第50話藤と松①
抗議しようと口を開く。けど、
「なあ、彩愛。事実、俺は何度も"念"からその方を救い出そうと尽力したな。悲しきかな、終いまでこの手を取ってはもらえなんだが」
「うぐっ……」
嘘ではない。確かに壱袈の助けを拒み続けたのは、私のほう。
けどそれは、代わりにあやかし事から手を引けって脅してきたからで……。
(あ、あれ? でもよくよく考えたら、今のこの状況って同意しなかった私の自業自得……?)
壱袈が故意に"念"を私に飛ばしたと、確信はあっても証拠はない。
おまけにその"念"によって、傷を受けたわけでも。
私がこうして疲弊しきっているのは、私がただ、壱袈の言葉に頷きたくなくて、それで躍起に――。
「……おい」
低い声に顔を跳ね上げる。
と、雅弥は眉間に不快を刻んで、
「これがアイツのやり方だ。丸め込まれるな」
「え……あ! なんて高度な心理戦……っ」
「ただの詭弁だ。……だが、覆せるだけの材料がない」
苦虫を嚙み潰したような顔で告げる雅弥。
壱袈は満足そうに頷いて、「さて、誤解も解けたところで」と話題を転じる。
「見極めについてだが」
「! もちろん、私の勝ちよね!?」
食いつく勢いで尋ねた私に、壱袈は「勝ち負けを決めていたわけではないのだがな」と小さく噴き出して、
「まあ、良い。ならばその方の勝ちだ、彩愛。今後の身の振り方については、"見えるだけ"ではなくなったその方に委ねよう」
「やった……!」
「ただし、ひとつ条件がある」
壱袈は細めた双眸でついと雅弥を流し見て、
「藤と松」
「…………」
黙したままの雅弥から赤い目が離れ、疑問を浮かべる私に向く。
「"薄紫"とは藤の色。その刀はな、いわば藤なのだ」
「"薄紫"が、藤……?」
「藤の花はひとりでは咲けぬ。巻き付き己の支柱となる、松がなくてはな」
「松……」
そういえばさっき、雅弥が松だとかどうだとか……。
当惑する私の心中を察したように、壱袈がゆったりと頷く。
と、穏やかな苦笑を浮かべ、
「彩愛。俺がその方に告げた言葉に、嘘はない。その方は"何も知らない"だろう? 俺たち隠世警備隊が守るは、あやかしというより、むしろヒトだ。だからこそ俺は、その方が知らぬまま深く踏み込み、傷つく姿を見たくはなかった」
だが、と。壱袈は瞳に憐れを映す。
「その方の想いは、俺が想像するよりも遥かに強い。それこそ、"見えるだけ"ではなくなるほどにな。真実を知ったうえで選ぶといい。美しくも無慈悲な、"薄紫"と雅弥の契約を。それが条件だ」
よいな、雅弥。
佇む雅弥を一瞥して、背を向けた壱袈は宝蔵門へと歩いていく。
「この"狭間"は、その方らが『忘れ傘』に戻るまで繋いでおこう。好きに使うといい」
朱塗りの門前で歩を止めた壱袈が、コツリと靴底を鳴らして振り返る。
物憂げに伏せられた瞼。
「異質を恐れず、あやかしの心をも重んじ、陰と陽とを従える華……か」
これはこれは、と。くっと口角が上がると同時に、黒羽が一枚、私へと向けられた。
あ、と思った瞬間にはくるりと回り、穏やかな風が周囲を取り巻く。
「わっ……!」
浮いた腕から、するりと抜けた打掛。
風に踊るようにして、橙色の宙を泳ぐ。
「はたしてどちらが松となるか。その方らの決断を、心待ちにしているぞ」
辿り着いた打掛を両手で受け止めた壱袈は、その風を纏うようにして、ひらりと肩にかけた。
踵を返す。
「実に楽しき休暇だった。感謝するぞ、彩愛」
愛おし気に綻ぶ、赤い瞳。
「茶を供に語らうは、次にな」
たん、と軽く地を蹴った壱袈の姿が、門を境に消えていく。
ひらめく打掛は、まるで広がる烏羽。
なびく袖が「ばいばい」と、手を振っているように見えた。
風が止む。
残されたのは静寂と、橙を反射する私達。
(……ええ、と)
私はまず、何をしたらいいのだろう。
壱袈から"松"とやらを選ぶ権利を勝ち取ったとはいえ、いまいちよくわかっていない。
おまけに"薄紫"について、雅弥に話してもらわないなのだけど……。
雅弥を見上げる。口を閉ざし門を睨む横顔は、どうにも迷いに強張っているような。
(……そんな思いつめた顔をするくらい、私には話したくない内容なのかな)
ツキン、と痛んだ胸をごまかそうと、咄嗟に首を振る。
何をいまさら。雅弥は初めからずっと、私には"関わるな"と言い続けている。
ちょっと優しくしてもらっただけで、少しは信頼してもらえたのかも、なんて。
私の図々しい、身勝手な期待でしかない。
(ともかく、『忘れ傘』に戻らなきゃ)
心配げに送り出してくれた、カグラちゃんの顔が浮かぶ。
お葉都ちゃんはもう怯えてないだろうか。早く皆で、渉さん渾身のお祝いケーキを食べたい。
空いている左手で石畳をぐっと押して、立ち上がろうと両脚に力をこめる。けど、
「……うっそ」
立てない。どころか、面白いくらい動かない。
笑うべきか、落ち込むべきか……って、そうじゃない。
(これじゃ戻るに戻れないんですけど……っ!)
キュウンと悲し気な声と共に、右手に微かな反動。視線を落とすと、子狐ちゃんが石畳に飛び降りたらしい。
心配げに耳を伏せ、お座りの体制で私を見上げている。
「ええと、平気よ平気。うん。もうちょっと休んだらすぐに――」
「……だから、どうしてアンタはそう、ひとりで強がるんだ」
「えっ」
近い声に顔を跳ね上げる。
いつの間にか眼前に立っていた雅弥は、先ほどまでの剣呑さを消して、呆れたように息をついた。
「そんなに俺は信用ならないか」
なんだか以前にも、同じセリフを聞いたような。
「まっさか。ていうか、答えをわかってて訊いてるでしょ、それ」
「……そうだな。だがアンタは、いつだって想像の斜め上をいくだろう」
「ウソ、本気で疑ってるの? ならこれからみっちり雅弥への信頼度を言葉にするから。ええとまずは――」
「いい。必要ない」
"薄紫"、と告げて鞘に納めた雅弥は、ペーパーナイフの姿に戻ったそれを帯に挟んだ。
と、しゃがみ込みながら私の腕を引き、自身の肩を寄せて、背に私を引き寄せる。
「え、ちょっ!?」
「……横抱きでは、何かあった時に手が使えないから、こっちにしてくれ」
「違う違う、姫抱きがいいとかそーゆーことじゃなくて!」
「なら、なんだ。歩けないのだろう」
肩越しの視線が、さっさと乗れと告げ来る。
(ええと、まあ、本気で力入らないんだけどね? けどこう、いきなり密着体制ってのも、心の準備がいるというか?)
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