第33話 イヤンの修行の日々


 過去。



 グレンビル王国の王都。


 人民の血と汗と不平不満で塗り固められた堅牢で広大な城壁に囲まれた城塞都市。


 その中心部にたつ豪邸は勇者アルナルドの本拠地でもあったし、この時点ではパーティーの本拠地でもあった。


 やがて決裂するまでは。


「……こんなお屋敷に住んでいるなんて……さすが勇者様ね」


 二階の窓から、王都の様々なものの間を吹いてきた風が涼やかに訪ねてきて、イヤンの黒い髪を撫でて揺らす。


 窓の外にはここが高級住宅街であることがすぐにわかる豪邸が見える。


「大したことありませんよ。ここはかつて大商会の会長の屋敷だったのですが、そのかたがあまりに利益ばかりを追い求めて従業員に死をもいとわない無茶な働き方をさせた結果、反乱が起きて殺されたんです。それ以来この屋敷を購入して住む者はどうしてか落ちぶれて、ここを売り払うはめになるそうですよ。そんなことが続いたものですから、やがてこの屋敷に住もうという者はいなくなり、二束三文で売りに出されたところを購入したのがアルナルド様というだけですから」


 ベルが肩をすくめて言った。


「ここはかつてかね亡者もうじゃの屋敷で……そいつが本当に亡者になってからは住む人に災いが降りかかる事故物件になったってわけね……。でもさすが勇者様、そんな幽霊や祟りなんて迷信は信じないのね」


 イヤンはゆっくりと室内に向き直る。


 そこは大きなテーブルが置かれた応接間。


 その椅子の一つにジュリエッタが座り、テーブルに置いたランタンに話しかけながら絵を描いている。


 さらに奥の壁際には正方形の天板のサイドテーブル上に 1000 ゴールド金貨がピラミッド状に組まれ、その前には小さな花瓶が二つあり、それぞれ一輪の白い花がさされていた。


「……あの積み上げられた金欲きんよくが具現化したようなオブジェは ? 」


 イヤンはなんとも言えない目で、日本のご老人宅によくある五円玉で作られた宝船と比較しても芸術性が皆無の物体を見やる。


「アルナルド様によると、御呪おまじないだそうですよ。お金が大好きだったかつての持ち主が心安らかに眠れるようにと……」


 ベルはその黄金のピラミッドの前で手を組み、祈りを捧げる。


「……それって逆にあおってない ? 死者にお金なんて使えないんだし……。というか迷信を信じてないんじゃなくて、別の迷信を信じることによって恐怖を打ち消していただけなのね」


 イヤンは怪訝な目でギラギラと昼の太陽を反射する黄金色の四角錘しかくすいを見つめた。


「御呪いなんて所詮は気休めですよ。でも不思議なことに、このオブジェを形成するゴールド硬貨がいつの間にか減っていることがあるんですよ。それを見たアルナルド様は『やはりかねの力は偉大だ。幽霊すら金の魅力には勝てんのだ』とかえつに入ってましたがね」


 跪いたまま、振り返りもせずにベルは言った。


「……そんなゴールド好きの幽霊なんて本当にいるの ? 」


 眉をしかめ、不審な顔のイヤン。


「ええ、いますよ」


 そう言うとベルはピラミッドの頂点に手を伸ばし、幾ばくかのゴールド硬貨をかすめ取る。


 そして驚き顔のイヤンにてほやほやの 1000 ゴールド硬貨を十枚手渡した。


「見習いメンバーだからって給金をもらっていないんでしょ ? それで何か美味しいものでも食べてください。オブジェから減った分は気にしなくてもいいですよ。どうせすぐにアルナルド様が補充しますから」


「……ゴールド好きの幽霊の正体ってあなただったのね」


 呆れたようなイヤンの声に、ベルは肩をすくめてこたえた。


「さて、そんなことより今日はあなたにやってもらうことがあります」


 今しがた行われた窃盗行為などなかったかのようにベルは居住まいを正して彼女に向き直る。


 白いシャツに黒いズボンのベルはイヤンと同じ年ごろの美しい少年にしか見えない。


「な、なによ ? 」


 まだ彼女が彼だと思っているイヤンは思わず頬を染めて目を逸らしてしまう。


「まずはあなたに『女』になってもらいます」


「ど、ど、どういうこと…… ? 」

(わ、私を女にするって…… !? も、もしかして強制的に初体験させるってこと !? )


 袖の擦り切れた茶色い「武道家」の道着を纏ったイヤンはあからさまに動揺して、必要もないのに手足を不自然に動かし始めた。


「あーいいなー ! 私もするー ! 」


 二人の会話を聞いたジュリエッタが絵を描くのをやめて、深紅の髪を揺らしながら小走りに近づいてきた。


(「私もする」って何 !? さ、三人でするってこと !? もしかしてジュリエッタって無邪気な皮を被った淫獣いんじゅうだったの !? 初めてが三人だなんて…… ! そんなの……嫌…… ! )


「いいですよ。では場所を変えましょうか」


(あっさり受け入れた── !? 無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理 !! 嫌だって言わなきゃ !! )


 イヤンが拒絶の言葉を口から出そうとして、ベルの顔を見つめる。


 するとどうしてかそれは出てこず、彼女は代わりに空気を飲み込んで喉がごくりと鳴った。


 そして応接間の厚い扉を開いて出て行くベルの背を無言で追う。


 やがてその薄い背中は別の扉をくぐっていく。


 そこはウォークインクローゼットのようで、たくさんの服が掛けられ、タンスや棚にたくさんの装飾品が収納されていた。


(……こんなベッドもない所で……。上級者はいろんな衣装で楽しむって聞いたことがあるけど……もしかして着替えさせられて……)


 イヤンがそんな淫靡いんびな想像によって自らの心拍数を跳ね上げているとも知らずに、ベルは彼女に向き直る。


「ではとりあえず脱いでください」


「こ、こんな明るいところで ? は、恥ずかしいわ……」


 恥じらう乙女は俯いた。


「恥ずかしい ? 何を言ってるんですか ? 」


「だって……」


「女同士なのに」


「……え ? 」


 驚きのあまり絶句したイヤンは、まじまじとベルの整った顔を見る。


「まだ言ってませんでしたかね。私は……トラブルを避けるために男っぽい格好をしてますが、女ですのでご安心を」


「そ、そ、そうだったの !? べ、別にいいんだけど……あれ ? じゃあ私を『女』にするって ? 」


 混乱する彼女の背後でジュリエッタの無邪気な声がする。


「ねえー ! この空色のドレスなんて良くないー !? 」


 選んだ一着を抱え、ジュリエッタがドレスの森をかきわけて出て来た。


「勇者パーティーのメンバーともなると王族や貴族に招待されることもありますので、女としての正装や化粧も覚えてもらいますよ」


「あ、う、うん……」


 自らの破廉恥な想像によって自らが恥ずかしくなるという自縄自縛じじょうじばくな行為によって顔を真っ赤にしながら、イヤンは頷いた。


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勇者アルナルドの卑劣な弁明 遊座 @yuza24

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