第19話 臆病な戦士との出会い



 信じられないほどの血が口と鼻から流れ出て、灰色の石畳をどんどん赤く染めていく。


 最初は熱さを感じたイヤンだが、それはすぐに痛みへと変わっていく。


 どうして !? と問いかけようとするも、砕けた顎は言葉を作りだせずに苦悶の声となって呼気を出すだけであった。


 よって彼女はまるで Y の字のように綺麗に片足をあげた男を茫然と見上げることしかできなかった。


「フン……正面からの蹴りをこれだけまともにくらうようでは話にならんな。それでよく俺から勇者様のパーティーメンバーの座を奪おうと思ったな…… ! 」


 免許皆伝を示す紫の道着を纏い、地黒の肌に鋭い眼光の男だ。


 黒い長髪を後ろに三つ編みにしている。


 これは古来から武道家のスタイルであり、昨今の男の武道家が恥ずかしがってやらないそれを踏襲していることは、彼がそれ相応のプライドを持っている証でもあった。


 そんな武道家チャン・シンが自らの席を奪い取ろうとする不届き者を赦せるはずがなかった。


「ぢ……ぢが……」


 石畳に尻をつけたまま、慌てて否定しようとするが、言葉をうまく紡げない。


 彼女はあくまで双竜とそれを使役する魔族に仇討あだうちをしたいだけで、そのために勇者パーティーに同行したいだけなのだ。


 パン、と破裂音がして、その次にキンキンと甲高い音が頭に鳴り響いて、彼女は真横に吹き飛ぶ。


 鼓膜が破れ、頭の中が痛みと浮遊感でぐるぐるかき回されて、朝に食べたものを盛大に吐き戻した。


「フン……『硬化』を使いこなせぬか。それに多少鍛えてはあるが、もともとの体格も小さい。まるで才能がないな。これで双竜を討とうとは……笑わせてくれる ! 」


 癖なのであろうか、男は再び鼻から音を立てて空気を噴き出すと、冷たさと侮蔑とが混じった視線でイヤンを見下ろす。


 実際のところ、彼女は弱くはなかった。


 だがそれは何の恩寵も持たない一般人に比べてだし、田舎の武術道場の門下生に比べてであった。


 勇者パーティーに加わる上位 1 %に入るような天才と比べるのはこくであった。


「……今ここでお前の武道家としての命を絶つ ! 自ら双竜の餌となって奴らがさらに人を襲う活力となるよりはその方が良い…… ! 」


 そう言い放つとチャンは血と吐しゃ物にまみれて横たわる無残な少女に引導を渡すために近づいていく。


 そして足にピッタリと張り付くようなカンフーシューズの底を彼女の膝に当てた。


「フン……」


 徐々に足に力が込められ、それに比例して彼女の膝の骨が軋みをゴリゴリとあげていく。


「や゛め゛でぇええ…… ! わだじ……い゛もう゛どど……どう゛ざん……があざんの……がだき……うだなぎゃ……な゛らな゛い゛のにィいぃいい…… !! 」


 耐えがたい痛みの中、砕けた顎で必死に行う懇願も男にまるで響かない。


 この世界には回復魔法も回復薬もある。


 それは重傷でも瞬時に回復するような奇跡を起こす。


 だがそれは万能ではない。


 限界がある。


 たとえば切断された四肢はどうやってもつなぐことはできない。


 つまり男の足の底が石畳についた時、脚を踏みちぎられた時、イヤンの武道家としての命は絶たれるのだ。


「だぁれ゛がぁぁああ !! だぁずげで…… !! 」


 そんな少女が全てを絞り出してあげたような救いを求める声にもこたえる物はいない。


 誰もが悲痛な顔をして目を背ける。


 勇者に、勇者パーティーに逆らえるものは誰もいない。


 それは彼らの戦闘能力のおかげでもあり、特権でもあった。


 町の人々は俯き、足早にその場を去るか、その惨劇を興奮の眼で見つめるかのどちらか。


 だがそんな流れに逆行する者がいた。


「……や、や、やめろぉぉおおお……よ、よ、弱いものいじめはよせぇぇぇ…… 」


 とても小さな、囁くような声だった。


 しかしそれはチャンの耳に届き、彼はギロリとその発声源はっせいげんを睨み、ぎょっとした。


 とてつもなく貧弱で情けない抗議の声をあげたのは、大きなシャツが張り裂けんほどの筋骨隆々の大男であったからだ。


「なんだ貴様は ? 何か文句でもあるのか ? 」


「あ……いや……その……女の子……痛がってるだろ……や、やめてやれよ……」


 大男は武道家の刺すような視線に怯んだのか、俯きながら、震えながら聞き取ることがやっとの小さな声で武道家を制止する。


「あら ? あなた『臆病なニール』じゃない。うちのパーティーと揉める気 ? そうなればアルナルドも困るわよ。それでまたアルナルドに叱られちゃうかもね」


 今までこの惨状を見守るだけであった聖女が久方ひさかたぶりに声を出した。


 小柄な勇者の背後から両手を彼の首に回しながら、揶揄からかうように。


「聖女様、こいつも別の勇者パーティーのメンバーなのですか ? 」


「そうよ。勇者アルナルドのね。彼はとっても怖がりなの。だからよくアルナルドに叱られているわ。ベネディクタがどれだけ余計委縮しちゃうからやめろって言ってもね」


 まるでお茶会の最中に出された焼き菓子の感想でも言うかのような軽い口調で聖女は武道家の問いに答えた。


「ア、アルナルドは他の勇者達と問題を起こしても……怒ったりしない……いや、怒る時もあるけど……でも……弱い者いじめを見過ごしたら……きっと……もっと怒る……」


 そう小さな声で、自分に言い聞かせるように言うと、ニールは震える足を一歩前に踏み出した。


「フン……震えているではないか…… ! デカい身体の割に情けない奴だな……」


 呆れたようにチャンは言う。


 それに対してニールはへへっと卑屈に笑って片手を頭に添える。


 いつもの彼がバカにされた時にやりすごす仕草だ。


「アルナルドは珍しく後天的に勇者になったの。でも元々は盗賊。不思議なものよね。法を司るクレスセンシア様がどうして無法者に恩寵を授けたのか……」


 両腕を蛇のように勇者に絡みつけつつ、聖女はチャンに続けてアルナルドのことを話す。


 そしてその内容は高潔な武道家である彼には受け入れがたいものだった。


「盗賊…… !? そんな下劣な者がなぜ勇者に !? どうりでこんな臆病者をパーティーメンバーにしているはずだ。まともな者なら盗賊あがりのクズの下につくはずがないからな ! 」


 吐き捨てるように、実際に唾を吐きすてながら言いチャンは足元で息も絶え絶えなイヤンを見やる。


「おいどうだ ? お前もそのアルナルドとやらのパーティーになら加えてもらえるかもしれんぞ ! 才能も実力もないのに自信だけは一人前のクズにお似合いだ ! 」


「うア゛ア゛ア゛あ゛あ゛ぁあああああ…… ! やめ゛でぇぇええ…… ! 」


 再びチャンが足に力を込めたのだろう。


 イヤンの口から悲痛な声が出る。


「…… !? 」


 そして彼は後ろに飛び退すさった。


 すさまじい圧を感じたからだ。


「お前……今なんて言った ? アルナルドの悪口を言ったよな ? 俺の恩人の……俺の親友の…… ! 」


 卑屈な笑みはいつの間にか消えていた。


 短い茶色の髪が逆立ち、緑の瞳はつり上がり、先ほどまでとはまるで人相が違った。


「フン……大地の女神様の恩寵がないわけではないか……。聖女様、本気でやってもよろしいか ? 」


 この場合の本気とは「殺してもよいか ? 」という意味だ。


「いいわよー」


 聖女はお茶のお代わりを所望する相手に応えるような軽い返事で、それに応える。


 チャンの両手の手刀が「硬化」によって殺傷力を増していく。


 それは剣であり、槍であり、斧であり、つちでもあった。


「ハッ ! 」


 裂帛れっぱくの気合とともに、懐に飛び込み瞬時に数発撃ちだされたそれは甲高い金属音をビバーチェで演奏する。


「な…… !? 」


 分厚い鎧すら貫くチャンの攻撃はニールの肉体に全て弾き返された。


「うおおおおおおおおお !! 」


 そしてチャンからすれば鈍重な握り拳が彼の顔面に向かって飛んできた。


 するりと大きな鉄球のようなそれを躱し、再び踏み込もうとして果たせなかった。


 後ろから何かが彼の三つ編みを引いていたから。


 それは 0.1 秒ほど前に通りすぎていった拳以外に考えられない。


「しま……」


 ドゴン。


 まるで大きな岩が何かに衝突したような音がした。


 ニールの額がチャンの頭頂部に落ちた音だ。


 大きく仰け反った彼が反動をつけて頭突きをくらわせたのだ。


「効いただろ ? お前がバカにしたアルナルドの得意技だ」


 白目を向いたチャンを握りしめた彼の三つ編みで支えながらそう言うと、満足したのかニールはその手を放す。


 すると当然ながら彼は地面に崩れ落ちた。



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