ハンバーガー・フォース
頭上のマンホールの入口が小さくなったころ、ダストのスニーカーが地面を捉える音がした。その音に続いて、千早も梯子から飛び降りる。水気を含んだ空気を吸い込むと、生乾きの洗濯物のような、湿っぽい臭いが鼻をついた。
「ここ、あんまり得意じゃないんだよな……」
「得意なやつなんかそうそういないさ。望んでこんなところにいるやつも、同じくな」
ダストはいいながら、錆びて茶色に変色しているドアノブを回した。呼び鈴代わりの空き缶がカラカラと乾いた音を出す。ガラクタだらけの室内には、何年前のものかも分からないブラウン管テレビが音飛びしながらニュースを流していた。
「鵜鯉じいよい」
部屋の奥に向かってダストは大きな声で呼びかける。すると三秒と経たないうちに、大きな襖の向こうからしゃがれた返事が返ってきた。
「はいはいはいはい。この窓ガラスが割れそうなモーニングコールはダストさんだねえ」
襖がゆっくりと開き、白髪の老人がのんびりとした動きで台所に向かう。彼こそが鵜鯉白春、地下街の更に地下に住む老人だ。御歳七十七歳、現状アンダーにおいて最年長の名を冠している変わり者である。
「今日は千早ちゃんも一緒かい」
鵜鯉は棚から茶葉の入った缶を取り出して、三人分のカップを用意しながらいった。彼に促されるままに、ダストと千早は継ぎ接ぎだらけの古いソファに腰掛ける。
「おはよじいちゃん」
「また背が伸びたのかい。若いねえ」
まるで本物の孫を見るようにしみじみとした目をしながら、鵜鯉はティーポットから深い茜色の紅茶を注ぐ。千早は彼のいれる紅茶が堪らなく好きだった。
「外面だけ大きくなると、中身の幼稚さが浮き彫りになるがな」
ダストはそんな皮肉をいってから、誰よりも早くカップに手をつけ、音を立てて紅茶を啜った。千早の視線に込められた鋭い殺意には、例のごとく一瞥もくれない。彼はあっという間にカップを空にすると、スーツの内側から、どこかで見覚えのありそうなバーガーショップの紙袋を取り出して机の上に置いた。それが普通に購入されたものでないことは誰が見ても明らかだった。
「ああ、これは……」
鵜鯉は声を震わせながら、ダストが置いた皺だらけの紙袋を手に取った。大切な我が子でも抱くようなその所作を、千早は何も言わずに見つめていた。
「本当にいつも助かるよ。情けない限りだ」
「気にしなくていい。拾ったみたいなもんだからなあ」
千早は、鵜鯉が抱いている袋の中身を知っていた。そしてそれが、彼にとって必要なものだということも。
「……時にダストさん、骨奪いの話は耳に入ってるかい」
ダイヤルの文字が霞んだ電子レンジの上に紙袋を置き、神妙な面持ちで鵜鯉は尋ねた。骨奪い。聞き慣れない単語に千早は眉を顰める。ダストの方は、表情が読み取れないのでなんとも。
「なんだそれは。カルシウム中毒者みたいなもんか? そんな中毒は聞いたこともないがな」
「いやいや、名前の通り、そいつは人間の骨を奪うのさ」
「骨を奪う?」
鵜鯉の奇妙な言葉に、思わず千早は横から口を挟む。
「千早ちゃん、この辺の裏通りが廃人通りと呼ばれてることは知ってるね?」
千早は深く頷いた。廃人通り、悪夢に呑まれた人間の行き着く先。正気も失えず、といって人食いの欲望も抑えきれない、人でも化け物でもない者が逃げてくる場所。千早は以前ダストからそんなふうに教わっていた。
「最近、廃人狩りが起きてね。初めはお巡りの奴らかと噂されてたんだが、どうも死体の様子が明らかにおかしい。この二・三日で死んだ奴の死体からは、一本残らず骨が抜き取られていたんだよ」
鵜鯉が語る珍妙な事件の概要に、ダストは何か考え込んでいるかのように腕を組んで黙っていた。
「骨を抜き取るって、廃人狩りをしたやつはわざわざ死体を切開したっていうのか?」
千早は質問を重ねる。
「いや、切られていたのは二人とも上腕を一箇所だけらしい。左右の違いはあったかな。死因もおそらくは撲殺、骨をどうやって抜いたのかは、誰にも分からないって話さね」
鵜鯉は語りを終えると、ダストの方に視線をやった。先の彼はまだ何も発さずに俯いている。
「ダストさん、あなたならなんとかしてあげられるだろう?」
「……」
沈黙を続けるダストに、千早は少しの疑念を抱く。普段の彼であれば、意気込んでその怪奇事件を解決しようとするはずだった。奇妙なものや不条理なものは、彼の大好物だからだ。
「ちょっとゴミ袋……」
千早がダストに声をかけようとした時、三人が囲んでいるテーブルの上に手榴弾のようなものが飛んできた。宙を舞ったそれが着地する直前に、鵜鯉と千早の体を真っ黒な何かが攫う。
それは何者かによる襲撃にほかならなかった。
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