第4話『姿の見えないストーカー』に追われています④

「個人的な趣向で放置しているというのなら、好きにしろ。だがな、俺を巻き込むな」


「ちょっ、ちょっと待ってよ! 急になんの話?」


 怒りの滲む声で抗議してくる男に、私は混乱したまま「すとっぷ、すとっぷー!」と静止をかけた。


「祓えの力? 個人的な趣向? ちょっと、何を話しているのかさっぱりなんだけど!」


「……は?」


「いや、は? ってソレこっちが言いたいんだけど……」


 なんなの、コイツ。

 人違い……なのだろうけど、それにしたって随分と妙すぎる。


(……念の為、不審者として警察に届けておくべき?)


 そんなことを考えていると、男が慎重な足取りで、階段を二つほど降りてきた。

 月光の影が移り、不明瞭だった男の顔が青く浮かぶ。

 ――若い。

 学生とまではいかないが、私よりいくつか下といった風貌だ。品よく整った顔立ちをしているけれども、眉間に刻まれた不機嫌の証が、鋭い目つきと相まって印象を最悪にしている。


 彼がもう一歩を降りると、街頭の微かな光を拾った瞳がすらりと光った。

 ……"狩る"側を彷彿させる、鋭利な目。

 けれどどこか不思議と、綺麗だと思ってしまうような――。


「……何も、知らないのか」


「え、と……?」


「……どうしてここに、走ってきた」


「それは、私の帰り道ってのもあるけど……数日前から、変な気配がついて来るのよ。それが、ここを通るとなくなるから……」


(って、私ったらなんで素直に話しちゃったの!)


 相手がストーカーだったら、自爆行為もいいところだ。

 慌てて「あ、あの!」と声を上げた私は、なにやら深刻そうに思案する男のうっとおしそうな視線にもめげず、


「その、ここ最近私に付いて来てたのって、実はアナタだったり……?」


「ふざけるな。どうして俺がわざわざアンタを追わなきゃならない」


 聞いているのは私なんだけど……。

 思わずついて出そうになった言葉を、私はなんとか喉元で押し留めた。

 うん、まあ、違うなーとは思ってたんだけどね。念の為よ、念の為。


「ええと、それじゃあなんか、人違いをされてるっぽい感じですよね? なら、私はこれで……」


 謎の気配に、理不尽な嫌がらせ。これ以上の面倒事は勘弁してほしい。

 へらりと笑って、立ち去るべく背を向けると、


「……知ろうとするな。知らないままでいろ」


「……へ?」


 なんのこと、と振り向くと、既に男は背を向けていて、私とは反対側の路地へと消えていった。


(……ホントに、なんなんだろ、アイツ)


 もしかして、間違って声をかけちゃった照れ隠しだったとか?

 それなら、うん。言わせておいてあげよう。

 そんなことを考えながら、私はいつもより幾分か軽い心地で家へと急いだ。


 迎えた金曜日。今日を乗り切ってしまえば、休日である二日間は悩みの種から解放される。

 ちゃっちゃと終わらせて帰ろうと、驚きの集中力でPCと向き合っていた午後十五時過ぎ。

 事件が起きた。


「へえ、真面目に仕事してんだ? エライね、彩愛さん」


「!?」


 耳元で響いた声に、私は勢いよく視線を向けた。

 息が止まる。デスク横にいたのは、人を小馬鹿にしたようにニヤニヤと笑んで手を振る、ダークグレーのストライプスーツを纏った縁なし眼鏡の男。


「孝彰さん……っ!? どうして」


「うっかり者の親父が重要書類を家に忘れていったらしくてね。わざわざ呼び出されて、届けに来たってワケ。……ってのは、まあ、建前上で」


 不意に伸ばされた掌が、肩にかかる私の髪をひと房、するりと撫でる。


「どうしても彩愛さんに会いたくてさ。俺にここまでさせるなんて、なかなか罪深いよ?」


(しーらーなーいーしーーーーっ!!)


 もう、いっそのこと勘弁してくれと泣き叫んでしまいたい。

 でも出来ない。だって私は、大人だから。

 嫌悪感に強張る頬で無理やり笑みをつくった私は、上体を引いて囚われていた髪を逃がした。

 そのまま自席で出来得る最大限の距離をとる。


「ええと、先日の件は部長にしっかりとお断りのお返事をしたはずですが……?」


「うん、聞いてるよ。けど俺はまた会いたいって思ったし。いくら頼んでも駄目だったって親父が言ってたからさ。やっぱり人づてじゃ、本気度が伝わらないのかなって。だからこうしてわざわざ、俺が直接お誘いに来たってわけ」


 職権乱用。迷惑千万。

 どうしたらそんなに、自分に自信が持てるのだろう。ついでに一番大事な相手の気持ちは、まるっと無視ですか。

 拒絶されているのだと微塵も気付いていない態度に、全身全霊で引いていると、


「っ、孝彰さん!?」


 驚愕の中に、歓喜の混ざる声。

 うわあ、とますます顔を強張せて視線を遣ると、会議室から戻ってきた高倉さんが感動に瞳をうるませて、口元に両手を当てている。


(よりによって最悪のタイミングで……)


「お久しぶりです……っ」と頬を紅潮させながら、足早に近づいて来る高倉さん。


 けれども孝彰さんははて、といった風に首を傾げて、


「えーと、キミは……?」


「高倉です。高倉里沙。三年前、新宿のホテルでランチをした……!」


「ああー、うん。そうそう、高倉さんね、はいはい」


(いや絶対忘れてるでしょ、その反応)


 あまりにおざなりな返事に、ちょっとだけ同情心が疼く。

 だって、高倉さんはつい私に嫌がらせをしてしまうくらい、ずっと想っていたのに。

 うっかり風邪をひいてしまいそうなくらいの温度差がある。


「で、俺になんか用? いま取り込中なんだけど」


「なんの用って……」


 突き放すような物言いに、高倉さんがピタリと足を止めた。

 ……うん、これはさすがにショックだよね。

 まあでも、これで目が覚めてくれれば、高倉さんの嫌がらせもお終いに――。


「っ、運命です」


「……はい?」


 思わず呆けた声を出したのは私。

 けれど高倉さんは一瞥もせず、すさまじい勢いで孝彰さんの片手を握りしめ、


「ご縁がなかったのだと、何度も忘れようとしました。けれどどう足掻いても、ずっと心に残っていて……。どこかでもう一度、奇跡が起きてくれればって願っていました。そうしたら、こうしてまた会えたんです。これはもう、運命の糸が引き寄せてくれたのだとしか思えません……!」


 濡れた瞳で切なげに見つめ上げる高倉さん。月九俳優さながらの迫力に、私は唖然としながらも淡い期待を抱いた。

 これはもしかして、もしかすると孝彰さんもぐらっときてその手を握り返すんじゃあ……?

 けれども悲しいかな、彼は「……あのですね」と眉根を寄せ、握りこめられていた自身の手を半ば強引に引き抜き、


「何を勘違いしているのかわかりませけど、俺は彩愛さん会いに来たのであって、アナタにはこれっぽっちも興味ないんですよ。その、運命糸? とやらが繋がっているのは俺じゃないんで、他を当たってください」


「そんな……っ」


 悲痛の面持ちで絶句する高倉さんの背後。

 私は視線を落として、腹立たしさに双眸を細める。


(あいっかわらず人の気持ち考えないなあ……)


 断るにしたって、もう少し言い方ってモンがあるでしょうが。


(……なんか、面倒になってきた)

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