第40話ぬりかべの餞別③

「俺の名で、書面を持たせる。それがあれば、事実以上の罪を問われることはないだろう」


「え、まって。それって、嘘の罪まで背負わされる可能性があるってこと?」


「言っただろう。あやかしは簡単に嘘をつく、と。現世の、今回の一件を"知った"あやかしが、退屈しのぎにあることないこと吹聴していてもおかしくはない。俺の名がついた書面があれば、そこに書かれた内容だけが事実とされる。……あいつらとは、そういう契約になっている」


 つまりこの書面は、郭くんを守ってくれる大事なお手紙ってこと。

 理解した私が「ありがと、雅弥。必要なモノって、それのことだったんだ」と告げると、雅弥は一瞬だけ躊躇してから、


「……それと、これも持っていけ」


 子狐ちゃんの出てきた袖口とは反対の袖から、雅弥が小さな巾着を取り出す。

 翡翠色のそれを戸惑いがちに受け取った郭くんは、ほどなくして何かに気づいたように息を詰め、


「これは、隠世で織られた巾着……?」


「あやかしには鼻の利くヤツが多い。そのハンカチには、ヒトの気配が染みついてるだろう」


「ねえ、その"ヒト"って私のことよね? え? もしかしてなにかマズい?」


「……あやかしには、ヒトを快く思わない連中もいる。隠世の巾着を使えば、ヒトの気配をある程度ごまかせる」


「それって……」


 雅弥の用意した、郭くんを守るアイテムその二ってこと。


(私には散々、約束をするなだの甘いだの注意するくせに)


 こんなに準備してあげて、一番に"優しい"のは、自分じゃない。

 緩みかけた頬に慌てて力を込める。けれど雅弥は目ざとく私を睨んで、


「……言いたいことがあるのなら、聞くが?」


「ちょっと、なんでこんな時に限って乗り気になるの!?」


 "優しいじゃん"なんて言葉にしたら、絶対にへそを曲げるくせに……!

 言うもんかと無理やり口を噤むも、じりじりと迫る無言の圧。

 静かな攻防に、ふふっと笑う声がした。郭くんだ。


「……やっぱりここは、すごく、いいところ」


「でしょでしょ? 戻ってきたアカツキには、ぜひご贔屓ひいきを」


「カグラちゃん……抜け目ないわね」


「だってボクは稲荷の眷属けんぞくだからねー。商売繫盛っだよ」


 歌うような調子で紡いだカグラちゃんが、両手を丸めて狐のポーズをとる。


「あ、あざとい……。でもすんっごくカワイイ……!」


「前から思ってたけど、彩愛ちゃんってけっこうボクのこと好きだよねえ」


「だってカワイイには逆らえないもの……!」


「おい。いい加減じゃれついてないで、コイツを隠世へ送れ」


「だって、カグラちゃんが……カグラちゃんがカワイイ……っ!」


「なになに雅弥? ヤキモチ? だいじょーぶだよお。雅弥もちゃーんと、彩愛ちゃんと相性ばっちしだし!」


「カグラ……渉に言って、今夜の油揚げには唐辛子をまぶすからな」


 おどす低い声に、カグラちゃんが「やだやだ! わかったちゃんとやるから!」と血相を変えて首を振る。


(カグラちゃん、唐辛子が苦手なんだ……)


「ホラ、キミは祠の前にきてー!」とキビキビ動きだしたカグラちゃんに応じて、郭くんが楽し気に歩を進めた。

 祠前に立つ。途端、郭くんはくるりと振り返り、


「……これ、ありがとう。大事に、使う」


 開いた巾着の中に、収められたハンカチ。

 紐を引いてしっかりと閉じた郭くんは、深々と頭を下げて、


「……お世話に、なりました」


 その瞬間。郭くんの足元が光を帯びた。


 ――これで、お別れ。


 こみ上げてきた哀愁を奥歯ですり潰して、私は「気を付けてね」と笑みを作る。

 だって、私たちには"約束"があるのだから。


 蛍のような淡い光源が、徐々にその身体を包んでいく。

 刹那、郭くんは、どこか申し訳そうに薄く口角を上げて、


「……こんなこと言ったら、怒られるかもだけど。あの家でずっと待ってて、良かった。……あなたたちに、会えたから」


 どこからか吹き上げた風が、銀糸の髪を散らした。

 悲しみではなく、決意と願いに満ちた真摯な双眸が、私を映してきらめく。


「……必ず戻ってくるから、待っていて。あなたは――彩愛は、いなくならないで」


「!」


 祈るような囁きが、押し込めていた感情を刺激する。


 ――いなくらないで。


 そう。ずっと近くにいてほしかった。だって、大好きだったから。

 もっと一緒にご飯を食べて、言葉を交わして、いろんな景色を見に行って――置いていかないで、ほしかった。


 そんな私の拭いきれない渇望に、郭くんは、気付いていた。

 達観したようなことを口にするくせに、心の中ではまだ必死に、大切な人を失った喪失感と戦っているんだって。


「――っ」


 溢れた感情が、目尻からこぼれて頬を伝う。

 きっといま私は、酷く情けない顔をしているに違いない。

 けれども隠すよりも答えたくて、必死に頷く。


「絶対に、待ってる……っ!」


 郭くんは、小さく笑った。

 幼い少年の顔じゃなくて、子供を宥める大人のような表情で、小指を上げた右手を掲げる。


「……約束、だからね」


「……っ、うん。約束、ね」


 この"約束"は、心のかて

 "理由"は重ねれば重ねただけ、この先の世界に未練を与えてくれるから。


 私のあげた小指に、郭くんが頷いたその瞬間。光が四散して、郭くんの姿が消えた。

 目の前に広がるのは、ちょっと寂しげながらも、緑と朱が美しい庭。

 それはいたって"普通"の、今、目の前で起きたことが夢だとも思えるくらいの――。


「……酷い状態だな」


「そう思うなら、ハンカチかティッシュちょうだい。手ぶらできちゃった」


「……今は持ち合わせていない」


「ボク、先にお店戻って用意しておくよ。落ち着いたら戻ってきてね」


「ありがとカグラちゃん……」


 閉まる扉の内側に消えた背を見送って、手の内側で簡易的に涙を拭う。

 これだけの水分とあっては、化粧も崩れているに違いない。

 けれど別に、隠す気は毛頭ない。


 だってここには雅弥しかいないし、この人は私の"顔"の良し悪しなんて、微塵も興味ないって分かってるから。

 私を前にして、品定めの目を向けてこない人の傍は、気楽で心地いい。


(私がここに居付く一番の理由が自分だなんて、雅弥は夢にも思わないだろうな)


 戻ったら、お手洗いを借りないと。ポーチの中身を思い浮かべながら、私は横目で背後を伺う。

 雅弥も中に戻るものだと思っていたけど、動く気配はない。

 たぶん、私を気にかけてくれているから。


 かといって、何を言うでもなくただ黙ってそこに居てくれるってのが、雅弥らしいというか。

 私はなんの違和もない祠へと視線を戻し、両腕を開いて伸びをする。


「郭くん、どれくらいしたら戻ってこれるかな」


「……さあな。あやかしとヒトでは、同じ年数でも価値が違う。アンタがその"約束"を覚えているうちに、戻ってこれればいいほうだ」


「そんなに……。まあ私はおばあちゃまになっても美しく! かっこよくいる予定だから、その辺の心配はいらないかな。問題は、それまで『忘れ傘』があるかどうかのほうが……」


「アンタ、老体になっても入り浸るつもりか」


「そういう『条件』をつけたのは雅弥でしょ? 針千本なんてのめないし、"約束"を果たすまで、ちゃーんと付き合ってもらうから」


 "夢"なんかで終わらせない。

 共にした楽しい時間も、胸を締める寂しさも、未来への期待だって。


 そんな決意を胸に雅弥を振り返った私は、視界に飛び込んできた光景に息をのんだ。

 薄く上がった口角。柔らかく形を変えた眉。

 呆れだけではない、淡く穏やかに緩んだ黒い瞳。


「――アンタは、相変わらず自由だな」


 染み入るような心地よい声に、うっすらと羨望の欠片。

 それを優しい彼の、"この先"への了承と受け取って、私は「ありがとう」と微笑んだ。


「戻るぞ」と背を向けた雅弥が自身の"この先"を思って、秘かに懐の"薄紫"へと触れていたことなど、微塵も気が付かなかった。

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