第10話喫茶『忘れ傘』の再会①
「今日はもう遅いから帰れ」
あの後、雅弥に半ば強引に帰宅命令を出された私は、しぶしぶ了承して素直に家に帰った。
というかあれは、雅弥のほうが帰りたくてたまらなかったのだと思う。
何を斬ったわけでもないのに、随分と疲れた顔をしていた。
「ええと……この近くなんだけど」
スマホで開いた地図を片手に、私は周囲を見渡す。
今日は土曜日。私はひとり、観光客で賑わう浅草の地に降り立っていた。
「話がしたいのなら、明日、浅草の『忘れ傘』にこい」
どうやらその『忘れ傘』とやらが、雅弥の店のよう。そこにいけば、隠世からお葉都ちゃんを呼んでくれると言っていた。
仕組みはよくわからないけど、祓い屋って便利すぎる。
沿道に寄せて並ぶ人力車の傍らには、笑顔の眩しい肌の焼けた
年齢も国籍も様々な人がごった返している雷門の赤提灯下では、各々が必死に人垣を縫って、その姿を写真に収めている。
(浅草かあ……最後に来たのっていつだったっけ)
確か学生時代に来たのが、最後だった気がする。
参拝後に買った、ふわっふわでサクサクのメロンパン、久しぶりに食べたいな……なんて過去の記憶に浸りながら通り過ぎ、暫く進んで大通りを渡った。次の路地で右折して、更に左。
もはや"ぎゅうぎゅう詰め"を通り越した仲見世商店街からほんの数メートルしか離れていないというのに、こちらの路地は閑散としていて、ほとんど人の姿がない。
地図と照らし合わせながら注意深く歩を進めていく。と、角から三軒目で、私は足を止めた。
「……やっぱり、ここなんだ」
事前にチェックしていた外観と同じ光景に、私は確信を深めつつやっぱり戸惑う。
だって、雅弥は『祓い屋』だと言っていた。おまけに店の場所は浅草。
だからこう、こじんまりとした古びた建物に、怪しげな『怪異、承ります』の張り紙なんかを期待していたのだけど……。
目の前に建つのは、随分昔から在るであろう立派な古民家の一階を改築した、綺麗ながらも風情のあるいい感じの喫茶店。
栗皮色の木枠に囲まれた大きなガラス扉の出入り口には、薄い紫地の布に白字で『忘れ傘』と書かれた暖簾が掲げられている。
(……実は、店構えは怪しまれないためのフェイクで、中に入ったら祓い屋ちっくな相談所になってるとか?)
けれども軒先にはご丁寧にスタンド黒板が置かれているし、おまけに白いチョークで『当店おススメ! "あんみつ"で一休み』とイラスト付きで描かれている。
目くらましのフェイクにしては、悪手すぎる。
となると、やっぱりここはカフェだか喫茶店だかに間違いない。
(もしかして、副業でバイトしてるとか?)
確かに、今の世の中『祓い屋』で食べていくには難しそうだし、それこそ"昼は喫茶店員、夜は祓い屋"なのかもしれない。
よくよく思い出してみると、雅弥は一度も『忘れ傘』が自分の家だとも、祓い屋の店だとも言っていないし――。
なるほど、と納得しかけた刹那、
「こんには!」
「ひぇ……!?」
目の前の扉がガラリと開いて、くりくりっとした丸い目の可愛らしい少女が、愛想のいい笑みでひょこりと顔を覗かせた。
「よろしければお席、空いてますよ?」
たぶん、十代後半くらい。どこで施術したのか教えてほしいくらい綺麗に染まった艶やかな銀髪を頭後ろで一つに結い上げていて、頭のてっぺんには白いフリルのヘッドドレスが乗っている。
見れば同じく真っ白なブラウスに、黒いワンピース。
腰には丸みを帯びたカフェエプロンをつけてて、こちらも端には柔らかなフリルがたっぷりと。
(え、まってこれはまさか)
「……メイドカフェ、なんですか?」
雅弥、女装趣味だったんだ……とメイド姿の雅弥を想像しながら尋ねると、少女は「違いますよー!」と手を振って、
「この格好はボクの趣味です!」
(……ボクっ子の美少女)
メイド雅弥の姿を消し消し。
朗らかに笑む彼女の可愛らしい笑顔にきゅんとしていると、少女は「あ、もしかして」と思い当たった風に手を打って、
「お姉さん、雅弥が待ってた人でしょ」
「え!? や、やっぱり、ここなんですか……」
「うん、そうそうウチで合ってるよー! さ、入って入ってー!」
左腕を彼女に引かれつつ、私は「お邪魔します」と興味津々で謎めいた店内に踏み入れる。
(……やっぱり、中もすっごくいい雰囲気)
年季を感じさせる優しい木のぬくもりも好きだけれど、なんといっても壁を染める深い朱色が上品で華やか。
飾られた焼き物の花瓶が、とてもよく馴染んでいる。
店内は当然、そこまで広くはないけれど、それがまた落ち着きを感じさせる要因の一つなんだと思う。
路地に面した右手前には四名掛けのテーブル席がふたつ。
左手側には奥に向かって二名掛けの席が三つ並んでいて、右奥には障子風の衝立で目隠しがされた、座敷の席がおそらく一つ。
たまたまなのか、いつもこうなのか。お客さんの姿はない。
「雅弥はそこだよ! どうぞー、上がって上がって!」
「あ、はい……」
少女に促され、お座敷の上り口から衝立内を覗く。すると、そこで寛ぐようにして本を読んでいる、着物姿の男が目に入った。
「あ」と零した私の声に顔をあげると、嫌そうに眉根を寄せて、はあと息をつく。
「……本当に、来たのか」
「だって、そういう約束だったじゃない」
「一晩寝て頭が冷えれば、考え直すかもしれないと期待していたんだが」
「ちょっと……まさかそーゆー
「いま言ったからな」
当たり前だろう、とでも言いたげな、どこか哀れんだ双眸が向く。
(こ、い、つ…………っ!)
衝動的な苛立ちにうっかり拳を握った刹那、
「こーらあー、雅弥! お客様には愛想よくしなさいって、いつもいってるでしょ!」
ぷりぷりとした擬音をまき散らしながら頬を膨らませた少女が、腰に手を当て雅弥を叱咤するも、
「コイツは客じゃない。話しただろう」
「でもこれから一緒にいることが多くなるんだから、失礼な態度とったら駄目でしょ!」
少女が「め!」と人差し指をたてると、不満げながらも、口を噤んだ雅弥。
そのあまりの親し気……というか、雅弥の懐柔っぷりに、これはもしかして……とある可能性を弾き出していると、
「ごめんねー。雅弥って、昔っから口悪くて! そういう生態だと思って、気を悪くしないでね?」
いまお水持ってくるね、と綺麗なウインクを残して、少女は座敷のさらに奥の通路を進んでいってしまった。
長い暖簾のかかるその先が、厨房らしい。
通された以上、このままここで立っているわけにもいかず、私はパンプスを脱いでお座敷に上がった。
あるのは雅弥のいる四名席のみ。雅弥は壁に近い、奥の左端を陣取っている。
私は少しだけ迷ってから、手前側の、雅弥とは対面にはならない方の座布団に腰を落とした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます