第32話 禁断の果実②



「……あの世ってあるのかしら」


「……わからない。今まで真剣に考えたこともなかった」


 蒼二そうじは軽く頭を振る。


 働き盛りで、近しい親族もまだ亡くなっていない男はそんなものだ。


 でも、と彼は続ける。


「あの世があるなら……そこではずっと二人でいよう」


「そうね……。なら奥さんには長生きしてもらわないと……あの世でも邪魔されたらたまらないわ」


 亜矢は悪戯っぽく微笑む。


 蒼二そうじは苦笑して、彼女を抱き寄せ、キスを交わした。


 そして太陽のように生命を育む暖かさとはまるで違う、ただただ冷たい無機質な光が二人を含む全てを包み、その中で分解していく。



「あ、あれかな~ ? 」


 うたが指さす方を見ると、どこまでも青い空の中、小さな白い光の点が尾を引いて落ちている。


「そうだな。きっとあれだ……」


 夕夏ゆかの、詩の手を握った右手に少し力が入る。


 二人は屋上の柵にもたれ、床に座り込んで、空を眺めていた。


「……痛みを感じる間もないって聞いたけど、ほんとかな~。痛かったら嫌だね~」


「そうだな……」


「死んだらどうなるんだろ~ ? もし生まれ変わることができたら、私、生まれ変わった夕夏ちゃんを探しにいくね~」


「……たとえ生まれ変わったとしても……前世のことなんて忘れてるよ。生まれ変わりがあるんなら、今の私達だって前世のことを憶えてないんだから」


 夕夏が力なく呟いた。


「そうかな~ ? きっと本当に大切な人のことは……明確な記憶じゃなくても魂か何かに刻み込まれてると思うよ~ ! 」


 詩は、こんな状況なのに、花がほころぶような生命力にあふれた笑顔で夕夏を見つめた。


 夕夏の脳裏に焼き付いて、けして消えることない彼女の大好きな笑い顔だ。


「……そうかもな。じゃあ私も生まれ変わったら、詩のこと探しに行くよ」


「ふふ、じゃあ競争だね~。どっちが先に相手を見つけるか勝負~ ! 」


「何言ってんだ。お互い探し合ってるんだから、出会った時点で引き分けだろ」


「あ~そうか~ ! 」


 詩は右手で頭を抱えた。


 そして二人は笑い合う。


「ねえ、夕夏ちゃん……また会おうね。絶対、絶対だよ~ ! 」


「ああ……絶対だ ! 」


 二人は笑顔で涙をこぼし、両手を固く握り合って、光に消えていった。



 仏壇の前においたスマホが鳴る。


 こんなものはよくわからない、という祖母に孫が根気よく教えてくれたものだ。


「ようやくつながった ! おばあちゃん ! 今どこ !? 」


 血相を変えた孫の顔が画面に映し出された。


「どこって、家に決まってるじゃない」


「そんな……逃げなきゃ…… ! 」


 ヨネは画面に向かって首を横に振る。


「もう間に合わないわ。でも……極楽に行けたら仏様になってあなたを見守るし、地獄に落ちたら鬼になって、この戦争を起こした奴をたたり殺しにいくから安心なさいな」


「ばあちゃん……こんな時も変わらないね……怖くないの ? 」


 泰然とした祖母に画面の中の孫が呆れたように言う。


「私が怖くないとしたら、それはあなたのおかげよ」


「私の ? 」


「ええ、あなたが元気でいるから、私は安心して逝けるの。だから……何があっても生き延びて。たとえ泥水を啜ることになっても。大丈夫。戦争は永遠には続かない。経験してるからわかるわ」


「……わかった。絶対に戦争が終わるまで生き延びる ! だから……」


 その時、孫のスマホ画面の中でにっこり微笑む祖母が光に包まれ、通信が途絶えた。




 最初のアルバムの最初のページ。


 そこには産院のベッドで赤ん坊を抱く母と、その横で直立不動の父。


 郁也が産まれた日の写真だ。


「……もうすぐ終わっちゃう……俺……まだ何も親孝行してないし……迷惑ばっかりかけたのに……」


「そんなことはない」


「そうよ。あなたが元気に産まれてきてくれて……それだけで私達はどんなに嬉しかったか……」


 両親は微笑んで、俯いた郁也の背中に手を回す。


「俺……もし生まれ変わるなら、もう一度、父さんと母さんの子どもに産まれたいな……」


「そうか……父さんも生まれ変わったら頑張ってまず母さんを探すよ」


「ふふふ、待ってるわ。二人とも」


 そして親子は光に消える。



 儚く、脆い、手近なものを積み上げて作られた急造の壁の前に、先生達は一列に並ぶ。


 彼女達自身もその壁の一部となって、園児達を守るために。


「あの新型爆弾は核よりも凄くて……地下にいたってダメだって言うじゃないですか……。私達なんてなんの役にも立ちませんよ……」


 そう言いながらも列に加わる若い先生が吐き出すように呟いた。


「……そうかもしれない。でもこれで私達は幼稚園の先生として、できること全てをやれた。胸を張ってあの世に行けるじゃない。そして後から来る外交に失敗して戦争を引き起こした挙句、自分だけは国から逃げ出した政治家どもを正々堂々と怒鳴りつけてやるのよ ! 」


 そう言って園長先生はたくましく笑う。


 そして幼稚園は光に包まれた。



 ガタン、と音がして缶コーヒーが排出された。


「……ストロングゼロでも売ってりゃあいいのによ」


「産婦人科に設置された自販機に何を言ってるんですか ? 妊婦にアルコールは厳禁なのに売ってるわけないでしょうに。消毒用アルコールに砂糖でも混ぜて飲んだらどうですか ? 」


 医者から冷えた缶コーヒーを受け取りながら、看護師が悪態をつく。


「まったく……最後だってのに可愛げのあることの一つも言えないもんかね」


 医者は苦笑しながら、もう一つ買った缶コーヒーを呷る。


 二人は自販機横のベンチに並んで座った。


「……最後ですか。……今の出産に意味はあったんでしょうか ? どうせ……数分後には消えてしまうのに……」


「……あるさ。この宇宙だっていつか消えちまうんだ。いつか消えてしまうものに意味がないなら、全ては無意味になっちまう」


「だとしても……あまりに短すぎるじゃないですか」


「ああ、そうだな。永遠に比べればほんの一瞬だ。だが永遠を超える一瞬はあると思うぜ。きっとあの親子にとっては……それが今だ」


 医者は赤子の泣き声と両親の笑い声が漏れ聞こえる扉を見やる。


「そうですか……そんな一瞬があるとしたら……私はそれに出会う前に生涯を終えてしまうようですね。休みをろくにくれない勤務先の医者のせいでね」


「……悪かったな。人手不足で。まったく、最後まで可愛げのない野郎だな。お前は」


「それは私の可愛い所を見つけられなかったあなたのせいでもありますよ。不愛想なのは認めますがね。ところで先生は来世があるとしたら、どんな世界に生まれたいですか ? 」


「ずいぶんと非科学的なことを言うな……」


「良いじゃないですか。非科学的でも。人間が科学だけを追い求めた結果、私達は殺されようとしているんですから」


「……そうだな。お前はどんな世界に生まれたいんだ ? 」


「私は……人間が間違えた方向に進まないように神様が導いてくれる世界がいいですね」


「そうか……俺は男と女の貞操観念が逆転してる世界がいいな。女が中学生男子くらいの性欲を持て余して男に迫ってくるような……」


「……そこで『お前と同じ世界がいいな』くらい言えないもんですかね。まあいいです。自分でも気持ち悪いことを言うと自覚してるんですが、先生とはまた会える気がするんですよ。遠い未来に……」


「奇遇だな。俺もそんな予感がしてるんだ」


 そう言って二人は見つめ合う。


 そして看護師は笑った。


 なんだ、笑うと可愛いじゃねえか、と医師が言う前に二人は光に消えた。



『 AP‐7 起動します……』


 無機質な音声がシェルターに木霊こだました。


 そして人型の機械が壁のシャッターから歩き出してくる。


「……そんな !? お前が起動するのは人類の人口が現在の 1 %になった時か……全ての人工衛星が消えた時だけのはず……」


『全てのサテライトの消失を確認しました。現在、外気の計測中……オールクリア。シェルターの扉を開きます』


 たすくはそこに信じられないものを見る。


 森だ。


 確かに研究棟の地下にこのシェルターはあったはずなのに。


「バカな……」


 そしてまたしても信じられないものを見る。


 人型の生き物だ。


 それらは剣や鎧を装備して、彼には理解不能な言語でなにやら興奮気味にこちらを見ながら会話していた。


「ば、化け物…… !? 」


 思わず尻もちをついて後ずさる佑に、その中の一体がそろそろと歩み出た。


「お、落ち着いて……ください……。危害は……加え……ません……。賢者……様……」


「に、日本語 !? お前は一体 !? 」


「わ、わたしは……賢者……様の……言葉を……伝える……役目の……ものです……。どうか……わたしたちに……知恵を……授けて……ください……」


 そう言ってその人型の爬虫類は恭しくお辞儀をした。


 日本人のように。



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