第22話"護り"と対価②

「うう……やっぱり仕事じゃない場で誰かに説明するのって難しい……」


 初めは高倉さんに黒い靄が見えた、月曜日からの状況だけを説明するつもりだったのだけど。

 三人から飛んでくる質問に答えているうちに、結局、例の仕組まれたお見合いの話まで遡ってしまった。


(そもそもの元凶はアレだもんねえ……)


 やり直せるのならば、サクッと戻って、部長の"同行"依頼から断ってしまいたい。

 でも、あの事件があったから、こうして『忘れ傘』や皆と会えたワケで……。

 おでこを机に預けて突っ伏する私の頭上から、「ボクはよくわかったよー」と宥めるような声が落ちてきた。カグラちゃんだ。


「はい、コーヒー」


 陶器の擦れる音と、鼻腔をくすぐるほろ苦い豆の香り。

 誘われるようにして顔を横に向けると、今度は背の方から、


「ええ、本当に。お陰様で、報復すべき相手も数人いるとわかりましたし」


「ちょ、冗談よねお葉都ちゃん?」


 剣呑な台詞に勢いよく顔を上げると、お盆を手に乗せ座敷に上がってきたお葉都ちゃんが、綺麗な仕草で首肯する。


「ええ、冗談にございます」


 ……なんだろう。

 声の調子からして笑みを浮かべているだろうに、どうにも冗談に聞こえないというか。


「さあさあ、彩愛様。たくさんお話されて、お疲れになられたでしょう。こちらもどうぞ」


 丁寧な仕草で置かれた小皿を目にするなり、それまでの不安はどこへやら。

 私は「わあ」と目を輝かせ、


「すっごく美味しそう! つぎ来た時は絶対注文しようって決めてたのよねー。このチーズケーキ!」


 若草色の小皿に映える、カットされた真っ白なチーズケーキ。

 上部にはブルーベリーがころころと乗っていて、同色の、艶のあるソースがとろりと滴り食欲をそそる。


「って、あれ? コーヒーもだけど、私、もう注文してたっけ?」


 疑問を受けたカグラちゃんが、「ううん」と机に腕を乗せてにこりと笑んだ。


「これは彩愛ちゃんの怪我が早く治りますようにって、ボクたちからだよ」


「え……いいの?」


「もっちろん! 来たばっかりなのに説明も頑張ってもらちゃったし、ゆっくり楽しんでね」


 労わるようにして私を見つめる二人の背に、後光が見えたような気がした。


「カグラちゃん、お葉都ちゃん……。ありがとう、すごくうれしい。渉さんにも、あとでお礼いわなきゃ」


「きっと喜ぶから、そうしてあげて」


 カグラちゃんに同意するようにして頷いたお葉都ちゃんが、「これは渉様からの受け売りでございますが」と続け、


「こちらのケーキに使われているクリームチーズもバターも、北海道の牧場からお届け頂いているそうです。ブルーベリーのコンフィチュールは、そのご親戚の農園から」


「すごい。まさかの浅草で北海道気分……っ!」


「チーズはその栄養価の高さから美容と健康に良いとされる食材ですし、ブルーベリーもまた、強い抗酸化作用を持つアントシアニンや、食物繊維を多く含んでおります。彩愛様には、一日も早く元気になって頂かなくては」


「わあ……そう聞くと、このチーズケーキが特効薬に見えてきた」


 まあ、たとえただのスイーツでも、美味しく食べちゃうんだけど。


「うん。もっと元気になるためにも、ありがたく頂くね」


「……それ以上にか?」


 ぼそりした雅弥の嫌味なんて、聞こえません。

 嬉々として「いただきます」と両手を合わせた刹那、


「あのう、すみませーん!」


 店の扉が開いた音と、若い女性の声が二人ぶん。

 お客様だ。気づいたカグラちゃんがさっと立ち上がり、「はーい! いらっしゃませー!」と上り口で靴を履きながら、私達に目配せをして対応に向かう。

 そうだった。"普通"の人間には、お葉都ちゃんの姿は見えない。

 私は声を潜めて、


「お葉都ちゃんは、注文しなくていいの?」


「はい。お客様もみえましたし、これから夕刻時に向けた仕込みがいくつか必要となりますので、厨房にてお手伝いをして参ります」


「そっかあ……」


 うう、寂しい。けれどそういう理由なら、仕方ない。

 あからさまな落胆を見せる私に、お葉都ちゃんは着物の袖口を上げて微笑するような仕草をしつつ、


「また、頃合いを見て戻って参ります」


 そう会釈して、行ってしまった。


「やっとゆっくりお喋り出来ると思ったのに……私の話だけでおわっちゃった……」


 涙をのみつつ木製のフォークを持つ。

 と、呆れたような声で、


「……後でまた来ると言っていただろう」


「そうだけど……うう、いただきます」


 尖ったケーキの先をフォークで切り取って、ブルーベリーソースを絡めてから口に入れる。

 ねっとりとした濃厚なチーズの食感。

 贅沢なミルクの香りが噛むたび舌に溶けて、けれども甘酸っぱいブルーベリーのおかげで、くどさは感じない。


「美味しい……、美味しいよお……」


 口内に広がるこの感動を分かち合いたい。

 普段は一人での食事になんの抵抗もないのに、ここは誰かと楽しく過ごせる場だと認識してしまっているせいか、ものすごく寂しい。


 べそべそと泣き言を連ねながらコーヒーをこくり。そしてまた、チーズケーキを味わう。

 そのルーティンが三度目に差し掛かったところで、「……わかった」と根負けしたような声がした。

 ぱたりと本を閉じた雅弥は、どこか苦々しそうにカップを手にして、


「相槌くらいは打ってやるから、いい加減うじうじ言うのはやめろ。美味しいと思うのなら、美味しそうに食べてやれ。アイツが不憫だ」


 アイツ、という言葉に、「腕によりをかけて作ってきますね!」と張り切った笑顔で厨房に戻っていった、渉さんの姿が浮かぶ。


「……そう、よね。渉さんに失礼なことしちゃった」


 反省。ちゃんと気持ちを切り替えて、ありがたく味わおう。

 私は姿勢を正してもう一度手を合わせてから、「そういえば」と雅弥に目を遣る。


「昨日、どうしてあんな場所にいたの? 散歩……にしては店から遠いし」


「……まさかとは思うが、俺が"偶然"居合わせたとでも?」


「え、違うの? ……まさか、私を待ち伏せしてたとか?」


 まあでも実際、雅弥は私の連絡先を知らないのだから、私に用があったのならそうするしかない。

 わかっているからこそ、ワザとおどけた調子で言ったのだけど、雅弥は怒るかと思いきや悔いるように瞳を伏せ、


「……そのつもりだったが、間に合わなかった」


(……もしかして、これって茶化しちゃ駄目だった感じ?)


 ただならぬ雰囲気に、私は「ええと」と戸惑いながらも、


「でも、雅弥が来てくれたおかげで助かったし。本当、ありがとうね」


「……いや」


 どこか気落ちした双眸が、私の首元を捉える。


「……アンタはその跡を自分のせいだと言ったが、それは違う。俺がもっと早くに着いていれば、未然に防げた。……すまなかった」


「っ」


 え、ちょっと、なになにどうしよう……!

 まさかの謝罪に、私はたいそう慌てた。

 だってこんな、しおらしい雅弥なんて初めてだし。

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