第44話歓迎されない来訪者④

 まさしく両者一歩も引かず。

 食うか食われるかな対峙を息を殺して見守っていると、「お葉都ちゃん」と呼ぶ声が響いた。カグラちゃんだ。


「厨房で渉のお手伝いをしてもらってもいいかな? 渉、分かってるね」


「は、はい! それではすみませんが、俺は下がらせていただきます。お葉都さん、行きましょう」


 力強く頷いて促す渉さんに、お葉都ちゃんは戸惑いながらも「はいっ」と立ち上がった。


「失礼致します」と頭を下げて、渉さんと共に上り口から去っていく。

 途端、男は眉尻を下げて、


「酷いではないか藤狐。華がひとつ逃げてしまった」


「あの子はボクの弟子だ。不当に手を出そうってなら、ボクが黙ってないよ」


「藤狐が、弟子を? ……くっはは! なるほどなるほど、どうりであの術は……いや、よく心しておこう。ただ一つ、誤解があるようだ。俺は何も好き好んで"手を出している"わけではない。すべて正当な判断に基づく、正当な手出しだ」


「……よく言うよ」


 嘲笑するカグラちゃんにも、男は笑みを返すだけで「さて」とこちらを向いた。

 視線が合う。え、と戸惑う私へと歩を進め、


「まあ、良い。一番に望む華は残った」


「え……と?」


 戸惑う私の右手を、白い手袋に包まれた恭しい手がすくい取る。


「隠世警備隊が隊長、烏天狗からすてんぐの壱袈という。藤狐と雅弥とは旧知の仲だ」


「隠世警備隊……たい、ちょう!?」


「いかにも。ああ、畏まる必要はないぞ。仰々しい肩書がついているが、所詮は隠世でのこと。現世の住人からすれば、あってないようなものだ。気軽に"壱袈"と呼んでくれ」


 そう言って壱袈は、私の指先に軽く口づけた。


「!?」


 反射的に手を引き――たかったけれど、これが隠世警備隊の挨拶なのかもしれない。

 先ほどの雅弥へのけん制といい、彼はお葉都ちゃんと私の事情を知っている。

 なら、"無礼を働いた"と印象を悪くしては、色々と不利になりそうだし……と手を預けたまま硬直していると、


「……おい」


 低い声と共に、右手が引き戻された。雅弥だ。

 助けてくれたのはありがたいのだけど、分かりやすくイライラしながら、


「何をしている」


「何って……これが隠世警備隊の挨拶なんじゃないの?」


「違う」


 雅弥はぎろりと壱袈を睨んで、


「コイツはただ見えるだけだ」


「ただ見えるだけ……か」


 だが、と。壱袈はくつくつ笑いながらベストの内側に手を遣り、指の先ほどの巻物を取り出した。

 見覚えがある。それは確か、郭くんのお供をした子狐ちゃんが持って行った雅弥の――。


「雅弥。おぬしがこんな嘆願書を持たせるなど、らしくないではないか。ましてや式の"護衛"まで付けてやるとは……にわかには信じられん。だが書面も式も、正しくおぬしのモノ。これは知らぬ間に窮地に陥り、何者かに強要されたのではないかと案じていたのだが……」


 なるほどなるほど、と壱袈は可笑しそうに顎先へ手の甲を寄せる。


「おぬしはめっぽう"華"に弱い」


「あんたと一緒にするな。俺は"祓い屋"として仕事をしているだけだ。落ち度はない」


「ああ、そうだ。おぬしの仕事に落ち度はない。だが、おぬしは変わった。俺は"契約者"として、今のおぬしが契約を結ぶに値する相手か、再度見極めなくてはならない」


 宥めるような声色で告げる壱袈に、雅弥は観念したのか、ぎゅっと目を閉じ不満を飲み込むと、


「……すきにしろ」


 くるりと背を向けて、いつもの席へと戻る雅弥。

 腰を落とし、大きくため息をついてから、


「……カグラ。茶を用意してやってくれ。それと、アンタは厨房に――」


「いや、茶は後ほど頂くとしよう」


「なに?」


 壱袈はゆるりと私を見遣って、


「俺が見極めるべきは、この華よ」


「へ? 私?」


「なっ……!」


 雅弥が驚愕に腰を浮かせる。

 カグラちゃんもすっと両目を細め、いつになく怖い顔で壱袈を睨んだ。

 けれども彼は飄々ひょうひょうと笑んで、


「なにをそう驚く? 道理にかなっているだろう。全ての起因は、この華なのだから」


「お前と"契約"を結んでいるのは俺だ。ソイツは関係ない」


「関係あるかないかは、俺が決めることだ」


「っ、ソイツは何も知らない。お前が見極めるべきモノなど――」


「雅弥」


 制したのは、カグラちゃんだ。

 私の視線を受けると、硬い頬をいつものように緩め、なんだか詫びるような苦笑を浮かべた。


「決めるのはボクたちじゃない」


「カグラっ……!」


「遅かれ早かれ、目を付けられるのはわかってたでしょ? それが、今だったってだけだよ」


 焦りの色を浮かべる雅弥には目もくれず、カグラちゃんは私を見つめたまま、


「巻き込んじゃって、ごめんね。けれど選んでもらわなきゃなんだ。アレの要求に付き合うか、それとも、"無関係"だと拒むか」


「わ、たしが、選んでいいの?」


 もちろん、と頷くカグラちゃん。

 雅弥は制したい気持ちを堪えているのか、渋い顔で唇を引き結んでいて、壱袈はこれまた一興とでも言いたげにニタニタと成り行きを見守っている。


(……さーて。どちらを選ぶのが得策かな)


 壱袈が私の何を見極めようとしているのか、具体的な部分は一切わからない。

 安易に頷き付き合って、自分でも気づかないままに"失敗"してしまえば、雅弥にも影響が出るのは明白。


 この場は"怖い"とヒトらしい理由を叩きつけて、自分は無関係だと逃げてしまったほうが、リスクも最小限に抑えられるんじゃあ。


(……"無関係"、ね)


 ちらりと雅弥を見遣れば、その顔には明らかな焦燥。

 それが雅弥自身の保身のためじゃなくって、たぶん、私の心配をしてくれているんだろうなってわかってしまう程度には、私はここに――雅弥に、入れ込んでいる。


 視線を雅弥の前の机上に落とす。

 置かれたままのスマホには、お祖母ちゃんから受け取って、カグラちゃんに息づかせてもらった鈴。

 お葉都ちゃんが紅をさしていた鏡に、渉さんが用意してくれた緑茶。

 そしてこの耳に揺れるのは、郭くんとの約束の証。

 この全てを"無関係"と突き放すのは、ちょっと、難しい。


「……私は何をしたらいいの」


「ほう、俺の我儘を聞いてくれるか」


 刹那、「まて」と雅弥が声を上げ、


「――っ、アンタ、本当にわかっているのか。ソイツは自身の好奇心を満たすためなら、どんな手も使う相手だぞ」


「竹馬の友を前に、酷い言いようだな」


「事実だろ」


 凄む雅弥に壱袈は肩をすくめつつ、「なんと悲しい」とワザとらしく目元を覆う。が、


「まあ、否定はせんがな。それが俺であり、あやかしの本質だ」


 さて、と壱袈は首を傾け、


「いかがする? 唐傘からかさの華よ。今ならまだ、"やはり間違えた"と退いても構わんぞ」


 ……ああ、なるほどね。向けられた赤い目に、納得。

 そこに映るのは隠しきれない愉悦。

 それもまるで新しい玩具を見つけた子供のような純粋さで、緊迫した私たちとの温度差に、雅弥の忠告を理解する。


 私がどちらを選択するか。

 きっと壱袈にとっては鳩が出るか杖が出るか程度の違いで、この選択に惑う私たちそのものが彼を楽しませる見世物なのだろう。

 お葉都ちゃんや郭くんとは違う。これがまさに――あやかし。


 私はひそかに生唾を飲み込んでから、「……お気遣いありがとう。けど私、何も間違えてないから」と胸を張る。


「受けて立とうじゃない。私を調べたいというのなら、いくらでもどうぞ。壱袈は私に何をお望み?」


「なるほどなるほど――よいな、雅弥。俺は充分に譲歩した」

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