第51話藤と松②

 いや、なんか、他意があるとかそういうことではないんですけど。

 雅弥もレスキュー的な意味合いでしかないって、わかっているけども!

 ただ記憶にある範囲では、誰かに背負われるのってお父さんが最後だからというか。


「……お、重いかもよ」


 混乱に跳ねる心臓を意識しながら、お決まりの常套句を告げると、雅弥は不可解そうに眉根を寄せ、


「成人を背負うのだから、重いに決まっているだろう」


「……そーですね」


 あ、うん。そうだよね雅弥はこういうタイプ!

 途端にすっと頭が冷え、混乱の糸が解けた。

 私は眼前の背中にもたれるように体重を預け、


「んじゃ、よろしくお願いしまーす」


「……やっぱり訳が分からないな、アンタは」


 嘆息交じりに私の太もも下に手を回した雅弥が、「揺れるぞ」と呟き立ち上がる。

 子狐ちゃんはぴょいんと私の肩に飛び乗ってきた。

 誰もいない石畳の上を、雅弥が歩き出す。


「……ごめんね。迷惑かけちゃって」


「……アンタが俺に迷惑をかけなかったことが、一度でもあったか」


「……ですよねえ」


 うんうん、このドライな感じ。落ち着く。

 二人分の重みに擦れる草履の音が心地よくて、薄く息を吐きだしながら肩を緩める。

 宝蔵門をくぐる。

 見えた仲見世通りも、店はあれどやはり誰もいない。


「今なら順番待ちなしで、食べ歩きし放題……」


「……店員もいないのだから、買えないしモノも作られないだろう」


「あ、そうじゃん。ざーんねん。せっかくだから"狭間"を堪能していこうかと思ったのに」


「アンタは"狭間"をなんだと……。そもそも、人に背負われておいて、どこまで自由なんだ」


「だって、こんなにも人がいない浅草なんてレア中のレアじゃない。普段は行きたいなーって思っても、けっこう気合入れていかないとだし」


「……それは、そうだが」


 珍しく同意する雅弥。

 一瞬、驚いたけれど、雅弥は家とはいえ『忘れ傘』に入り浸っている。

 しかも言葉はなくとも、渉さんのスイーツを結構気に入っているのは見ていれば明らか。

 ホントは浅草グルメだって気になっているのに、常の人混みにもまれるのが億劫で諦めていても、おかしくはない。


(今度『忘れ傘』に行く時は、なにか差し入れ的に買っていってあげようかな……)


 そんなことを思案しているうちに、揚げまんじゅうを楽しんだ店前を通り過ぎていた。

 そのまま仲見世通りを突っ切るのかと思いきや、雅弥は進行方向を右に変える。雷門を出るのではなく、ここで曲がるらしい。


 見えた『伝』の一字を柱に飾る朱塗りの門柱には、「伝法院通」の文字。

 その先には同じ色の柱が等間隔に並び、その上部の白い面には、それぞれ異なる筆の文字と絵が描かれている。

 黄土色の道。並ぶ店を眺めていると、やっぱり美味しそうな看板に視線がいってしまう。


「……渉さんのお祝いケーキ、ホールだといいんだけど。二切れ……ううん、出来ることなら三切れくらい食べたい」


「……まんじゅうまで食べておいて、どれだけ食べるつもりだ」


(あ、やっぱり知っているんだ)


 本当に筒抜けなんだ、などと"式"の凄さを実感しつつ、私は「そうだけど」と抗議の声をあげる。


「走ったり蹴ったり、いつになく身体動かしたから、お腹すいちゃって。エネルギーチャージしなくっちゃ」


 ねー、と肩に乗る子狐ちゃんを見遣ると、キュウと鳴いて同意を示してくれる。

 その愛らしさに、思わず頬を緩めた私はしみじみと、


「ホント、この子が元気になってくれてよかった」


「…………」


 刹那、雅弥が歩を止めた。

 黙ったままの後頭部。明らかな異変に私は「ん?」と首を傾げ、


「どうかした――って、ごめん。やっぱり疲れるよね。そうだ! 一回降ろしてもらって、私ももう一度歩けるか試して――」


「"薄紫"を、手放すつもりはない」


「!」


 突然の宣言。

 反射的に「どうしたの急に」などとその脈絡のなさを指摘しそうになったけれど、喉元で押しとどめた。

 前を向いたままの黒髪から、こちらの反応を探るような気配。

 雅弥の決意と迷いを悟り、私も頬を引き締める。


「……何も訊いてないけれど」


「……アンタの言いそうなことくらい、想像がつく」


 いいそうなこと。

 それはつまり、私が雅弥と"薄紫"の真実とやらを知ったら、言いそうなこと。


「……話してくれるんだ?」


 暗に、選択する権利は雅弥にあるのだと含める。

 確かに壱袈は、私に委ねると言った。けれどそれは、私が"真実"を知るという条件付き。

 つまり、その"真実"とやらを知ることが出来なければ、私が選ぶまでもなく、ここで"強制退場"となる。

 壱袈の出した結論は、ただ私に選ばせるということではなく、雅弥が"許したら"選んでも良い、というもの。


(……きっと、雅弥もわかってる)


 それでも敢えて尋ねたのは、これは雅弥の"うっかり"ではないと、確信が欲しかったから。

 いまならまだ、拒絶できる。私はきっちりと引かれた境界線の外にいる。

 けれどもし、この先を"許して"くれるのなら。

 私はもう、いくら「関わるな」と言われても、踏み込んだ線の内側から出ることはないと思う。

 雅弥は長い沈黙を挟んでから、重々しく、ぽそりと呟いた。


「……そういう、条件だったろう」


「!」


 ――許された。

 歓喜に、思わず破顔する。けれども私は即座に気を引き締めて、耳に全神経を集中させた。

 これから紡がれる雅弥の言葉は、どれ一つとして逃せない。


「ありがとう、雅弥」


 告げた礼に答えることなく、雅弥は再び歩を進める。


「……アンタは、どうして"念"がアンタの蹴りで、消滅したと考える」


「それは……私の鈴ちゃんが"陽"の気で、私の足を覆ってくれていたからかなって」


「そうだ。"念"を消滅させるには、同等かそれ以上の"陽"の気が必要となる。"陰"では、祓えない」


 手をかけていた二つの肩が、薄く上下した。


「……"薄紫"は、隠世で打たれた妖刀だ」


「…………」


 うん。まあ、そうでしょうね。

 あんな風に光ったり、姿を変えたりできるのだもの。

 妖刀でなければおかしい――。


「……え、ちょっと待って」


 そう。そうじゃん。どうして忘れていたのだろう。

 あやかしは"陰"。ならば妖刀である"薄紫"は、"陰"のはず。

 だったらどうして、"念"を、あやかしを祓えるのか。

 嫌な予感に、手の内の鈴を握りしめる。


 ――藤と松。


 壱袈の言葉が、焦燥をあおる。

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