第6話"顔"に焦がれたのっぺらぼう①
急なお誘いに快く挙手してくれた友人と有楽町で落ち合い、たっぷりデザートまで楽しんだ私は、いつもよりも話し声の多い総武線快速電車に揺られ、錦糸町駅で降りた。
肩には通勤鞄、手にはローズ香るスクラブとセール品のトップスが入った紙袋が二つ。
一杯だけと含んだ日本酒も手伝って、最高に気分がいい。
「これで普通に帰れれば、言う事なしだったのに」
ぞわりと背に、妙な悪寒。
ああ、やっぱりきちゃった。連日のことで慣れてきてしまったのか、今は恐怖よりも落胆が強い。
毎日毎日、飽きもせずただ着いてきて、本当、一体何が目的なんだか。
(……目的、っていえば)
ふと、昨夜出会った変な男の"忠告"が脳内に過る。
『……知ろうとするな。知らないままでいろ』
あれは、不審者とも捉えられかねない自身のことを指していたのか。
それとも、この姿なく付いてくる、得体の知れない"なにか"のことを言っていたのか。
もし後者ならば、あの男はこの"なにか"の正体を知っているってこと。
(……それなら)
「……霊感ゼロの私なんかに付いてくるより、あの男のほうが、"アナタ"のことわかってくれるんじゃない?」
足は動かしたまま、独り言のように呟く。
当然、夜道は静まり返ったままだし、やっぱり"なにか"も変わらず付いてくる。
(せっかくこっちが"提案"してあげてるのに、無視ですか)
たぶんこの時私は、昼間の襲撃によるストレスと、お酒の力も相まって気が大きくなっていたんだと思う。
こっちの話など聞いてもいない、理不尽な"嫌がらせ"を続ける"なにか"に、ここ最近の悩みの種が重なって、
「まさか、"アナタ"も私の顔目当てだなんて言わないでしょうね?」
嘲笑交じりに吐き出した、その時だった。
「――嬉しい。まさか、気付いて頂けるとは」
「っ!」
ぞわりと粟立つ肌。衝撃に足が止まる。というか、止めざるを得なかった。
前方、十メートルほど先の街頭下に、ぼんやりと浮かぶ女性の立ち姿。白布に紅色の花が描かれた着物を纏い、真っ黒な髪を芸妓さんのように結い上げている。
光を避けるようにして俯く彼女の顔は見えない。なのに私は瞬時に、"違う"と感じた。
――あれは、人間じゃない。
「……そう、お顔。とても美しくて、愛らしいお顔」
氷を滑るビー玉みたいに、薄く澄んだ声。けれど"声"のはずなのに、空間を通して届いるというよりは、直接鼓膜に響いているような違和感がある。
俯く女はカラリと下駄を鳴らして、一歩一歩、近づいてきた。
「そのお顔は
まるで、金縛り。
直感が危険信号をこれでもかと鳴らすのに、硬直する身体は動かない。
(まずいまずいまずいってこれ……っ!)
逃げなきゃ、逃げないと――!
「……
気付けば眼前まで迫っていた女が、妙に白い指で私の頬をするりと撫でた。
伏せられていた顔が上がる。
「――貴女様のお顔を、私に貸してくださいな」
「きっ……!」
ぬっと向けられた"顔"のない
私の声がご近所の平和な夜を一変しなかったのは、音をせき止めるようにして"なにか"が私の口を塞いだから。
手、だ。どうして、誰の?
パニックに陥りながらも本能で引き剥がそうとすると、
「……だから、"知ろうとするな"と言っただろう。その頭は空っぽの飾りか?」
「!」
聞き覚えのある声に、顔をひねる。
「あんた、昨日の……!」
「うるさい騒ぐな。人が来たら厄介だ」
解放された掌。押しのけるようにして私の前に歩を進めた男は、私を一瞥もせずに顔のない女を睨み続ける。
――間違いない。昨日のあの男だ。
どうしてここに、とか、あの女の人見えてるの、とか。
言いたいことは色々あったけど、どれも言葉にならない私の眼前で、男は着物の合わせ目から万年筆のようなものを取り出した。
深い、黒とも少し違う色をしたそれは、精密な金の装飾が施されている。
(綺麗な万年筆……って、そうじゃなくて)
それ、なに? と私が尋ねるよりも早く、
「――"薄紫"」
男がそう呟いた次の瞬間、その手元で閃光が弾けた。
眩しさに目がくらむ。瞬きをしたその刹那、男の手にあったはずの万年筆が、美しい刀へと姿を変えた。
「う、そ……」
なに? なにが起こっているの?
夢だと言われれば信じてしまいそうな出来事が、紛れもなく現実で、目の前で起こっている。
へたりこんでしまいそうな膝にぐっと力をこめて、自分の置かれた状況を理解すべく必死に脳をフル回転させていると、男は静かに刀を鞘から抜き出した。
躊躇うことなく、やけに艶やかなその切っ先を、顔のない女に向ける。
(――え、こ、これってヤバいんじゃ……っ)
「ちょっ、ちょっと。そんなもの向けたら危ないじゃない……っ!」
「危ない? 自分が取り込まれそうだったというのに、随分とおめでたい思考だな」
「はあ!?」
「いいか、アレはあやかしだ。『のっぺらぼう』と言えば、アンタにもわかるだろう。そしてこの刀は、『祓え』の力を持つ妖刀だ。……一度関わってしまった以上、仕方ない。俺は俺の仕事をする」
「し、ごとって……」
男は刀を構えたまま、眼だけを私を寄こし、
「俺は、祓い屋だ」
「はらいや……?」
呆然と繰り返した私の声に重なるようにして、「ひっ」と怯えた悲鳴が聞こえた。
顔のない――のっぺらぼうの女だ。恐れるように身体を震わせたかと思うと、「ちっ、違います……!」と両膝を折って地に脚をついた。
「取り込もうだなんて、そんな滅相もございません……! 私はただ、あの方のお顔をお借りしたかっただけで……!」
「奪うつもりだったんだろう? それを"取り込む"と言うのだと、
「お願い致しますっ! どうか、話を……!」
のっぺらぼうの女が、祈るようにして手を組み合わせる。
けれども祓い屋だという男は、「御託はいい」と歩を進めると、そのまっさらな
「"いかなる理由があろうと、ヒトに危害を与えない"。
後悔は、勝手にひとりでやってろ。
そう冷たく言い捨てて、「どうか、どうか……!」と繰り返す女を眼下に、男は刀の柄を両手で握り込めた。
――いけない!
私は咄嗟に駆け出し、男の腕にしがみつく。
「ちょっと、待ってよ!」
「……邪魔だ」
「そりゃそーでしょうね、邪魔してるんだから!」
「……離せ。逃げられたら厄介だ」
「嫌よ」
「なに?」
私はぐっと顎を上げ、男を睨めつける。
「だって、私が手を離したら、あんた、そののっぺらぼうを斬るんでしょ」
「……斬り捨てなければ、"祓え"ないからな」
――本気だ。悟った私は、ますます腕に力を込める。
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