第38話ぬりかべの餞別①
「これはヒトが何らかの"異変"を感じ取った際、その理由に対象物を思い描き、見えない存在を"知りたい"と願った場合の話だ。あやかし側にも、その特定の人間に姿を見せたいという意志があると、力なくとも"波長"が合い、認識が可能になることがある。アンタの時みたいにな」
雅弥は不服そうに眉根を寄せ、
「アンタみたいに、それを"きかっけ"として特異を得るのは稀だ。大抵は、そのあやかしだけを認識するに留まる」
「ええと……なんか、ごめんね」
あーでも、やっとわかった。
私はもはや懐かしくも感じる、始まりの時を思い起こして、
「だから最初に会ったあの夜、私に"知ろうとするな"って言ってたの。もうちょっとちゃんと説明してくれないと……。あれだけじゃ、なんかカッコつけてるヤバい人だーって思うだけよ」
「なっ……」
思わずついて出た驚愕を飲み込むようにして、雅弥はコホンとひとつ咳ばらいをすると、
「…………善処する」
難しい顔で、雅弥がロールケーキを咀嚼する。
なんだかちょっぴり気落ちしているように見えるけど……。うん、そっとしておいてあげよう。
ともかく謎は解けたと、私は郭くんに視線を戻す。
「つまりお爺さんは、メモ書きにあった通り、ずっと郭くんに会ってみたいって思い続けていたのね」
「……誰もいないはずなのに、誰かいるような気がしてたって言ってた。でも何か悪さをするでもないから、もしかすると、自分の知っている相手がお化けになって来たのかもって。……僕があやかしだって知って、すごく、驚いてた」
白玉と餡子をすくった郭くんが、小さく笑む。
「あの人は、あの家で、一人ぼっちだったんだ。でも、それでいいんだって、言ってた。あの家には、あの人の穏やかな温かさと、静かな寂しさが漂っていて……。それが、すごく心地よかった」
それから郭くんは、あの家でお爺さんと共に生活するようになった。
一緒に庭の草をむしり、プランターで夏野菜を育て、共に台所に立つ。
散歩に出かけ、冬には雪をかいて、炬燵に入りながら年の瀬を迎える。
「ずっとずっと、こうしていたいって、思った。……でも、あの人は、年を取っていった。初めて会った時よりも、もっと」
少しずつ少しずつ、崩れていく抹茶パフェ。
郭くんは悲し気な瞳で、手を止めた。
「……俺はこの家が好きなんだって、あの人が言ったんだ。死んじゃった奥さんと過ごした、娘が孫を連れてときどき帰ってくるあの家が、自分の"居場所"なんだって。……すごく、急で。どうしたのって訊いたら、自分ももう、そう長くはないだろうからって、笑ってた」
郭くんの持つスプーンが、小さく揺れる。
「……初めて、あの人がいなくなるってことを考えた。すっごく苦しくて、怖かった。あの人は僕に、せっかく見つけた"家"なのに、残してやれなくてごめんなって、謝った。自分が死んだら、ここは無くなるだろうからって。……その時、気が付いたんだ。僕が本当に"居心地がいい"って思ってたのは、あの家じゃなくって、あの人自身なんだって」
丸まった手の甲に、ほたりと雫が落ちた。
「……あの人が、大好きだった。あの人の"居場所"を守っていれば、いつか、帰ってきてくれるかもしれないって……そう、思ったんだ。肉体はなくても、ほんの、一瞬だけでも。僕は、僕は……っ」
ただ、と。
絞り出すような声が、心をかたどる。
「もういちど、あの人に、会いたかったんだ。会って、"ありがとう"って……"大好き"って、伝えたかった」
ボロボロと涙を落としながら、郭くんは未練を振り切るようにして、パフェを口に運ぶ。
――魂だけでもいい。
もう一度、ほんの一目だけでも、会えたなら。
私達は。残されてしまった者は。
一体いつまで、ありもしない"もしも"を願い続けてしまうのだろう。
それでも耐え難い胸の痛みを誤魔化して、治癒を時間に委ねて。
意地でも前を向くと決めたのは、自分自身だから。
「……次に会えた時に、ちゃんと伝えないとね」
絶対の保証なんてない、いつかの再会を夢見て告げると、郭くんは「……うん」と力強く頷いた。
ズボンのポケットからあのハンカチを取り出して、乱雑に目元を拭うと、ダージリンを口に含む。
そしてまた、残り僅かとなったパフェを口に。
「……あの家を出て、よかった。だって、こんなに美味しいモノがあるんだって、知れたから」
呟く言葉は、まだ、自身の選択を"正しかった"としたいがための、言い聞かせなのかもしれない。
だからこそ私は、わざと軽い調子で「でしょでしょ?」と笑んで見せる。
「けどね、このパフェだけで満足してちゃダメよ。だって『忘れ傘』のスイーツは、他のもすんごく美味しんだから」
だからね、と。私はもう一つの再会を胸に描きながら、
「今回は、渉さんと雅弥の"おもてなし"だったでしょ? 今度ここで会えた時は、私が郭くんにご馳走してあげる」
「……いいの?」
「もちろん! あ、でもその代わり、私の話し相手になってもらうから、その覚悟で」
ね、とちょっと意地悪っぽく両目を細めた私の対面で、雅弥が「アンタはまた……」と額を抑える。
私は何を今更、と首を傾げて、
「だって雅弥、ハンカチ返してもらうってだけでも、二人で勝手に会うなって言うでしょ?」
「当たり前だ。アンタはあやかしに抗う
「え? 隠世って、"見える"ってだけの私でも行けるの?」
「……昔から、ヒトが隠世に来ることは、あるよ。連れてこられたり、紛れ込んじゃったり、理由はいろいろだけど」
でも、と。郭くんは悲し気に眉根を寄せて、
「隠世の空気は、ヒトにはあまり、良くないから。あやかしと"契り"を結ばないと、そう長くは、いられない」
「へえ……ってことは、私がもし連れていかれちゃった場合は、急いで戻ってくるか、そのあやかしとなんとしても"契り"? とやらを結べばいいってことね!」
理解した! と手を打った私に、「だから、どうしてアンタはそう考えが斜め上なんだ……!」と憤る雅弥の声。
「だって、注意すべき事項があるのなら、ちゃんと対応策を知っておかないとだし」
「そもそもまず最優先事項として、危険事に足を突っ込まないよう、振る舞いを正してだな……!」
「だから郭くんとも、『忘れ傘』で会おうって話してるんじゃない。郭くんが私を襲ったり連れ去ったりするとは思えないけど、そうやって雅弥の胃がキリキリしちゃうでしょ?」
「俺の胃の心配をするのなら、あやかしや神と"約束"を結ぶのを止めろ」
「それは無理。だって私の人生は、私が選んでいくモノだし。私がしたいって思ったら、止められるのは私だけなんだから」
「……じゃじゃ馬め」
歯噛みするような罵倒も、「私をコントロールしたいのなら、上手く乗りこなしてくださーい」と受け流してみせる。
だってお葉都ちゃんの顔造りも、カグラちゃんの事情も、郭くんとのいつかの再会も。
相手があやかしだとか神だとかなんて関係なく、全部、私が大切にしたい"約束"だから。
「……確かに、あなたは少し、危ないかもしれない」
「へ?」
「……これ」
郭くんはそう言って、自身の耳元に手を滑らせた。
その耳を飾っていたピアスを外し、私へと差し出す。
「……これには、僕の妖力が込められているんだ。あまり強くはないけれど、少しだけ、あなたを守れるかもしれない」
もらって、と告げる郭くんに、私は戸惑いながら、
「そんな大事なモノ、本当に私に渡しちゃっていいの?」
「……うん。あなたに、受け取ってほしい。……僕もまた、ここであなたと会いたいから」
向けられた笑みに微かな願いを見つけてしまって、私はその強い瞳に背を押されつつ「ありがとう」と受け取ろうとした。
刹那。
「本当に渡すつもりか」
「!」
硬い声に、上げた手を止める。
見れば雅弥は見定めるような双眸で、郭くんをまっすぐに見据えていた。
口を挟めない。
そんな空気を感じ取った私は、場合によってはすぐに助け舟をだそうと準備をしながら、心配を手に郭くんを見遣る。
けれど郭くんはひるむことなく、決意を帯びた表情で「うん」と頷き、
「……渡しても、いい?」
「……害することが目的でないのなら、俺に止める権利はない」
「……ありがとう」
ロールケーキを一口放り込んだ雅弥は複雑そうに顔をしかめているけども、どうやら話はまとまったみたい。
再び私へと向き直った郭くんから、今度こそ「ありがとう」とピアスを受け取った。
淡い雫のようなそれは、光の角度によって、透明にも青色にも見える。
――綺麗。
私は右耳のピアスを外して、さっそくと受け取ったそれを耳に。
「どう? 似合ってるでしょ?」
髪を退け尋ねた私に、「……うん。よく、なじんでる」と郭くん。
私はそうでしょそうでしょと満足に頷いて、
「それにしても、私がちょっと危ないってどういう意味?」
郭くんは苦笑交じりに口角を上げる。
「……あなたは、そのままでいて。僕は今のあなたに、助られたから」
郭くんはそっと手を伸ばして、私の耳につけたピアスに触れた。
「……次はきっと、僕があなたを守る」
それはまるで、未来での再会を誓うかのような。
だから私もこの先を祈って、「ピアス、大事にするね」と笑みを返した。
共に願いを乗せた舌状に残る、抹茶の渋みと苺の甘さ。
彼の誠心が込められたピアスが、"次"を叶えるまでの支えになってくれたなら。
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