ポリスメン・サード


 翌日の朝、警察寮の窓から差し込む極めて人工的な明かりで一葉は目覚めた。アンダーに太陽が登らないことで生じる生活リズムの乱れ。それは多くの同僚の苦言の種になっていたが、彼にとっては生まれた時から絶えず浴び続けている何も違和感のない太陽の光だった。

 窓を開け、遠目に輝く浮沈の太陽を薄目で見る。人工物の寄せ集めの明かりだと理解していても、一葉は自然に体が覚醒していくのを感じる。


 一宮一葉は生まれ育ったこの地下街を愛していた。それはもう、病的な程に。


 真四角の鏡の前で歯を磨きながら、一葉は昨日の愛中の話の続きを思い出す。


「ヒトヒラは地下街の顔見知りも多いし、きっとあっという間に情報も集まるよ」


 骨奪い。廃人狩り。その二つの単語を聞いた時、既に一葉は最初に訪ねるべき場所を思い浮かべていた。


 三番街の外れに位置する廃人通りの地下、つまりこの地下街の更に深層に住む変わり者の老人、鵜鯉白春。滅多にマンホールの中から姿を現さないにも関わらず、彼はあの辺りの事情に誰よりも詳しかった。

 警察官の制服を着てあの裏通りに足を踏み入れるのは得策ではない。いくら一葉がアンダー出身であるとはいえ、それを知らない人間から見れば、また国の犬が『暇潰し』に来たと勘違いする可能性が高い。


 一葉は黒い長袖シャツに着替え、キャップを深めに被って寮を出た。廃人通りに行くというのは、誰に悟られても得するものではない。

 アンダーにおける警察組織とは、つまるところ監視官のようなものだ。地下街に住む彼らが地上に対して害をなさないか、黙認できないほど巨大な組織を作り上げてはいないか、それとエトセトラ。とにかくまともな法律もないこの街において、治安維持なんていう高尚なものは存在しない。


 治安の為に働かない警察が何を始めるか。それは想像に易い。地下街では拗れた価値観による私刑行為が横行していた。

 一宮一葉がアンダーの警察官となったのは、そういった横暴な正義から生まれ育った土地の人間を守るためだった。

 彼が願うのは、人権すら存在しない、このアンダーという街の人々の民意が侵害されないこと。にわかに信じ難い信念だが、何一つ持っていないこの街の住民を、彼は一人で守ろうとしている。それが自分の産まれた理由とさえ言い切ってしまえるほどに、彼はアンダーという街を愛していた。


 なるべく人目を避けて歩きながらも、一葉は街の様子を事細かに観察していた。たった一つだけピースのずれたパズルが大きくその形を歪ませるように、件の骨奪いという殺人鬼が現れた廃人通り周辺は、明らかに空気が張り詰めていた。それは普段のアンダーの様子を熟知している一葉でようやく分かるレベルの些細な変化ではあったが。


 そして目的の場所に着いた一葉は、とんでもない違和感に遭遇する。


 薄暗い路地裏の更に奥、大きなマンホールの下に鵜鯉白春は住んでいる。

 一葉は何度か彼の元を訪れたことがあるが、こんなふうに蓋が開きっぱなしになっていたことは一度もなかった。それどころか、鵜鯉白春という老人の慎重さを知る人間であれば、この無防備に晒された大穴がどれだけ不自然なものなのかは理解に易しい。少なくともこの状況は鵜鯉本人によるものでは無いことは明らかだった。

 即座に一葉は最悪のケースを想定する。仮に愛中のいっていた廃人狩りが鵜鯉白春の存在を知っているのなら、彼はまず殺しておきたい人間の一人だろう。廃人通りを知り尽くす鵜鯉は、廃人狩りにとって自分を一番知っている人間になりかねない。とするならば、今この瞬間に鵜鯉白春が襲撃に遭っている可能性はゼロではない。事実、かつて見た事のない違和感が目の前に存在している。


 そこまで考え至ると、一葉はぽっかりと地面に開いた穴の中に飛び込んだ。静かに、音を殺しながらも迅速に鉄製の梯子を降りる。潜るにつれてだんだんと、穴の奥から人の声のようなものが聞こえてきた。一葉は冷静さを保ちながらも、奥にいるのが鵜鯉白春一人ではないことを確認する。


 少しして、地面に足をついた一葉は腰のホルダーから手榴弾型の催涙ガスを右手に持った。分厚い扉越しで内容までは聞き取れないが、中にいるのは鵜鯉を含めても三人。一葉が一度に制圧できる人数ぴったりだった。

 深く息を吐き、一葉は心を静める。頭の中で三つ数えたあと、僅かに開けた扉の隙間から、彼は右手に持った筒状のそれを投げ入れた。

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