第31話 禁断の果実


 着信音が鳴る。


「……出なくていいの ? 奥さんからでしょ ? 」


「いいんだ」


 蒼二そうじは先ほどから途切れることなく鳴り響くスマホの音を消した。


「亜矢こそいいのか ? どこかに……」


「私はいいの。父さんも母さんもとっくに天国に行ってるし……」


 そう言って亜矢は蒼二の胸に顔を埋めた。


 彼はそんな彼女の肌の温もりを感じながら、そっと背中に両腕を回す。




 重い屋上の扉の軋む音だ。


「……こんな所にいたんだ~ ! 」


 屋上の柵の上に組んだ両手を載せて、空を見上げていた夕夏ゆかが振り向くと、親友だったうたがいた。


 制服のスカートの端をはためかせ、走ってくる。


 懸命に彼女を探したのであろう。


 汗が顔を濡らしていた。


 いや、それは汗だけではなかった。


「なんだよ……。大人しく校舎の中にいろよ。 0.1 %くらいは確率があるらしいんだから……」


 夕夏は再び詩に背を向けて、ぶっきらぼうに言った。


「そんなのないのと一緒だよ~。だから夕夏ちゃんと一緒にいようと思って~ ! 」


 詩は夕夏の隣に並び、同じように柵に軽く体重をあずける。


「なんで……なんでだよ…… ! 私のこと……拒絶したくせに…… ! 」


 夕夏はそんな彼女から顔をそむけた。


「それとこれとは別だよ~。夕夏ちゃんは私の一番の親友なんだから~」


 詩はにっこりと笑う。


 いつものように。


 昨日のことなどなかったかのように。




 チーンとおりんの音が響いた。


 今時はずいぶんと珍しくなった大きな仏壇の前、ヨネは遺影に語り掛ける。


「まったく……この国は何度大変な目に遭わなきゃならないんでしょうね」


 供えたばかりの缶ビールは水滴が滴っていた。


 彼女の夫が好きだった銘柄だ。


「私達の時代は、物が無くても、苦労ばかりでも、それが当たり前だったから……。でも今の子達はなにもかもあって当たり前ですからね。乗り越えることができますかねえ」


 ヨネは分厚い座布団の脇に置いていた茶碗を取り、上品に玉露をすすった。




 とんとん、と軽い音がする。


郁也いくや…… ! 」


 両親が驚いた顔で階段を下りてきた郁也を見つめた。


「……父さん……母さん……ごめんなさい…… ! 俺……あの時……恥ずかしくて……言えなくて……我慢してたら……どんどん具合が悪くなって……息苦しくなって……外に出られなくて……」


 顔面をくしゃくしゃに濡らして、絞り出すように郁也は言った。


「いいんだ…… ! さあおいで ! 」


「今、アルバムを見ていたところなのよ…… ! 」


 二人はとても、とても優しい笑顔で郁也をソファーの真ん中に座らせた。


「覚えてるか…… ? この写真の時を」


「うん……父さんがせっかく蕎麦の名産地なのに……うどん注文してた……」


「そうそう ! あのお蕎麦、とってもおいしかったのに ! 」


 幾分若い両親と小学生の郁也の写った写真を見ながら、三人は久しぶりに笑い合う。




 園児達の騒ぎ声の中、先生が小さく頼りない園児用の机を積み上げる音がする。


「あと行事用の長机も持ってきて ! 」


「みんな ! 大丈夫だからね ! いまからこの基地に隠れてようね ! 」


 無理やりな明るい声。


 その中に悲痛な声が混じる。


「もうやめましょう……。こんな……こんなことしたって……」


 一瞬、大人達に静寂が訪れるが、すぐに彼女達は姦しく動き出す。


「園バスをテラス前に駐車しといて ! 」


「教室の扉も外してバリケードにしましょうか ? 」


 動きを止めた一人に園長先生がそっと近づく。


「あなたの気持ちも分かるわ。こんなことをしても……せいぜい 0.01 %くらい生存率が上がるくらいのもんよ」


「だったら…… ! 」


「でもね……。ほんのわずかでも……この子達が生き残る可能性が上がるなら、それに残りの時間を費やしてもいいじゃない。私達はこの子達の先生なんだから……」


 そう言って、園長先生は笑った。



 いきむ声とそれを励ます声。


「がんばれ ! もう少しだぞ ! 」


「先生…… ! もう無理です ! それに……産んだって……すぐに…… ! 」


「バカ野郎 ! 十か月もお腹にいて、一緒に生きた赤ちゃんに一目会いたいと思わねえのか !? それに赤ちゃんだってお母さんに早く会いたいと思ってるはずだ ! 先のことは考えるな ! 今はただ赤ちゃんに会いたいとだけ思ってろ ! 」


「……はい…… ! 」


 やがて、元気な産声が響き渡る。


「……おめでとうございます。元気な男の子ですよ」


 冷静な看護師がお母さんに赤ちゃんを抱かせてあげる。


「あ、あああ ! ごめんね…… ! こんな……こんな時に産んじゃって…… ! でも、でも……あなたに会えて良かった…… ! 一緒に天国へ行こうね。私、なにがあってもあなたを離さないから…… ! 」


 母親になったばかりの女性は、元気に泣く赤ちゃんをぎゅっと抱きしめた。



 階段を駆け下りる足音、そして罵声。


「お前の国が…… ! 」


「何してくれてんだ…… ! 」


「わ、わたしのせいじゃ……」


 耳に届く悲鳴を必死に無視して、たすくは階段を飛ぶように下りていく。


 研究棟の地下に設置されている研究用シェルターに向かって。


 全ての文明が滅んだ時、迅速に現代までの科学技術を再現するための知恵を積んだ箱舟に向かって。


 それが地球から遠く離れた異世界の禁断の果実になるとも知らずに。


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