第47話烏天狗と浅草散歩にいきます②

「見た目までなんて雅な……。和よね和。大和撫子って感じ」


「そうかそうか、気に入ったようでなによりだ」


「あ、子狐ちゃんも食べれるのかな? いる?」


 肩でくつろいでいた子狐ちゃんに問いかけてみると、ピンと耳が立って尻尾がふさりと揺れた。


(これは、食べれるってことかな……?)


 肩口に揚げまんじゅうを寄せてあげると、あーんと口を開けてあむあむと食べだす。


「かわいい……この子、譲ってくれないかな……」


 あまりの愛らしさに、式神ってどうやって育てたらいいんだろと本気で考えこんでいると、


「式はその主と繋がる存在だ。傍に置くというのは、その主にすべてを知られるということだぞ」


「ってことは、雅弥にぜーんぶ筒抜けってこと……。それは……私はともかく、雅弥が嫌がりそう」


 ならきっとこの子は、『忘れ傘』に戻ったらお別れ。

 残念、と揚げまんじゅうを咀嚼する私を、壱袈はじっと見下ろして、


「……彩愛は随分と、雅弥に心を開いているのだな」


「うーん? そうねえ。言葉は足らないし口も悪いけど、なんだかんだ優しくて面倒見もいいし。何より丁度いい感じに私に興味ないから、一緒にいるのが、すっごく楽」


「怖いとは思わぬか?」


「雅弥が? 特にそう思ったことはないけど……。あ、嘘。怒ったときはちょっと怖いかも」


「……そちらの"怖い"になるのだな」


 壱袈は何かを思案するように、ゆったりと歩を進め、


「さて、そろそろ宝蔵門ほうぞうもんだ」


 言葉に前方を見遣ると、額に『浅草寺』と書かれた二重の門が。

 中央には『小舟町』と書かれた、これまた大きな朱色の提灯が釣り下がり、その両脇には金字の派手な黒提灯がどんと構えている。


「抜ければ、いよいよ本堂だな」


 私は頷いて、ぱくぱくっと揚げまんじゅうをお腹の中へ。

 紙は小さく折り畳んで、ポケットに収める。

 行くか、と促す壱袈に再び右手を預け、人波に紛れて門へと踏み入れた。

 抜けるまで数メートルはある、その中頃に差し掛かった辺り。ふと、壱袈が口を開く。


「先ほど、雅弥と共にあるのは怖くないと言っていたが」


「うん?」


 頭上を通り過ぎる赤提灯。間近に迫る、朱塗りの柱。

 歩を止めないまま、ほの暗い影を落とした瞳がにいと細まる。


「なら、これはどうだ?」


「え?」


 門から抜ける。途端、


「!?」


 人が、消えた。それだけじゃない。静かというより、無音の世界が広がっている。

 おまけにひらけた周囲は夕陽を直接塗り付けたかのように、すべてが橙がかっていて――。


「なに、これ……」


 まさか、これが隠世――?


「ここは"狭間はざま"。現世と隠世の間に存在する、空間のようなモノだな」


「! 壱袈……!」


 見れば先ほどまで隣で並び歩いていた壱袈が、本堂へと通ずる石畳の道中にある、常香炉じょうこうろの前に立っている。


(いつの間に……)


 けれどもひとりではない安堵に「あ、なんだ。隠世じゃないんだ」と肩の緊張を解くと、


「隠世が所望だったか? なら、俺が連れて行ってやろう」


「ごめん、大丈夫。興味はあるけど、遠慮しておく」


 隠世にヒトは長くいられない。雅弥にも郭くんにも、あれだけ"気をつけろ"と注意されている。

 首を振った私に壱袈は「そうか」と残念そうにしょぼくれた顔をするも、「まあ、それはいずれな」と宙を見上げ、


「見えるか?」


 端的な問いに、視線の先を辿る。と、それは徐々に、けれども一度"気づいて"からは如実に、その姿を現した。

 濃さを変え、形を変え。大小と揺らめきながら、無数に漂う黒いもや

 特に、みくじと書かれた木札の前やお水舎といった、人が集まる場に多く集まっている。


「……っ! なんで"念"がこんなに……!」


「ほう、やはり見えるのか」


 壱袈は驚いたというより、確信を得たと言わんばかりに笑むと、


「気分はどうだ?」


「そりゃあ、"念"には一度苦労させられたし、良くはないけど……」


「体の不調や、息苦しさは」


「ん? そういうのは特に感じないかな」


 高倉さんの時のような悪寒もない。

 たぶん、ここに漂うどの"念"も、私に関係したモノじゃないからだろうな……などと考えてると、


「……なるほどなるほど」


 興味深げに頷いた壱袈は、


「この世界は陰陽の双方で成り立っている。あやかしは陰、神は陽。ヒトはその両方を。"念"というのは、いわば人の陰の気だ。こうした欲望と願望の集う場では、特に溜まりがちになるものでな」


 言いながら壱袈が、左の袖を軽く引き上げた。

 途端、その手首に現れたのは、深緑色の球体が連なるブレスレット。


「寄り集まり、濃く重なった陰の気は"よどみ"となる。ヒトを狂わすのはもちろん、あやかしをも惑わし、時には良からぬ"怪奇"を生みだす」


 ふむ、これなら三本程度か。

 呟いて、壱袈がブレスレットに触れる。

 次の瞬間、漆黒の烏羽からすばが三枚、壱袈の手中に現れた。


「! そのブレスレットってもしかして、壱袈の妖力の結晶……?」


「そうだ。よく知っているな」


 何も知らぬと聞いていたのだがなあ、と壱袈はくつくつ笑い、


「淀みから生まれた"怪奇"は、時にヒトを、時にあやかしを食らう。ゆえに俺の束ねる隠世警備隊は、淀みを作る前に"散らす"のだ」


 瞼を伏せた壱袈が、扇状に持った三枚の羽でくるりと宙に円を描く。と、


「"念"が……!」


 吹いた風に踊るようにして、周囲を漂っていた"念"が薄く四散していく。

 壱袈が向きを変え、同じように羽を回すと、やはりその方角の"念"も綺麗に飛び、薄まる。

 その幻想的とも思える光景に、私は感動を覚えつつ、


「隠世警備隊って、こっちでいう警察みたいなものかと思ってた……。あ、でもどうして雅弥みたいに祓わないで散らすの?」


「出来ないからだ」


「出来ない?」


「あやかしは陰。"念"もまた、陰のモノ。影に影が重なることは出来ても、消すことは出来ん」


 濃淡にきらめく金にも見違える髪をなびかせて、壱袈が振り向く。


「さて、彩愛ならどうする」


「え?」


 すっと私に向けられた漆黒の羽。

 くるりと回った刹那、まき上がった風に呑まれたいくつもの"念"が、風と共に私に向かってきた。


「わっ!?」


 咄嗟に腕を上げ顔を覆う。

 瞬時に抜けた風。なびいた髪が背に戻るのを感じながら私は腕を開き、


「ちょっと壱袈なにして――うそ」


 絶句。開いた視界の先。佇む壱袈の姿が、黒い靄でよく見えない。

 壱袈を? 違う。"念"が取り囲んでいるのは、私。


 ――のまれた。


 悟ると同時に、肩からキュウと弱々しい声がした。子狐ちゃんだ。

 ぐったりと伏せる身体が肩から滑り落ちそうになり、私は慌てて掌で受け止める。

 きつく閉じられた眼。苦悶に丸まる身体。伏せられた耳。


「しっかりして……っ!」


 苦し気に呻く身体をさすってみるも、子狐ちゃんはくう、と力なく小さく鳴くだけ。


(どうして急に――)

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