第23話 ゴブリンの失態


「ヨシ……イクゾ ! 」


 アルファ達が顔を見合わせて深呼吸して木陰から飛び出し、炎の宿った枝を構える。


 だがそこに狙うべき標的、黒い化け物はいない。


「アレ…… ? 」


「イナイ…… ? 」


 その木の密度の高い森の中で少しだけ開けた場所に残されていたのは、相変わらず四つん這いのままのオークとその腹の下に隠された子だけであった。


「ドコニイッタ…… ? 」


 アルファがオークに問うてみるも、言葉を解さない巨大な魔物は森の奥に向かって唸り声をあげるだけ。


「イナクナッテテ……ヨカッタ…… ! 」


 ベータがホッとしたように枝を下ろした。


 その瞬間、彼は真横に吹き飛ぶ。


「ベータ !? 」


 宙を舞って倒れ込んだベータに慌てて駆け寄ったデルタが不意に前転するように前に倒れた。


「ウワッ !? 」


 同じくベータに駆け寄ろうとして、足を何かに引っかけたアルファがよろめくと、その顔のすぐ脇を何かが通り過ぎて、彼の背後の木の幹が鈍い音を立てた。


「イ……イシ…… !? 」


 拳大のゴツゴツした石が跳ね返って彼の脚に当たった。


 しくも彼らが以前キラーベアに行った投石、そして彼ら三体がそれぞれ敵三体を狙うということを、暗い森の中に姿をまぎらせた相手がやってきたのだ。


 地球では人間がもっとも投擲とうてき能力に優れた動物であり、同じような手の猿ですら人間のように威力を持つ投石はできないのだが、この異世界の怪物どもは、たやすく人間以上の投石をやってのけた。


「キヅカレテタ…… !? 」


 まともな戦闘経験のないゴブリン達は大きなミスを二つ犯していた。


 敵から目を離して、すでに身を隠した相手がまだそこにいると思い込んで飛び出したこと、そして怪物の姿がないことを彼らがもっとも望む「恐ろしい怪物が勝手にどこかへ去った」という結果に結び付けてしまったことだ。


「キキ…… ! 」


 あざるような声の方を向くと、森の奥の木の陰から黒い体毛に全身を覆われた怪物が一匹、投擲した後の体勢のままでアルファをジッと見ていた。


 そのどこまでもくらい瞳の中に自らの光を吸い込まれそうに感じたアルファはそれに抵抗するように奇声をあげながら炎を宿す枝を掲げる。


「ウワアアアアアアアアアアアッッッ !!!!!!!!!!!! 」


 そんな彼の絶叫にこたえるように勢いよく炎が枝の先から火炎放射器のように噴射された。


「キッ !? 」


 怪物が再び木の背後に姿を隠すが、炎はその木ごと焼き払わんとする火勢だ。


「モエロ…… ! モエチャエ…… ! 」


 仲間をやられた怒りか、それとも恐怖か、アルファは「操火」の恩寵を存分に発揮して炎を一匹の化け物が隠れた木へ噴射し続ける。


 これが三つめの過ちだった。


 視界の端に何か黒いものが映ったかと思うと、メキャっと細い木が折れるような音がした。


「ア……アアアアアアアアアアアアアアッ !! 」


 それは彼の細い腕が黒い毛むくじゃらの大きな手に握り潰される音だった。


 彼のその手に握られていた枝は、炎が途切れてポロリと落ちる。


 グシャ、と地面を踏み抜く勢いでそこに宿る炎が踏み消された。


 それによって未熟で自ら炎を発生させることのできない彼が怪物を倒すすべも消えた。


 一匹に気を取られている間に残りの二匹が回り込んでいたのだ。


 やがて燃えるさかる木の背後からも怪物が出て来て、へたり込んだアルファの前には三匹の怪物が並ぶ。


「ク、クルナ !! 」


 真ん中の頭一つ大きな個体が何やら手で指示を出すと、二匹はそれぞれアルファの左右に回り、震える彼の両手を掴んで引っ張り、無理やりに立たせた。


「イタイ !! 」


 恐らくは粉砕骨折しているであろう右腕もおかまいなしに。


 そして彼に相対する怪物、体長 2 メートルほどのそれは大きく口を開ける。


 考えなしに釘を数百本撃ちこんだ板を裏側から見ればこうであろうと思わせるような乱杭歯が円状に並ぶ黒い穴は、その内部もどこまでもくらく、生臭く、その先は地獄へと直接通じているかのようだ。


「ダ……ダレカ ! タスケテ ! 」


 気絶しそうなほどの痛みを訴える右腕に耐えながら、アルファは懸命に叫ぶ。


 だがベータもデルタも、死んだようにピクリとも動かない。


「コワイ ! シニタクナイ ! 」


 ゆっくりと迫る口から垂れた涎をかぶりながら、アルファは逃れようと腕を引くがビクともしない。


 そんな彼の様子を見て左右の怪物どもはわらう。


 猿のような嬌声きょうせいをあげて。


 絶体絶命の危機に、助けは意外なところからきた。


「プギャアアアアアアアアア !!!!!!!! 」


 アルファの頭を丸ごとかじらんとする怪物の背後から巨体が覆いかぶさる。


 先ほどまで四つん這いになっていたオークだ。


 別にアルファを助けようとしたわけではない。


 恐ろしい敵が揃って背中を見せていたこの最後の好機に全てを賭けたのだ。


「ギャッ !! 」


 さすがの怪物も体重 300 キロを超えるオークに圧し掛かられてはたまらない。


 地面に押し倒され、その上にオークが先ほどとは違って命を奪うために四つん這いとなって体重をかけていく。


 怪物はその巨体の下からはみ出した腕をバタバタと動かすがそこから逃れることはできないようだ。


 これで勝負は決まっていたかもしれない。


 怪物が一匹だけであれば。


「キッ !! 」


「キキッ !! 」


 アルファの両腕を拘束していた二匹はすぐに彼を放り捨てると、一匹はちょうど足元に転がっていた石を拾って、それを高々と掲げた。


 オークは目の前のそれを見ていたが、逃げるために身体の下の怪物の拘束を解くことはしない。


 彼女に刻まれた本能が、何よりもこの状況で時間稼ぎを優先していたからだ。


「プギャ !! 」


 嫌な音とともに短い悲鳴が上がる。


 何度も。


 何度も。


 何度も。


 やがて身を隠す際に置いてきた太い棍棒を持ってきたもう一匹もその音を奏でる奏者に加わる。


 アルファは尻もちをついた体勢で、後ずさりすることもなく、その光景を網膜に焼き付けていた。


 ゴシャリ、と何かが割れる音がして、二匹は動かなくなったオークの両腕をそれぞれ掴むと少しだけ持ち上げる。


 その隙間によってようやく巨体の下から這い出せた怪物は立ち上がると、棍棒を拾い、すでに死体となったオークに滅多打ちで叩きつける。


 まるで遊びを邪魔された怒りをぶつけるように。


 そこには何か邪悪な知性があった。


 しばらくして満足したのか、怪物達は割れた中味に手を突っ込み、それを食べ始める。


 そこでアルファは限界だった。


 遠くなる意識の中、恐ろしい咆哮が聞こえた。


 怪物どもが一斉にその発声源に向き直って、同じように黒い何かに吹き飛ばされる所でアルファは気を失った。



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