第24話 法の重さ


「アルナルドー ! 何かおやつでもないー ? 」


 宿屋の酒場の広い一階スペース、入口から見て右奥に備え付けられた古びた階段からトントンと軽い音が聞こえて、一人の少女が下りてくる。


 イヤンはその声の方に向き直って、息を呑んだ。


 その彼女と同年代の少女は、目の覚めるような真っ赤なローブを纏い、右手に持つ黄金できらびやかに装飾されたランタンの中には小さな炎が灯されていて、日が傾いて薄暗くなってきた屋内を柔らかく照らしていた。


「もう少しで夕飯だから我慢しろ ! 」


「えー !? いいじゃない ! もーアルナルドってケチだよねー ! 」


 一階に降り立った少女はランタンの中の炎に話しかける。


 まるで幼い少女がいつも一緒に眠るヌイグルミにするように。


 それにこたえるかのように、ランタンの中の炎が揺れた。


「え ? アルナルドの言うことはちゃんと聞きなさいって ? メラちゃんがそう言うなら、しょうがないなぁ」


 大げさに頭を横に振る少女。


 それとともに彼女のおかっぱに切り揃えた真紅の髪が揺れた。


(真紅の髪は「操火」の恩寵おんちょうを極限まで授かった者だって聞いたことがある…… ! その代わりに火魔法以外は一切使えないらしいから勇者パーティーでは汎用性を重視してあまり採用されないらしいけど……それに……)


 珍しさ故に少しばかり不躾ぶしつけな視線を少女に浴びせていたのであろう。


 それに気づいた真紅の少女がイヤンの方を向いた。


「その子は ? 」


 薄いグレーの大きな瞳がじっとイヤンを見つめる。


 それは暖色が多くを占める彼女の中で、唯一どこか冷たさを感じる箇所であった。


「ジュリエッタ、彼女は『武道家』のイヤンよ。シリが帰ってきたらパーティーメンバーに加えるかどうかを決める面接試験を始めるの」


 ベネディクタがこの上なく優しい声で言った。


「ふーん、そうなんだ。あ、ベル ! 私にも紙とペンちょうだい ! 」


 いつの間にかニールによって酒場のテーブルはコの字型に並べられ、その中に一つだけ椅子がポツンと置かれ、面接者の周囲を面接官が取り囲む圧迫面接の陣が完成していた。


 ジュリエッタはテーブルについてランタンを置くと、イヤンをチラチラ見ながら紙に何やら書き始める。


「まだ試験は始まってませんよ」


「試験じゃないよ ! あの子の絵を描いてあげてるの ! 」


「へえ、どんな絵ですか ? 」


 ベルがジュリエッタの後ろから覗きこむ。


「ヒヒヒ…… ! あの子が炎に包まれて燃えてる絵 ! 」


「おや、それは楽しそうな絵ですね」


「そうでしょ ! 」


 無邪気に微笑んで、ジュリエッタはペンを動かし続ける。


(どこが楽しそうな絵なのよ !? ただ私が焼死しそうになってるだけのこの上なく悲惨な絵じゃない !! ……なんなのこのジュリエッタって子、滅茶苦茶不吉なんだけど…… !? 年齢の割に幼い感じがするし……やっぱり真紅髪は不幸をもたらすって本当なのかしら ? )


 イヤンが古くからの迷信を思い出した時、宿屋の扉が静かに開いた。


「おかえりなさいませ ! 」


 ミラが宿屋の娘らしく、帰って来た宿泊客の一人に元気よく挨拶する。


「ああ、ただいま。……何で酒場のテーブルがこんな配置になっているのだ ? 」


 濃い紺色の鎧を纏い、腰から黒い鞘に収まった長剣を下げた金髪の男が訝しげな顔で少女に問う。


 「剣士」の装いだ。


「今から面接試験を始めるんだって ! あのね、今日ニールお兄ちゃんすごかったんだよ ! 勇者ハデル様の武道家に酷いことされてたお姉ちゃんを助けたの ! 」


 子ども特有の一日に起きたすごい出来事を報告する習性、それはアルナルドとベネディクタが止める前に発動した。


「……」


 途端にシリの目が鋭さを増す。


「シリお兄ちゃん…… ? 」


「いや、よく教えてくれた。ありがとう」


 少しだけ頬を緩めてミラの頭をポンポンすると、シリはニールへと向き直る。


「ニール、偉いぞ。よくやった ! ベネディクタ ! そのハデルとかいう勇者達は確か双竜の現れそうなムール村へ向かう予定だったな ? 」


「ええ……そうだけど…… ? 」


「よし ! 」


 そう気合を入れてシリは今くぐったばかりの扉から再び出ようと踵を返す。


「『よし ! 』じゃねえ ! 行くな ! 」


 そんな彼の肩を掴んで、アルナルドが宿屋へと引き戻した。


「そうよ ! ハデル様達は今から双竜を迎撃に行くのよ ! 彼らが辿りつけなければ村に被害がでるわ ! 」


 珍しくベネディクタもアルナルドに加勢する。


「……そいつらが行けなくなったら私達が行けばいいだけだ」


「ダメだ ! なんで俺らまでこの街に召集されたか分かってねえのか !? 万が一その村を通過して双竜がこの街に来た場合の備えなんだぞ !? もし俺達がムール村に向かっている間に双竜がこの街に来たらどうなる !? 」


「だが……勇者の特権を笠に着て法を破る者を見逃せん…… ! 」


「何言ってやがる ! てめえだってやってることは同じだ ! 俺の勇者特権を行使して本来ならば法で裁くことのできない貴族や勇者を私的に処罰してるんだからな ! 」


「同じだと ! そんなわけがない ! それこそが……全ての者が平等に法の裁きを受けることが……法の女神クレスセンシア様の御心にかなった行いだ ! 」


「ほう……法を司る女神クレスセンシア様から『操雷』の恩寵を賜った勇者であるこの俺に逆らうか…… ! いいだろう ! 貴様に遵法じゅんぽう精神を叩きこんでやる ! ベル ! あれを持ってこい ! 」


「はっ…… ! 少々お待ちを…… ! 」


(な、なんなの !? ひょっとして勇者様が剣で剣士様と戦うの !? )


 「ほう」という感動詞と「法」をかけたのではないか、そしてそれを指摘するべきか否か、というどうでも良いことを考えながらもベルは迷いなく、丁寧に頭上に掲げたモノを恭しくアルナルドに差し出した。


「うむ ! ご苦労 ! 」


(あれは……本 ? )


 それは一冊の黒い革で装丁された重厚な書物であった。


 黒い表紙と裏表紙に挟まれた白かったであろうページは読み込まれた手垢によって黄ばんでいた。


「……クレスセンシア様が人間に授けた法律の全てが記されているという『法律全書』です。国によって採用している法には違いがありますけどね。ちなみにクレスセンシア様の神殿ではあれが教典を兼ねているそうですよ」


 役目を終えて下がったベルが怪訝な顔のイヤンに説明してくれた。


「そうなんだ……。さすが勇者様ね。あの本を読み込まれてるのがわかるわ」


「ええ、盗賊時代に法の抜け道やグレーゾーンを探すために必死で読んでましたから……。『法律は警備兵の味方ではない。法に詳しい盗賊を助けるのだ ! 』とか言いながらね」


「そ、そうなんだ……。じゃあ今からあれに書かれている法律を引用して剣士様を説得するのね ? 」


 ベルが口を開こうとした時、アルナルドが動いた。


「くらえ ! 『法律全書』アタック !! 」


 夜空に浮かぶ三日月のように空中で反り返ったアルナルドの伸びた両手の先にはしっかりと分厚い『法律全書』が握られていた。


 ゴイン !!


「ぐわっ !! 」


 シリが咄嗟に上げた両手の籠手こてと『法律全書』が衝突し、大きな金属音をあげる。


「貴様…… !! その『法律全書』に何か仕込んでいるな !? 紙の重さではないぞ !! 」


「やかましい !! これが法の重みだ !! 」


「ほざけ !! 明らかに物理的な重さではないか ! 」


 シリがまるで無駄のない洗練された動きで腰の剣を抜き、そのままアルナルドが水戸黄門の印籠のように掲げる『法律全書』を切り裂いた。


 キン、と鳴る金属音。


(す、すごい ! どれだけ剣術の型を繰り返せばあんなに綺麗な動きができるの !? )


 イヤンが感嘆する中、シリは勝ち誇る。


「今の金属音はなんだ ? やはりその本の表紙に鋼鉄が仕込まれているではないか ! 」


「てめえ…… ! 『法律全書』を傷つけるとは……そんなことだからお前は『勇者』になれんのだ ! 」


「黙れ ! 『法律全書』に卑劣な仕込みをして武器とする貴様が勇者であることが間違いなのだ ! 」


「ほう……言うじゃねえか ! たった今、『法律全書』の表紙だけではなく法そのものを破ったお前が ! 」


「なんだと !? 」


「ククク……ここに……えーっと……ちょっと待ってろ ! 」


 アルナルドは読む者のことなど全く考えられていない、細かい字がびっしりと記されて、目的の項目がなかなか見つけられない書物のページをパラパラとめくっていく。


 そんな中、第三者の怒号が響いた。


「あんた達 ! 喧嘩するのはいいけど、剣を抜くなんて何してんだい !? この国では宿屋の中で剣を抜いちゃいけないって法律を知らないの !? 」


 宿屋の女将だ。


「な、なんだと…… ! この国ではそうなのか……私としたことが…… ! 」


「クソ…… ! 俺が『法律全書』の該当ページをシリに突き付けてやる前に言われちまった…… ! 」


 二人は膝をついて、この無意味な争いは終わった。


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