第31話守りたかったのは③
「私はね、いつか大好きな人とまた会えたら、"ちゃんと頑張ったよ"って笑って言いたいの。だから今を全力で楽しもうって決めてる。私の大好きな人は、私の笑った顔が好きな人だったから」
おばあちゃんが亡くなってから暫くの間、休日は決まっておばあちゃんの家に行った。
両親には遺品整理と言っていたけど、本当は、ただ寂しさを紛らわせたい一心で。
そうして一人、耐えがたい喪失感を埋めようとしていた、ある日のことだった。
寝室の戸棚に隠すようにして収められた、一冊のアルバムを見つけた。
『これ……』
初めて見る、羽ばたく白い鳥が描かれた表紙。明らかに絵本とは違うそれに興味を惹かれ手に取ると、ずっしりとした重みが掌を沈ませた。
床に置いて、表紙を開く。刹那、息が止まった。
――私だ。
まだ寝返りも出来ない頃から、数枚ずつ。
丁寧に貼られた写真はページをめくっていくたび、笑顔の数を増やしていく。
『彩愛ちゃんの笑顔は、世界一の特効薬だねえ』
私が歳を重ね、愛らしい幼児から"大人"へと外見が変わっても、おばあちゃんは私の笑顔を見つけるたび嬉しそうに笑っては、飽きずにそう繰り返していた。
いつでも私の幸せを願ってくれる人だった。
それなのに。私がおばあちゃんの死を受け止められず、塞ぎ込んでしまったら。
きっとおばあちゃんは、自分が私の笑顔を奪ったのだと、責任を感じてしまう。
――そんなの、絶対にダメ。
そうして目の覚めた思いで悲哀を振り切った私は、おばあちゃんと次に会ったときに、笑ってたくさんの"それから"を話そうと決めた。
死を思い出に押し込めて、強引に前を向いた。
大好きな人が大好きだった、私の笑顔を守るために。
「……ねえ」
私は祈るような心地で、はらはらと雫をこぼす少年の水鏡めいた瞳を見つめた。
「あなたが守るべきものは。守らないといけないのは、本当に、この"家"?」
少年が瞼を伏せる。
薄い色の睫毛が上下し、まあるい涙がほろりと落ちた。
「……あの人は、ここは自分の宝物だって言ってた」
「……そう」
「優しい人だった。ここにいていいよって、僕に居場所をくれて……。たくさん話をして、たくさん、教えてくれた。ずっと心が温かくて、ずっと一緒にいたいって、思ってた。……でも」
苦痛に耐えるようにして、少年が服の裾を強く握る。
「……いつも、僕よりも早起きのあの人が、降りてこなくて。おかしいと思ったから、部屋まで見に行ったんだ。そしたら……もう……」
きっと彼の脳裏には、過去のその場面が。
うなだれた頭が、後悔に緩く左右した。
「僕は、気が付けなかった。あの人はたくさん、僕にくれたのに。僕は助けることも、傍で手を握ってあげることも……なにひとつ、出来なかった。なにも返せなかった。だから、だからっ……!」
少年が顔を上げる。
赤く色付いた瞼を必死に見開き、すべてが詰まった"家"を見上げた。
「あの人は、自分がいなくなったら、きっとここもなくなるだろうって、僕にいったんだ。だから僕は、ここを守ろうって決めた。……僕は、"通さない"しか出来ないから。あの人に返せるのは、もう、それだけだって」
でも、本当は。
少年は開いた自身の掌へと視線を落とし、
「僕はあやかしだから、たくさん、時間がある。ここを出たら、あの人のことも、温かったことも、全部忘れちゃいそうで。……それが一番、怖かった」
忘れたくない、忘れる筈がないと思っていても、時間というものは気づかない間に『大切な記憶』をもひっそりと連れ去ってしまう。
覚えがある。だから私は彼に、"大丈夫だよ"なんて言えない。
――けれど。
膝を寄せ、彼と目線を合わせた。
微かに震える痛ましい掌を、両手で包み込む。
「……この家にこもっていたって、時間は進んでいくの。必死に"思い出"を抱きしめてても、記憶は少しずつ霞んでいく。そうやって少しずつ失くしていって、いつか全部がおぼろげになってしまったら、アナタはきっと、忘れてしまった自分を責めてしまうと思うの。そんなの、悲しすぎる」
下から覗き込むようにして、少年の顔を伺い見る。
驚いたようにして顔を跳ね上げた彼に、私は柔く笑んでみせた。
「私ね、後悔のない"お別れ"なんてないんじゃないかなって思ってて。その人が大切であればあるほど、きっとたくさんの"ああしていれば"が出てくる。私だって、考えだしたらキリがないもの。その人との思い出を失うたびに、どうして忘れちゃったんだろうって、自分が嫌になるし」
「……なら、どうしてあなたは、そうやって笑えるの?」
「私はね、忘れてしまった分だけ、"いつか"のお土産話が出来たなって思うことにしてるから」
「……いつかの、お土産話……?」
そう、お土産話、と。
首肯した私は言葉を重ねる。
「立ち止まっていたら、失うだけでしょ? でも、進めば進んだだけ、その人の知らない"私の記録"が生まれるから」
「……っ」
「最初は嘘でもいい。自分を騙しながら進んで、ときどき振り返って。そうやって新しく出会っていく"これから"を、いつかまた会えたその時に話してあげたら、大切なその人は喜んでくれないかな?」
面食らったような丸い眼が、瞬きを繰り返す。
刹那、少年はくしゃりと顔を歪め、
「……僕は、ここを出る。だって」
伏せられた瞳から、大粒の涙がポロポロと零れ落ちた。
それはまるで床を飾る、ビー玉のような。
「あの人は、僕の話が好きだって……っ。楽しそうに笑う僕をみていると、嬉しい気持ちになれるって……そう、言ってくれたから」
顔を上げた少年の眼に、決意が帯びる。
「僕はこの家じゃなくて、あの人の"嬉しい"を、増やしにいく」
「……そっか。それならこれからいっぱい、話せることを作っていかないとね」
「……うん」
とうとう袖口で涙を拭い始めた彼に、「これ、使って」とバッグから取り出したハンカチを差し出す。
淡い水色のリボンが刺繍された、新垣さんから受け取ったそれとは別のもの。
少年は当惑したように私の顔とハンカチを交互にみて、それからおずおずと手を伸ばした。
「……ありがとう」
小さく呟きながら受け取って、目元を覆いながら涙を拭い始める。
(この子も家を出るって行ってくれたし、雅弥にも祓われずにすんだし……)
これにて一件落着。
平和的解決でめでたしめでたし――と、言いたいところだけど。
「……この子はこれから、どうなるの?」
雅弥がこんなにも黙したまま、文句ひとつ挟まずに見守っているなんて、
伺い見るようにして背後に視線を遣ると、雅弥は眉間に不機嫌の谷を作りながら、
「さっき言った通りだ。ヒトへの直接的な被害はなかったとはいえ、コイツは"隠世法度"を破った。隠世において、罪を償わなければならない」
少年が、「……ごめんなさい。迷惑、かけて」と俯く。
「平気よ」と告げた私を遮るようにして、歩を進めてきた雅弥が少年の眼前に立った。
何をするのかと思いきや、そのままの姿勢を保ったまま、眼だけで見下ろしてくる。
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