第22話 勇者の叱責



 客である荒々しい冒険者によって傷が多く刻まれてはいるが、しっかりと磨かれた古びた厚い木製のドアをくぐったのは修道服の女だ。


 いで大きな身体を屈めながら入ってきたのは、武道家の少女をかかえたニールだ。


「お姉ちゃん !? 」


 宿屋の娘が床をドタドタと鳴らして、急いでニールの元へ駆け寄る。


「血が…… !? 大丈夫なの !? 」


「大丈夫よ……。聖女様にケガは治していただいたから。でもちょっと頭がくらくらするから戦士様に運んでいただいたの……」


 血まみれの顔でイヤンは少しだけ微笑んでみせた。


「……良かった ! ニールお兄ちゃんが助けてくれたんだね ! すごい ! 正義の味方だ ! 」


 子どもらしい憧憬どうけいまじりの視線をまともに受けたニールはそれどころではなかった。


(女の子とこんなに密着するなんて初めてだ…… ! なんて柔らかいんだ…… ! い、いかん ! こんな不純なことを考えていては…… ! でも……)


 彼の頭の中で欲望と理性が血みどろの殺し合いをしているとは思ってもいないイヤンはニールを見上げて言う。


「戦士様、もう大丈夫です。下ろしてください」


「あ……ああ ! 」


 その声に気を取られた欲望の隙をついて理性がくらわせた不意打ちによって彼の脳内の争いに一応の決着がつき、ニールはそっとイヤンを足から床に下ろす。


「よう姉ちゃん ! 大変な目にあったみてえだな ! ここは汚ねえ宿屋だが飯と酒と従業員のサービスはいいぞ ! ゆっくり休んでいけ ! 」


 上機嫌のアルナルドが酒焼けしたガラガラ声で言った。


 するとすかさず奥の厨房から女将と思しき声が返ってくる。


「汚いは余計だよ ! あんたの顔の方がよっぽどこの宿よりも汚いじゃないか ! 」


「なんだと ! 客に向かってなんて言い草だ ! さっきの発言は間違いだ !! 訂正する ! この宿屋で良いのは飯と酒だけだ ! 」


 やかましい酔っ払いと肝っ玉のすわった女将との言い争いが始まる。


 この宿屋の一階の酒場では珍しくない光景だが、地元の冒険者の誰もが恐れる女将の剣幕に一歩も引かないのはさすが光の勇者であった。


「……随分とガラの悪い常連客がいるのね」


 宿屋の娘ミラが用意してくれた椅子にゆっくりと腰かけたイヤンは眉をしかめて呟いた。


「うん……でもあのハデル様達よりはマシだよ ! 滅茶苦茶に人を罵倒するけど、手は出さないから ! 」


 ミラはニカリと笑った。


「ミラ……何かを比較する時は最悪のものを基準にしてはダメよ。そうすると最悪から一つだけ上のものでも『良い』ものになってしまうわ。基準を高くもちなさい」


 ベネディクタが屈んで、エルザと視線の高さを等しくして、噛んで含めるようにさとした。


「そうなんだ……。でも何かおかしいね。アルナルド様もハデル様も勇者様なのに……」


「もっと素晴らしい勇者様もいるわ。……世界のどこかには」


 深いタメ息を吐いたベネディクタとミラとのやり取りでイヤンは彼女が「ガラが悪い」と至極真っ当ではあるが失礼な評価をくだした男が勇者アルナルドであることに気づいて青ざめた。


(でも……いいか。聞こえてなかったみたいだし……それに……もう……)


「おい ! ガラの悪い客ってのは誰のことだ !? 」


 自らの悪口に対しては恐るべき地獄耳を発揮するアルナルドは、それを聞き逃さない。


 小さく俯いたイヤンの顔がガラの悪い男の声によって、慌てたようにあがる。


「え、いや……その……」


「あんた以外に誰がいるってんだい !? 」


「なんだと !? 」


 女将に気を取られたアルナルドにイヤンはホッとするが、そんなことは気にしないミラが思ってもみないことを言い始めた。


「ねえアルナルド様 ! このお姉ちゃん、勇者様を探していたの ! 勇者様のパーティーに加わりたいんだって ! 」


「なんだと !? 」


 ぐわっと恐ろしい凶相でもってアルナルドはイヤンを睨みつける。


「ひっ…… !? 」


「そう言えば詳しい顛末てんまつを聞くのを忘れてたな ! ニール ! どんな状況だったんだ ? 」


「あ、ああ、ハデルのパーティーの武道家にその娘がやられてて……俺も怖かったけど……助けに行って……そいつがアルナルドのことを悪く言うもんだから……カっとなって……ぶちのめしたんだ」


 つまりながら喋るニールをなんとも温かい目で見守るベネディクタ。


 再び憧憬の目となるミラ。


 その場面を思い出したのか、俯くイヤン。


「そうか……かしらの悪口を言われてキレるのはいい ! だがそいつらはお前のことを悪く言わなかったか !? 」


「え ? ああ、臆病だってバカにされたけど……それはいつものことだし……慣れてるから……」


 そう言ってニールは片手を後頭部に当てて、癖になっている卑屈な笑みを浮かべる。


「バカ野郎 !!!!!!!! 」


 爆発音のような怒鳴り声がその場にいる全員の鼓膜ばかりか、宿屋全体を震わせた。


「いつも言ってるだろうが !! バカにされたら怒れと !! 誇りを持てと !! 」


「で、でも……俺なんか……バカにされて当然だから……」


「何を言ってやがる ! お前はすげえ奴だ !! 勇者パーティーの武道家を素手で倒せる戦士なんて普通じゃねえぞ !! それにこの俺と殴り合って引き分けたんだからな !! だからあんな穴蔵からお前を引きずり出したんだ !! この光の勇者アルナルドが保障する !! お前は世界最高の戦士だ !! お前に足りないのは勇気だけだ !! 自信を持て !! 誇りを持て !! 」


 そう捲し立てながら、アルナルドはニールの少し前に曲がった大きな背中を激励するようにバシバシと叩く。


「あ、ああ…… ! わかったよ…… ! 」


 ちょっとだけ胸を張って、嬉しそうな、恥ずかしそうな顔をするニール。


「どうぞ」


 そんな勇者と戦士のやりとりをどこか遠い世界の出来事のように眺めていたイヤンは、不意に耳元で聞こえた美しい声にハッとした。


 そこには水を入れたコップを差し出すベルがいた。


「あ、ありがとう……。その……」


「何か ? 」


「あの戦士様と引き分けたってことは……勇者様も武器を持たなくても同じくらい強いの ? 」


 不安げにイヤンは問う。


 ベルは少しだけ右上を向いて何かを思い出すようにして答えた。


「いえ……あれは客観的に見ればアルナルド様の負けです。一方的にボロボロにされてましたから。ですが本人は引き分けだと主張していますし……ニールさんはアルナルド様の勝ちだと思っています」


「それは……」


 一体どういう状況かと尋ねようとした時、再びアルナルドのガラガラ声が響いた。


「よし ! お前、俺のパーティーに加わりたいんだってな ! それじゃあ始めるか ! 面接を ! 」



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