第25話 助け、助けられ


 濃い青色の夏空。


 雲一つないその場所を舞台に、美しく並ぶ編隊が飛んでいた。


「すごい ! 飛行船よりも速い !! 」


 足を止めて上を見上げる休日の群衆の中、少女が感嘆の声をあげる。


「何言ってるの。飛行船よりも高度が低いから速く見えてるだけよ」


 母親が呆れたように我が子の興奮に水を差す。


 だが少女の感情はそんなことでは怯まない。


「ねえ ! 竜って私達の神様だったんでしょ !? だからあんなに崇高に見えるのかしら ! 」


「そんな非科学的なことを言うんじゃありません。全く……お義母かあさんの影響ね。いい ? 私達が進化するはるか昔、竜は恐るべき存在だったの。だからその時の記憶が DNA に刻まれていて、竜を見た時に畏敬に近い感情が出てくるだけよ」


 母親はテレビで学者が言っていたことでもって、さらに子をたしなめる。


「いいじゃないか。たとえそうだとしても、竜は美しいし、信仰には意味がある」


 穏やかに父親が助け船を出した。


──バベルで発生している新型の病気は脳梗塞のような症状が特徴です。特に言語障害が顕著で──


「信仰で病気が治るわけでもないし、何の利益もないじゃない。まあ宗教者の財布を膨らませる御利益はあるかもしれないけど」


 電気屋の店先に並ぶモニターから流れてくるニュースを引き合いに出して、母親の攻撃対象は夫へと移ったようだ。


「でもバベルは最高の科学都市よ。七賢人様もいらっしゃるし、すぐに治療法を見つけてくださるわ。私達がこれだけ繁栄しているのも神様や魔法のおかげじゃないわ。科学のおかげよ。だからちゃんと勉強しなきゃダメよ ! 帰ったら宿題を……」


 再び矛先が向かってきた娘の顔が少しだけ、この青空にそぐわない曇り気味となる。


「……せっかくの休日のお出かけの時にそんな事を言ってやるなよ」


「何言ってるの ? 私はハイエンドを卒業してるのよ ? 娘にはハイ止まりのあなたみたいになって欲しくないから……」


 鋭くなっていく声を不意に不自然に柔らかな声が遮った。


「あらぁ、お義姉ねえさん、お忘れになったんですかぁ ? あ、それとも自分に都合よく記憶を改竄かいぜんしちゃったのかしらぁ ? 」


 ニコニコと微笑む女性は、夫の妹だ。


「おにいは私と一緒でハイエンドの中でも最高峰に在学していたのを。それなのに十歳も年上のお義姉さんが『妊娠した ! 責任をとれ ! 』って迫って、おにいを退学させて働かせたのを」


「……そんな昔の話を ! 」


「おいやめろ ! 子どもの前だぞ ! 」


──次のニュースです。動物の保護を訴える過激宗教団体「聖ギムドの家」が食肉生産工場を襲撃し──


 そんなニュースが流れる中、過激な女達は人目もはばからずにお互いの舌鋒ぜっぽうを鋭くしていく。



「……ちょっとお父さんとアイスでも食べに行くか」


「アイス ! 嬉しい ! 」


 娘は少しだけ大げさに喜んでみせた。


 小さな気遣いによって。


「何味がいいかな ? フリア ? 」


「そうねえ、私ストロベリーがいいな ! 」


 少女は、フリアは、白い鱗に覆われた顔で笑った。



────



 アルファが目を開けると、心配そうなベルの顔と、同じような表情で彼女の後ろから覗き込むベータとデルタの顔が見えた。


「……痛みはない ? 」


「ウン……アイツラハ ? 」


「私が突撃したら、驚いて逃げていったわ」


 怪物に握りつぶされたはずの腕を見ると、綺麗に回復している。


 彼が気絶している間にベルがこの魔の森に追放される前に準備していた最高級の回復薬で治療したのだった。


「ヨカッタ…… ! 」


「シンダカトオモッタ…… ! 」


 ベータとデルタもホッと胸を撫で下ろす。


 投石でやられた二体も幸い致命傷ではなく、すでに回復薬で治療済みだった。


「……ごめんなさい」


「エ ? ナンデ……ベルガアヤマルノ ? 」


「この周辺は「操火」の恩寵を持っているなら、それほど危険じゃないと判断してあなた達だけで探索に行かせたからよ。私の判断ミスだった。まさかあんな厄介なモンスターがいるなんて……」


 ベルは薄い唇を噛んで、森の奥を睨むように見やる。


「チガウ……オレガヨワイカラ……」


 アルファは力なくオークの無残な死体を見つめた。


 ベータとデルタも肩を落とす。


「あのオークを助けたかったの ? 」


「ウン……アイツラ……コドモヲマモロウトスルオークヲ……バカニシテ……カラカウヨウニ……イタメツケテタカラ……」


「そう……」


 青臭い少年のような正義感を聞いて、ベルは否定するでも肯定するでもなく、ただそれを受け止めた。


 ぴょこ。


 茂みから小さな尖ったピンク色の耳が出た。


 もう安全だと判断したのか、そこから這い出してきたのは三匹の小さなオークだ。


 成長すれば醜悪な巨体となるそれも、今は可愛らしい子ブタにしか見えない。


 とてとてと両脚を忙しなく動かして、母親であったものに縋りつく。


「ぷぎゃ…… ! 」


「ぷぎゃ ? 」


 死というものがまだ理解できないのか、必死に小さな両手で母オークの頭の中味を掻き出された死体を揺さぶるが、アンデッド化でもしない限り彼女が再び起き上がることはあり得なかった。


「あなた達がいなければ……あのオークが子ども達を逃がす暇も無く一緒に嬲り殺されたでしょうね。それだけでも上出来よ」


「デモ……」


「それで、どうするの ? 」


「エ ? 」


「ドウスルッテ…… ? 」


「このまま置いて帰れば、あの子達は確実に他のモンスターか動物に襲われて死ぬ。でも連れて帰るなら、覚悟が必要よ。そうした瞬間にあなた達には大きな責任が圧し掛かる。あの母親が自らを犠牲にしてまで守った命を、今度はあなた達が守らなければならないのだから」


「…………ツレテイク」


「本当にいいの ? 途中で放り出したら、私はあなたをゆるさない。それでも ? 」


 ベルは赤みがかった大きな瞳で、じっとアルファの両目を見つめた。


「ウン……アノオークガ……アイツラコウゲキシナカッタラ……オレモシンデタ……ダカラ……オンガエシスル…… ! 」


 アルファは力を込めた瞳で、ベルを見つめ返す。


「そう……」


 するとベルはおもむろに数枚の干し肉を取り出した。


「…… ? 」


「じゃあまずはあの子達と仲良くならなきゃね」


────


「オイシイ ? 」


「イテ !? ユビマデカンジャダメ ! 」


 おっかなびっくり子オークに干し肉をやるゴブリン達を眺めるベルは昔のことを少しだけ思い出していた。


(よくアルファ達にあんな偉そうなことが言えたものね……。私は助けてもらった側だというのに……)


──待って ! 私も逃がして !


──鍵は開けたんだから、勝手に逃げりゃいいだろ !


──鉄輪で両手両脚を括られてるのが見えないの ? 連れて行かないなら、大声を出す !


──なんだと !?


──どうした ?


──あ、親分 !? こいつが自分を連れて逃げないと叫ぶって……


──じゃあ口を塞いで殺せ。簡単なことだろ ?


── !?


──そ、そんな……まだ小さな子どもじゃねえですか !? 俺にはできねえよ !


──じゃあお前の負けだ。連れて行ってやれ。


──で、でも俺はお宝を抱えてて……


──持って帰れるのはどっちかだ。持って帰ったモノがお前の取り分だ。急げ !


──ええい ! バカ野郎が !




──よし ! お前ら ! 今日はご苦労だった ! それから……アルナルド、お前は今日で首だ。


──ど、どうしてだよ !?


──お前はお宝よりも小さな子どもを救うことを選んだ。……一緒に酒を飲みたいのはあの場面で人助けをする奴だ。だが盗賊団の部下として欲しいのは、あの場面でお宝を選ぶ奴だ。


──そ、そんなぁ……クソ ! あんたみたいな二流の盗賊に師事した俺が間違ってた ! そんな冷酷な事を言ってるようなら、遠くない未来に部下に刺されて殺されちまうぜ ! せいぜい気を付けることだな ! いい機会だ ! 俺は自分の思い通りにできる俺の盗賊団をつくる ! 一流の盗賊団をな !


──ククク、面白い ! つくってみるがいいさ !


「ベル ? 」


 その声にベルが思い出から現在に意識を戻すと三体のゴブリンの後ろに三匹の子オークがちょこんと並んで立っていた。



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