第3話『姿の見えないストーカー』に追われています③

「……部長、気が変わりました」


「おっ! そうか、キミならきっと分かってくれると――」


「私は人生において結婚やら恋人やらを特別重要視していませんし、29だの30だの、年齢における評価も今時ナンセンスだと思っています。残念ですが、部長のお話には何一つ共感できません」


「な! キミ、失礼な……っ!」


「失礼なのはどちらですか? 商談だと嘘をついてまでご自分の愚息とお見合いをさせたあげく、こちらはお断りしているのにまた会えだなんて。セクハラにパワハラで訴えますよ?」


「なっ!? どこがっ、私は、キミのためを思って……!」


「あくまで"私のため"だとおっしゃるのでしたら、二度と私のプライベートに触れないでください。約束してくださるのでしたら、今回の件は水に流しますから。いいですか、"今回"だけです。次は人事にでも弁護士にでも、しかるべき処置をとらせて頂きますから」


 絶句の表情で固まる部長。

 私は「お話は以上ですか? それなら、仕事に戻りますので」と立ち上がる。

 きちんと椅子を戻して、扉のノブへと手を掛けた刹那。


「……そんな風に化粧だの服だの身なりに金をかけておいて、男に興味がないだなんて嘘がよく言えるな」


 呻くような嫌味。

 ううん、負け惜しみって言った方がしっくりくるような。


「……だからですね」


 私は小さく嘆息して、顔だけで振り返る。


「私は、私のために、自分に手をかけているんです。男のためじゃありません」


 失礼しますと言い置いて、今度こそ私は会議室を出る。

 まだ腹の虫がおさまらない。このまま仕事に集中できるとも思えないし、気分転換に飲み物でも買いにいこうかな。

 自席に戻った私は疲労を落とすようにして椅子に座り、足元に置いていた鞄から財布を取り出そうとした。

 その、時だった。


「ねえ、ちょっと」


(……でた)


 席は私の斜め前。

 私より五年早く入社している高倉里沙たかくらりささんが、ふんわりとした明るい髪を指先で耳にかけて、ローズピンクの唇をニヤニヤと吊り上げた。


「柊さんってさあ、実はオトコじゃなくて、オンナが好きだったりするんでしょ」


「……今のところ、女性を恋愛対象として見たことはないですけど」


「ええー、ホントにい? だって、孝彰さんでも満足出来ないなんて、オトコに興味ないとしか思えないし」


 私に近寄るでもなく、席に座ったまま声を大にして話しかけてくるのは、言わずもがなワザとだ。

 そう、この高倉さん。以前、私のように孝彰さんと"お見合い"をした過去があり、本人は乗り気だったものの、一方的に「合わない」と告げられてそれっきりらしい。


 こちらの都合など一切お構いなしな部長の"朝の挨拶"によって、私が彼に会ったのだと気づかれてしまったのだ。

 そして、拒絶しているのは向こうではなく、私だということも。


(恋愛絡みは一番面倒だから気を付けてたのに!)


 どーしてくれんの部長! と脳内で胸倉を掴みつつ、私は「あははー、もしかしたら、そうなのかもしれないですねー」と愛想笑いを返しながら席を立つ。

 下手に否定するほうが、余計に絡まれるってもんだし。

 恨み溢れる鋭い双眸から逃げるようにして、フロアを後にした。


***


「……はあー、だから嫌だったのに」


 高倉さんからの、地味な嫌がらせが続いている。

 今回みたいにワザとらしく声を上げて嫌味を言ってきたり、声をかけても一度目は無視してみたり。

 基本的には関わりのない別チームだったのは不幸中の幸いだったけど、同じ部署にいる限り、今後いつ組むかもわからない。


(私にどうしろって言うのよ……)


 わかってる。高倉さんは、私が孝彰さんに気に入れたという事実が許せないのだ。

 つまり、打開策はない。このまま彼女の気が晴れるまで、出来るだけ刺激しないよう耐えるしか道はない。


(孝彰さんといい高倉さんといい、執念深さでいうのならお似合いなんじゃないの……)


 給湯室の自動販売機にお金を入れて、ボタンを押す。

 転がり落ちてきたロイヤルミルクティーの冷たい缶を手に取って、ぷすりとプルを開けた。


「……あれ? そういえば」


 高倉さんの嫌がらせが始まったのは、三日前。

 あの、妙な気配が付いてくるようになったのも、三日前。

 まさか……と疑念が浮かぶも、「なわけないか」と即座に打ち消した。


 この三日間、高倉さんはすべて私より先に帰っている。

 昨日なんて、このあと大手金融会社の社員と食事会なのだと皆に言いふらしていた。

 良くも悪くも分かりやすい人だから、彼女はシロだ。


(まったく、こっちもいつまで続くんだか……)


 平穏だった私の日常を返してほしい。

 はあ、と盛大に息をついて、私はチビチビと甘いミルクティーを味わった。


***


(……やっぱり、今日もきた)


 夜に沈んだ街路樹。

 やはり影もなく気配だけを主張する背後に、私は緊張を張り巡らせながらも小さく息を零した。

 今日は色々と疲れたから、勘弁してほしかったんだけど。


(まあ、そもそも勝手に付いてきてるんだから、最初から私の都合なんて関係ないか)


 足を止めて、振り返る。

 予想通り、誰もいない。


「……もう、なんなのよ一体」


 連日のストレスによる被害妄想だったりして?

 むしろ、そうだったなら、どれだけ良かったか。


(……なんかムカついてきた)


 姿もない、声もない。

 それでも明らかに"存在"のある、べったりとした不快感を放つ"コレ"は、いったい私にどうしてほしいのか。


「……ねえ、いい加減、仕事してくれない? "お守り"なんでしょ?」


 駅から手に握っていたスマホに力をこめて、音もなく揺れるだけの鈴に文句を垂れる。

 そうこうしているうちに、亀戸天神社が視界に入った。

 助かった。私は無意識に歩調を早める。


 昨夜気が付いたのだけど、この謎の気配は決まって亀戸天神社で消える。

 神社だから、神様の力とか?

 何はともあれ、ここに辿り着けば解放されるという事実が、今の私には何よりの救いだった。


「もう少し……っ」


 もはや駆け足と化した私のヒール音だけが、ほの暗い夜道に確実な存在を響かせる。

 階段上に佇む、立派な朱塗りの鳥居。その前に差し掛かかると、思っていた通り、すっと気配が消えた。


(……やっぱり)


 疲れた、と安堵の息をつき緊張を解いた私は、一度立ち止まって乱れた呼吸を整えようとした。

 途端――。


「……おい」


「!?」


 深い藍色に染まった路地に、突如響いた低い声。

 驚きに顔を跳ね上げると、鳥居の足下に腰掛けていたらしい人影がゆらりと立ち上がった。

 ……男、の人。

 夜よりも濃い、黒色の着物と髪。少し長い前髪は目にかかっていて、ぼんやりと浮かぶ顔面に月明りの影を落としている。


(うそ、まさかホントにストーカー……っ!?)


 ――声が出ない。


 なら逃げなきゃ、と脳は指示を出すのに、脚は張り付いたみたいに動かない。

 背に冷や汗が浮かぶ。


(――ヤバい)


 直感に、縋るようにして鈴を握りこめた。

 と、その瞬間。


「……何をしている。その鈴に"祓え"の力はないだろう。だいたい、何故さっさと処理しない」


「……へ?」

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