浅草お狐喫茶の祓い屋さん~あやかしが見えるようになったので、妖刀使いのパートナーになろうと思います~

千早 朔

第1話『姿の見えないストーカー』に追われています①

 ――まただ。


 背に纏わりく、じっとりとした嫌な気配。

 私は足を止めずに、そっと背後を見遣った。


(やっぱり、誰もいない……)


 時刻は20時過ぎ。

 商業施設が併設されている錦糸町駅周辺や、飲食店の立ち並ぶ路地はまだまだ明りが眩しく賑わっているけど、その先の錦糸公園横に出ると一気に光源が減り、歩く人もほとんどいなくなる。

 大広場の主のようなモールを横目に、日中は車通りの激しい大通りを渡って、住宅街の細道に入ってしまえば、静かな夜の帳だけが佇んでいる。


 もう一度、今度は立ち止まってしっかりと後方を確認した私は、変わらず誰もいない夜道に再び前を向いて、早足気味に帰路を急いだ。

 沿道に建つ家々から漏れる、誰かの明り。

 何かあったら叫ぼうと胸中でウォーミングアップを始めつつ、肩にかけた通勤用のショルダーバッグからスマホを取り出し、握りしめる。


(ついでも蹴りの一発でも……ううん、避けられたら逆にピンチになっちゃうか)


 歩きやすくもシルエットが優美な五センチヒールが、心の焦りを表すようにカツカツ鳴る。


(――あ)


 数メートルある大きな鳥居が視界に入った。亀戸天神社だ。

 そう認識した途端、ふっと妙な気配が消えた――感じがした。


(路地を曲がった? ううん、まだ油断は禁物)


 目的がわからないのだから、警戒は最大限に。相手は気を緩んだ隙を狙っているのかもしれないのだから。

 その後も緊張感を保ちながら歩き続け、私は無事、今夜も家であるマンションの一室に辿り着いた。

 施錠はしっかりと。カーテンは朝から開けていない。

 電気を点け、通勤バックを置いた私――柊彩愛ひいらぎあやめは、緊張を解いて「あー! つっかれた!」と大の字でベッドに倒れこんだ。


「もー! なんなのよ毎日毎日っ! これで連続三日目なんですけど!」


 異変に気が付いたのは三日前。

 初めは猫でも付いてきているのかと思っていたけれど、二日目にして考えを改めた。

 だって、時間変えても付いてくるなんて、野良猫にしては執着が過ぎる。餌をあげるどころか、顔すら見た事ないのに。


「やっぱりストーカー……? ホント勘弁してよ……」


 物心ついてすぐ、自分の顔立ちが人より目立つことに気が付いた。可愛いものが好きだった私は心から嬉しくて、それこそ人形遊びのように、自身を飾り立てる"遊び"に夢中になった。

 それは成長してからも変わらず、むしろ拍車がかかり、今の私は天然素材に努力が加わって大層綺麗な見た目をしている。


 顔面は言わずもがな、程よく筋肉をつけた引き締まったウエストに、アッシュブラウンに染めたセミロングの髪は柔らかながらもツヤツヤ。

 つまり何が言いたいかというと、そんな私の外見に惹かれたというはた迷惑なストーカーを相手にするのは、これが初めてじゃないってこと。


 けれどこれまで出会ってきたストーカーは全員、隠れるというよりはむしろ気づいて欲しいと言わんばかりに堂々と付いてくるタイプだったし、そのおかげか私から声をかけて『やめて欲しい』とお願いすれば素直に引き下がってくれていたけど……。


「……今回は手強そうだなあ」


 気配は、確実にある。のに、姿どころか影も物音も一切しない。


「……実は、お化けだったりして」


 うん、むしろ、その方がしっくりくる。

 とはいえ、仮にお化けさんだとしても、私に付きまとう理由がわからない。

 この三日間、特別変わった場所に行ったわけでも、誰かの思念がこもっていそうな何かを買ったり食べたりしたわけでもない。


 怖がらせることが目的なら、それこそ最初から姿を見せればいいだろうし、かといって訴えたいことがあるのだとしても、残念ながら力になってあげることは出来ない。

 だって私は霊感なんて、さっぱり持ち合わせていないのだから。


「これこそ、"お守り"の出番なんじゃないの?」


 不満に唇を尖らせながら、私は右の手元に転がるスマホを持ち上げた。

 ケースに付けた薄紫の紐が揺れて、繋がる金の鈴がゆらりと離れて近づく。

 音は、出ない。そういう鈴なのだと、これをくれたお祖母ちゃんが言っていた。高校二年の時だ。


『鳴らない鈴なんて、鈴じゃないでしょ』


 呆れ気味に変なのと告げると、お祖母ちゃんは『いーや』と笑って、


『これはね、お守りの鈴なのよ。だからいつも一緒にいないと駄目だからね。いざって時にきっと、助けてくれるから』


 ね、と包み込まれた右手。両親が多忙な共働きだった私は、産まれた時から生活のほとんどをお祖母ちゃんと過ごしていた。

 思い出の大半は、お祖母ちゃんと過ごした日々。

 一番近くて、大好きな人の"お願い"。断れるはずがない。


『……仕方ないなあ』


 気付けば随分と皺だらけになってしまった手から、私の掌に移った小さな鈴。

 その日から今日に至るまで、私は律儀に"鳴らない鈴"を持ち歩いている。

 最初はどちらかというと義理立てのような気持ちだったけど、お祖母ちゃんが亡くなってからは、この鈴を通して見守ってくれているような……そんな、心の拠り所になっていたり。


「……いつまで続くんだろ、これ」


 眼前に掲げた鈴はお澄まし顔で、やっぱりうんともすんとも言わない。


「変なことにならなきゃいいんだけど」


 相手が人だろうがお化けだろうが、こうも手掛かりが無いようでは、対策の立てようがない。


「考えるだけ無駄、ってね」


 早々に思考を切った私はベッドから起き上がり、湯船にお湯を張るべく浴室に向かった。



***



 一社でも受かれば上出来だった就職氷河期世代。

 私は希望業種から三つほどお声がかかり、その中でもっとも福利厚生が充実している企業を選んだ。

 理由は簡単。例えパートナーが出来ようが出来まいが、自分の身は自分で養っていくつもりだったから。

 だから社内での人間関係は必要最小限に。矢面やおもてに立たされないよう愛想だけは保ちつつ、全力で面倒事は避けてひたすらに仕事を全うしていたのに……。


(ああー、もう、失敗した。こんなことなら、初めから逃げておけばよかった……!)


「なあ、たのむよ柊くん! ちょっとだけ……ちょっとだけでいいからさ……!」


(……ここだけ切り取って人事に訴えれば、セクハラで移動に出来ないかな)


 けれども悲しいかな、あいにくボイスレコーダーなんて代物は手元にない。おまけに仮に人事にかけあった所で、私を守ってもらえるという保証もない。

 それならおもいっきり溜息をつくくらい、許されるんじゃない?

 そんな衝動をぐっと堪えて、眼下で手を合わせる白髪交じりの男性に向かって、申し訳なさそうに眉尻を下げてみせた。


 ……突然会議室に呼び出すから、何かと思えば。


「……白居しらい部長。その件につきましては、先日しっかりとお返事させて頂きましたよね? 私には勿体ない方です。他にもっと相応しい女性がいるはずですと」


「ああ、聞いたさ。だがね、ウチの息子はキミしか考えられないと言っているんだ。だからね、もう一度会ってやってくれないか。ほんのちょっとだけでいいんだ。キミも息子を理解してくれれば、きっと気に入るだろうからさ!」


 だからですね? こちらは理解したくもないから、お断りしているんですよ。


(なんで、そんな簡単なこともわからないかなあ)

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