ボーン・シックス
地下街の夜は深い。不沈の太陽の灯りは既に消え、一葉と桜丘にとっては、点々と置かれた街灯の白い光だけが頼りだった。
ここまでコンディションの悪い状態でも二人が日を改めようとしないのは、もはや半分意地のようなものだった。一葉も桜丘も、互いにパートナーを襲われている。半身を失った獣は、もはやその命が尽きるまで足を止めない。
「あてはあんのかよ、ヒト」
「一さんが最初に飛び出したんじゃないですか」
「っせえな。あんなんその場の勢いっつうか、そうしなきゃどうにもなんなかったっつうか……」
「もういいです。言いたいことはわかるので」
「んで、あては」
またそこに戻るのか。一葉は呆れを表情に出さないように気をつけつつ、桜丘の問いに対する答えを練り上げるために頭を回転させる。
先ほどの傷は塞がっているとはいえ、さすがの一葉も疲労が蓄積していた。今から三番街をしらみ潰しに探すような非効率な行動は現実的ではない。
錆び付いた脳に鞭を打ち、一葉はなんとか一縷の望みを見出した。
「廃人通りに行きましょう」
先日訪れたばかりのその場所で、用があるのはただ一人だった。
「じいさん、鵜鯉じいさん」
地下街の中でも、最も薄暗く、最も人間の臭いの強い廃人通りの最古株である鵜鯉白春。
結局のところ、彼の元にあらゆる情報が集約する事実は変わらない。既に混沌と言ってしまって過言ではない現状についても、彼であれば何かしらの助言をくれるかもしれない。一葉の選択の裏には、そんな希望的観測があった。
「ジで突然マンホールの中に入ろうとか言い出しやがるから頭でもおかしくなったかと思ったが、こんなところに家があんのかよ……」
鵜鯉の隠れ家を前にして、桜丘は驚きと呆れの混じったような声を漏らした。無理もない、と一葉は思う。しかし彼は、地下街で、それも廃人通りで暮らしていくということがどういうことかを知っていた。地下街出身である一葉にとっては、この場所さえ、安全からは到底遠いように思える。
ともあれそういう前提を抜きにして考えれば、とても初老の鵜鯉の住むような立地ではない。まあそれも、鵜鯉白春の置かれた本当の状況を鑑みれば、簡単に覆ってしまう杞憂ではあるのだけれど。
「れにしても、人間の気配なんかこれっぽっちも感じねえんだが?」
一葉が鵜鯉の隠れ家に続く扉のドアノブに手をかけるのと同時に、桜丘はふとそう問いかけた。桜丘は完全に本能型の人間であり、一葉も、彼のこういった感覚の鋭さは理解していた。そんな彼にして、人間の気配が全くしないと言い切らせるほどの静けさ。
気味の悪い予感が背筋に走り、一葉は再度、十全に気を張った状態で鉄製の扉を開いた。ギイという音は短く、何にも反響しないまま消えていき、一葉と桜丘が踏み込んだ室内は、見るも無惨に荒らされていた。
「んだよこれ……」
横倒しになった机、割られた食器やブラウン管テレビ、それら全てがこの部屋で起きた事象の異常性を物語っていた。
「誰だ……いつこんな……」
一葉は激しく焦る。意識を集中させるが、鵜鯉のリンクは切れていない。ということは、襲撃者の目的は彼の身柄を拘束することだろうか。一体なんのために?
答えは決まっている。自分たち地下警察に情報を与えないためだ。実際のところ、鵜鯉と面識がある地下警察は一葉を除いて他にはいない。
一葉の推理は深度をを増す。
それなのに、ピンポイントで彼を狙えたのはなぜだ。それも、まるで一葉がここに来るのを分かっていたかのようなタイミングで。しばらく考えた後に一葉は、自分、もしくは鵜鯉と日頃から面識のある人間による犯行である可能性が高い、という推察に行き着いた。
そのどれもに該当するのはあのゴミ捨て場の二人組だが、先の死闘の痕跡を見るに、まずは保留しておいていい容疑者と言えるだろう。
「ったくよお、人様の家をこんなふうにしていい道理はねえだろうに」
桜丘は嘆かわしい声で呟きながら、横倒しになっていた机を元に戻す。本来の警察という立場からすれば犯行現場に手を加えるという行動は全くの論外であるが、ここは地下街の更に地下、到底法の及ばない場所である。
一葉も、桜丘の人となりが分かっているがゆえに口を出さなかった。
「……あ?」
そしてこういう常識外れの行動は、時として思わぬ副産物をもたらす。間の抜けた声を上げた桜丘の元に一葉が歩み寄ると、その視線の先には一冊のアルバムが広がり落ちていた。
「んだ? 鵜鯉ってじいさんには家族がいたのか?」
桜丘は、開かれたページのちょうどセンターに配置された写真を指さす。そこには、少しばかり若いが、確かに鵜鯉白春と思わしき男性が、十代半ばごろの少女と肩を組んで笑っていた。背景からして、この部屋で撮られたものだった。
「……どうなってるんだ」
一葉は戦慄する。
その、鵜鯉の隣にいる少女は、先ほどゴミ捨て場で倒れ込んでいた女と同一人物にしか見えなかった。
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