第46話烏天狗と浅草散歩にいきます①

 澄んだ青空に映える、朱と緑青色ろくしょういろの門。

 瓦屋根の影がかかる上部中央の扁額へんがくには、金で書かれた『金龍山』の文字が賑わう人々を静かに見下ろしている。


 普段ならばこの人込みに飛び込むのは躊躇われるのだけど、打掛のおかげか、壱袈が何か術でも使っているのか。

 私達の姿など見えていない様子なのに、人が自然と避けてくれるのでとても歩きやすい。


「久しぶりに近づいたけど、やっぱり大きいー……」


 難なくたどり着いた、浅草といえばなメインシンボル、『雷門』の名を記す大提灯の真下。

 その大きさに圧倒されながら見上げると、雄々しく口を開いた、朱の色が目立つ彫刻の龍が目に入った。


「えっ、こんなところに龍なんていた?」


「左方と右方から、風神、雷神が睨みを利かせているからな。気付かぬのも無理はない」


 その龍もまた、ここの"護り"だなあと壱袈も龍を見上げ、


「龍もまた、雨を呼び火を収める神のひとつ。昔は木の建築が多かったからな。事実、この門も幾度となく焼失している。最後の延焼からしばらくは再建もなかったが……やはり、こうして派手なモノは良い。この門が出来たのは、つい最近だな」


 深紅の眼が、懐かしむように細まる。


「浅草寺の本尊は、隅田川で漁をしていた兄弟の網にかかった仏像であろう? 話によるとその引き上げの際、金の鱗を纏った龍が現れたというが……」


「あ、もしかしてそれで、"金龍山"なの? あれってなんのことかなーってずっと思ってた」


「浅草寺の屋号よ。まあ、真偽はわからぬが、龍はこの浅草寺にとって無くてはならぬ"護り神"ということだ」


「へえ……。もし龍じゃなくて金の猫が出てきていたら、"金猫山"だったかもだし、ここには猫ちゃんが彫られていたかもってこと」


「蛙が出れば、金の蛙だったかもな。まあ、どちらも雨は呼べぬが、猫は福を招く。蛙は様々なモノが"かえる"縁起物とされているし、祀られてもおかしくはないだろうな」


 壱袈は冗談めかしてくつくつと笑って、


「なんにせよ、全てには"始まり"があるということだ」


「……はじまり」


 頷いて、壱袈が再び歩き出す。


(……雷門は雷門、って感じだったから、成り立ちとか全然気にしたことなかった)


 こうして聞いてみると、案外面白いというか……なんかよりご利益がありそうというか。


(にしても、壱袈がこんなに詳しいのって、やっぱりあやかしだから?)


 特に、金の龍のこと。真偽はわからないって言ってたけど、実は知っていたりして……。

 けれどもそんな私の疑念と興味は、どこからか漂ってきた香ばしくも甘いかおりにすっかり消え去ってしまう。


 つられるようにして視線を向けると、店頭の赤い木枠に「雷おこし実演販売」の文字。

 群がる人が興奮交じりに、人によってはカメラも向けている。

 その先には中腰になり、まだパラパラと纏まりのない生地を両手で熱心にこねる白服の男性が。

 けれどそれも、ほんの数秒。


「わ、もう塊になっちゃった……!」


「ん? ああ、寄っていくか? 少し待てば出来立てが食べられるぞ」


「いいの!? いきた――」


 い、と言いかけて、私は慌てて口を抑える。

 忘れてない。渉さんが、お葉都ちゃんの顔完成を祝うケーキを焼いてくれているってこと。


「や、やっぱり今度にしておく!」


 平べったい木の型に合うように、ぐっぐっと押し伸ばされていく、まだ柔からな雷おこし。

 その誘惑から何とか視線を切り、先を促すと、


「良いのか? 金ならあるぞ?」


「ううん、そういうことじゃなくて……えと、今ちょっとお腹いっぱいだから」


 と、その場はなんとか切り抜けはいいものの……。

 鳩や提灯の形が可愛い、ふわっふわの人形焼き。

 狐色のきな粉がたっぷりかかった、串刺しの茹でたて団子。

 すれ違った着物姿の女の子二人の手には、ザクッとジューシーな揚げたて浅草メンチ……。


(ゆ、誘惑が多すぎる……!)


 カップ入りのトロトロ大学いも。

 醤油の香ばしさがそそるおかきに、サクッとさっぱりアイスもなか。

 甘ーく誘う、餡たっぷりのたい焼き……!


(まさか壱袈の見極めって、私の忍耐チェックだったり?)


 ちらりちらりと横目で伺うたびにぐっと耐えるけど、正直そろそろお腹が鳴りそう。


(でも、もうすぐ仲見世通りも抜けるし、あとちょっとの辛抱……!)


 その時。差し掛かった木陰で、壱袈が歩を止めた。


「ひとつ、付き合ってくれんか?」


「へ?」


 ついと視線を向けた先には、円柱形の赤提灯と、あげまんじゅうの文字。


「ここを通ると、どうにも食べたくなってしまってな。無理にとは言わんが、共にどうだ?」


「! じゃ、じゃあ私も……!」


 ごめんなさい渉さん……! 限界です!


(これだけ歩いてるし、ひとつくらい余裕でしょ!)


 こくこくと頷いた私に、壱袈は手を口元にあててクックッと笑いながら、「そうかそうか」と店頭へ寄り、


「さて、どれにする? 俺はごまだな」


「私は……さくらかな」


 頷いた壱袈は「注文をいいか」と店員さんへと声をかけ、


「ごまとさくらを一つずつ頼む」


 ベスト裏から布財布を取り出して、紐をくるりと外した壱袈が五百円玉を青いトレーに乗せる。


「って、待って私ちゃんとお金持ってるから」


 スマホケースの内ポケットには、急に必要になったときを見越して折り畳んだ千円札を入れてある。

 慌ててそれを引き抜くと、


「あら!? あらあらまあまあ、こんな美男美女が目の前にいるのにさっぱり気づかないなんて!」


 店員さんは目を丸めながら頬を染め上げて、


「ほんとにどちらも綺麗ねえ。モデルさん? あ、握手してもらお! お代は一つ分でいいから、気に入ったらいっぱい宣伝してちょうだい!」


 はい、とトレーにお釣りを乗せて、白い紙に挟まれた揚げまんじゅうを「どうぞ! 熱いからね」と手渡される。

 恩に着る、と受け取った壱袈はひとつを私に渡して、


「そういうことだから、それはとっておけ」


「ええ……でも」


「散歩もそうだが、こうして誰かと共にこのまんじゅうを食すのは、随分と久しぶりでな。感謝を示すには、あまりに安すぎるが」


「……じゃあ、お言葉に甘えて。ありがとね、壱袈」


 礼を告げて受け取ると、壱袈は「ありがとう、か」と苦笑を浮かべ、


「彩愛といると、自分があやかしであることを忘れそうになるな」


「え……?」


(それって、どういう……?)


「ほれ、冷めぬうちに味わってみるといい」


「あ、うん……」


 壱袈は自分の揚げまんじゅうをさくりと食んで、


「うむ、美味い。この薫り高いごまの風味と餡子の、実に合うことよ」


「…………」


 私も食べよう。

 まだ熱さの残る衣をふうと吹いて、ひとくち。

 サクリと破れた衣と、もちりとした生地。桜色をした白餡のまろやかな甘みと共に、ほのかな塩気が混ざり合う。


「お、おいし……っ! しかもこれ、一度桜の葉で巻いてから揚げてある……!」


 よくよくみたら、衣にも混ぜ込まれた桜の花が。


(この塩気は、塩漬けにされた桜だったのね……)


 それにしても、見れば見るほど餡子が本当に綺麗な薄ピンクで、うっとりしてしまう。

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