪崩を起こし、周囲に年季ものの埃が舞った。
「チビよ、もう少し静かに帰れないか」
今日も変わらず消えかけの電光掲示板の上に、彼女の雇い主は鎮座していた。
彼の頭には黒いゴミ袋が被さっており、少女はその下の素顔を見たことがなかった。ただ分かっているのは、この地下世界で唯一信頼を置けるのが、このゴミ袋を被ったスーツ姿の男だけだということだけだった。
「なんだよ、お前までそんなみみっちいこと言うのか」
少女はゴミ袋男の発言に口を尖らせた。
「やあ、やけに今日は気が立ってるんだな」
そう言うとゴミ袋男は少女の苦言を気にも止めていない様子で潜み笑いをした。
「ところでチビよ、目当てのモンはそこにあんのかい」
ゴミ袋男は踵で電光掲示板を蹴るようにしてその腰を上げると、少女の立っている方に歩み寄った。彼の履いている底の削れたスニーカーが床に散らばったガラス片を踏んで軽やかな音色を奏でた。
「なあ頼むよ、俺の耳にいい報告ってやつを聞かせておくれ」
少女の横幅五人分はあろうかという大きさの両腕を広げてゴミ袋男は言った。
「はいよ、今日の成果」
少女はそう言いながら、腰に巻いたベルトに掛かった幾つかのポーチの中の一つに右手を当てて呟いた。
「『いらない』」
彼女の声に反応するようにポーチが開き、その中から明らかにポーチよりも大きな布袋が飛び出した。
「おいおい、中々に大量だな。しかもこれは数年ぶりに見るハンバーガー屋のロゴじゃないか」
ゴミ袋男は嬉しそうな声を上げて少女の頭を大きな掌で覆い、数回軽く叩いた。
「よくやったぞチビ。実はハンバーガーってのは、俺の大好物なんだよ」
「そうかい。この前はクラッカーが好きって言ってたけど」
「俺は博愛主義なんだ」
さも軽薄にそう言うと、ゴミ袋男は布袋を破らんばかりの勢いで中を確認した。
「どれどれ……」
布袋の中を見た瞬間、彼のゴミ袋から唯一覗いた両目は真ん丸に開き切り、それからすぐに萎んだ。
「ああ? なんだこれは?」
袋の中いっぱいに詰め込まれていたのは、ハンバーガーのバンズの部分だけだった。
「ああ……なんてことだよ。肉の挟まってないハンバーガーなんて、レタスのないサンドウィッチと同じじゃねえかよ」
ゴミ袋男は袋からひと握り分のバンズを取り出し、それを握りしめながら嘆いた。
「レタスなら、二日前に盗ったやつがまだあるぞ」
「んん? お馬鹿かお前は。サンドウィッチなんて海苔を巻いてない握り飯みたいなモン、俺が食べるわけないだろう」
サンドウィッチと比べたらまだバンズだけの方がましだ。そんなことを言いながらゴミ袋男は、歪な形に変形したバンズを手に握ったまま頭のゴミ袋の中に突っ込んで咀嚼を始めた。
「博愛主義じゃないのかよ。相変わらず気持ち悪いな、あんた」
ゴミ袋男の食事シーンを冷ややかな目で見ながら、少女も布袋からハンバーガーのバンズを一つ取り出して小さな一口を含んだ。
「チビよ、それはどうい」
その時、少女の発言に対して反論をしている途中だったゴミ袋男の体が吹き飛んだ。
ゴミ袋男の体は二転三転と地面を転がってから、先程まで彼が座っていた電光掲示板にぶつかって止まった。
「……誰?」
少女が目を向けた先には、継ぎ接ぎのマスクを付けた男が立っていた。男の眼球は右と左が両方あさっての方向を向いており、口からは壊れた蛇口のように大量の涎が垂れ流されていた。
男は猫背で、両手を力なくだらりと下げたまま呟く。
「ヒトをクウのはヤメラレナイヨ。ヤメラレナイヨねえ?」
片言の日本語。そんな表現がぴったりな喋り方の男は、少女の方を向いて首を傾げた。そして次の瞬間、地面を蹴る音と共に男は少女へ飛びかかった。
「ヒトをクウのはイイよ! ヤメラレナイから!」
男は人間の形をしていたが、その動きは明らかに人の範疇を外れていた。少女がぱっと見ただけでも、複数箇所の関節が有り得ない方向に曲がっていた。
「……ドリーマー」
少女は知っていた。彼がもう既に、人間の形をしているだけの化け物だということを。
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