第16話 舞い落ちるモノ


「ククク…… ! この馬車はゴルド・ソルド様からのたまわり物に違いない ! 」


 河原に流れ着いた横倒しの馬車によじ登り、アルナルドは足元の扉を開く。


 ほろ馬車のように防水布を覆った荷馬車ではない。


 重厚な木を組んで作られた客車だ。


 ゴブリン達もよじ登ろうとするが、身長 1 メートルほどの彼らでは飛び上がったところで到底届かない。


「ダメダ……」


「ダレカガ……シタニナッテ……ソノウエニノボレバ……トドクカモ……」


「オマエシタニナレ……オレイヤダ……」


「オレモイヤダ……オマエヤレ…… ! 」


「ナンダト…… ! 」


 ギャアギャアと誰が土台となるかで喧嘩し始めるゴブリン達。


「はいはい、喧嘩しないの。こういう時はジャンケンで決めなさい」


 ベルが呆れたように言った。


「……ジャンケン ? 」


「ナニソレ ? 」


「ジャンケンって言うのはね……」


 しばしジャンケンの説明があって、それから白熱したジャンケン大会が始まる。


 ゴブリン達は小さな 5 本の指の形を変えて出し合い、やがて誰が土台になるとかはもう関係なくなっていく。


「ジャンケンポン ! 」


「アイコデショ ! 」


「カッタ…… ! 」


「モウイッカイ…… ! 」


(ジャンケンをする魔物か……。この子達にとっては生まれて初めての「遊び」なのかもしれないな)


 さっきまでの喧嘩はどこへやら、何がそんなに楽しいのかゴブリン達は輪になって笑いながらジャンケンを続ける。


 しかしそんなどこか平和な空気は唐突に終わりを迎える。


 その小さな輪の中心に何かが落ちて来た。


「ウワア !? 」


「オヤブン !? 」


 頭上に何か大きなものを掲げたアルナルドだ。


「どうだ !? 」


「急に飛び降りてきて『どうだ !? 』って言われても……主語は一体何なんですか ? 」


「バカ野郎 ! それくらい空気を読みやがれ ! この馬車の中から見つけたこいつは良いだろ ? って意味の『どうだ !? 』だ ! 」


 そうわめいて、アルナルドは頭上の大きな半球から 3 本脚が生えたような金属製の物体を見せつける。


「錬金釜ですね。ということはこの馬車は連奇術師のものですか」


「ああ ! 他にも色々あったが、まずはこいつを使う ! 」


「使う ? 錬金術師の最大の目標である『賢者の石』の錬成にでも挑むんですか ? こんな状況でそんなことをしようとする愚者に作れるとは到底思えませんがね」


「バカ野郎 ! こいつは鍋に使うんだよ ! さっきのメガダイルの肉を持ってこい ! 煮込み料理の開始だ ! 」


「……料理に使っても大丈夫ですか ? 錬金釜って色々危ない薬物とかの調合にも使ってますよね。毒とか残ってたら……」


「大丈夫だ ! 火を通せば全ての毒は消え失せる ! 」


 火による毒の加熱分解を盲信する絶対に調理師免許を与えてはいけない男の宣言により昼ごはんの準備が始まった。


────


──これは……死の直前に見る走馬灯という奴だろうか…… ?


「お姉ちゃん ! 大きな鳥が飛んでるよ ! 」


 小さな妹の声に白い羊達の脇にいた姉は、羊の毛と同じように白くふわふわとした雲が浮かぶ青空へと目を向ける。


 粗く丈夫な布で作られた作業用のワンピースの若草色の裾を重くはためかせて、太陽のように笑う妹は一面の草原で嬉しそうに飛び跳ねていた。


 だがそんな妹とは対照的に姉の顔はどんどんと曇っていく。


「……家に帰るよ ! すぐに ! 」


「え ? どうしたの ? 」


「いいから ! 」


 姉は小さな手で、さらに小さな手をしっかりと握り山道を駆けおりていく。


「羊さん達、置いてきていいの ? 」


「いいの ! 」


 いつも優しい姉の怒鳴り声に妹はびくりと肩を震わせる。


 同時に小さな地響きがして、今まで聞いたことのないような羊の鳴き声が聞こえた。


 それは悲鳴のようでもあり、嗚咽のようでもあった。


 姉はさらに走る速度を上げ、妹は転ばぬように必死についていく。


 やがて見慣れた屋根が眼下に見えてくるが、その上には見慣れない巨大なものが飛んでいた。


 それは黄金の瞳に縦長の黒い瞳孔。


 火山の溶岩のように赤黒い鱗のと、冬山の氷河のように青白い鱗。


 大木のような四肢の先からは騎士の長剣よりも長く太い爪が四本ずつ伸びており、その背中からは鳥の翼というよりは蝙蝠こうもりに近い薄い皮膜の翼を悠然とはためかせていた。


 神話にも登場する最古の怪物、竜だ。


 それも二匹。


 その上空にさらに一匹。


 緑色の竜。


 赤黒いのと青白いのとに比べれば小型のそれは背中に鞍を装備して、誰かを跨らせていた。


 白い鱗。


 青い髪。


 金色の瞳。


 人間と同じような体格ではあるが決定的に違うそれは、魔族であった。


 姉の脚は震えで止まる。


 あれだけ大きなものが生きて動いている、その圧力は幼い少女を動けなくするには充分であった。


 このまま村に帰るか、それとも山道の脇に入って山奥に隠れるか、そんな選択を姉が迫られているとも知らずに妹は駆けだす。


「お母さーん !! 」


「ダメ…… !! 待って !! 」


 小さな背を追っていく目の端に村に下りていく竜が映る。


 そして放牧に行く前は平穏そのものであった村が、地獄となっていた。


 いつも静かな隣のおばあさんから信じられないほど大きな悲鳴がでて、それが一瞬で上半身の水分が蒸発する音に消える。


 溶岩のように赤黒い鱗の火竜は炎を吐き終わったばかりの大きな顎を開くと、黒く炭化した上半身をサクッと軽い音を立ててむ。


 いつも姉の髪を引っ張って、かまってもらっていた村長の息子は目玉が飛び出るほどに見開いたまま、止まっていた。


 氷竜が吐いたブレスによって時ごと凍ったのだ。


 それからシャリッとこの季節には不似合いな雪を噛んだような音がして、彼の頭は氷竜の顎の中に消えた。


 血すら吹き出さずに棒立ちのままの凍った村長の息子の首から下だけの身体はどこか悪夢のように現実感がなかった。


 上空ではそんな二匹を愛おしそうに目を細めて眺める人型の蛇を思わせる魔族。


 逃げまどう村人。


 焼け焦げた人肉の臭い混じりの熱気と身も凍える冷気が同時に肌を襲う。


 地獄絵図だ。


 二人は意味をなさない叫びをあげながら家に飛び込む。


 そこには張り詰めた顔の両親が息を潜めて待っていた。


「早く…… !! ここに…… !! 」


 そう言って母親は床板の下、半地下の収納スペースに二人を押し込める。


「お父さんとお母さんは !? 」


 娘二人で一杯となった床下から見上げながら、姉が悲痛な声をあげた。


「私達は大丈夫だから ! 」


「きたぞ ! 」


 窓の外を窺っていた父親が叫ぶ。


「いい ! 何があっても出てきちゃダメよ ! 私達はあの化け物がいなくなったら必ず帰ってくるから…… ! 」


 そう言って母親は微笑んだ。


 それは母性とでも言うべきものの究極が滲み出たような、優しく、儚い笑顔であった。


 泣きわめくことしかできなかった妹も、その微笑みに何かを感じたのか、ぐずりながらも必死に口元を両手でおさえて声を殺す。


 そっと床板が屈んだ二人の上に下ろされ、闇が訪れ、両親の足音が遠くなっていった。


「お姉ちゃん……怖いよ……。お母さんとお父さん……大丈夫だよね…… ? 」


 闇の中、きゅっと姉の手を握る妹の力が強くなる。


 私も怖い、と言いたいのを幼いながらも姉の責任感で飲み込み、姉は優しく言う。


「きっと大丈夫よ ! お母さんとお父さんが嘘をついたことなんてないじゃない ! そうだ ! お母さんとお父さんがが帰ってきたら怖いのを我慢したご褒美にリー伯母さんのところに連れてってもらおうよ ! 」


「リー伯母さんのところ……」


「そうよ ! あの街には村にないものがたくさんあったじゃない ! 」


「うん……リー伯母さんも優しいし……甘いお菓子も食べた…… ! 」


「それにカリンちゃんもいるでしょ ? また一緒に遊べるよ ! 」


「そうだね…… ! 」


 闇の中、妹が少しだけ笑い、姉は少しだけ安堵する。



────


「おい ! この家の床下……生きてるぞ ! 」


 細い朝日を顔に浴びてイヤンは目を覚ます。


「……リヤン ! もう大丈夫よ ! 」


 彼女は握ったままの手の先を見て、息を呑む。


 その小さな手の、肘から先は、大きな瓦礫の下だった。


「え ? ……嘘……そんな……そんな…… ! 」


 産まれてきたばかりの小さな頬っぺたをおそるおそる触ったこと。


 妹に両親の愛情を取られて嫉妬してしまったこと。


 二人で山奥に探検にでかけて、とんでもなく怒られたこと。


 初めて一緒にパンを焼いたこと。


 弱った羊の赤ちゃんを二人で必死に看病したこと。


 特別なこともそうでもないことも、全部の思い出がイヤンの頭に一気に溢れ出し、それは絶叫となって外に溢れ出る。


 この村の生き残りは、彼女一人であった。



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