第14話 火事場の馬鹿力
小さな
「ハヤク……モエテ…… ! 」
「オヤブンガ……タベラレチャウ…… ! 」
「ヒノカミサマ…… ! オネガイ…… ! 」
それは毎日生活に利用する火に慣れきって、当たり前になっている人間には不可能であるほど真摯な願いだった。
小さな火種に大きな頭を下げる、どこか滑稽な光景だった。
彼らは彼らに言葉を与えてくれた者のために、その言葉でもって祈る。
ふいに 1 体が顔をあげた。
アルファだ。
彼はキョロキョロと辺りを見渡し、不思議そうな顔をする。
ボウ、と急に火柱があがった。
「ツイタ…… ! 」
「イソゲ…… ! 」
ゴブリン達はそれぞれ火の灯った枯れ枝を持って駆けていく。
「え…… ? いくらなんでも着火が早すぎる……。なんで…… ? 」
ベルが怪訝な顔をするが、ゴブリン達はそんなことにかまっていられない。
上下の歯をかみ合わせられないメガダイルの口内で、思う存分に歯を食いしばって踏ん張ってるアルナルドの元へ急ぐ。
「オヤブン…… ! 」
「ヒヲモッテキマシタ…… ! 」
「よし ! お前ら…… ! 」
──その火の付いた薪をこいつの目にぶっ刺してやれ、とこの場を切り抜けたところで復讐の鬼となったメガダイルに後日、報復されてぶっ殺されること間違いなしの残虐な指示を出す前にゴブリン達は動いた。
「エイ ! 」
火の付いた三つの薪が宙をくるくると回転しながら飛び、ジュッと水分が蒸発する音とともにワニの化け物の巨大な舌の上に着地した。
「バカ野郎ぉぉぉおお !? 濡れた舌の上に火を置いたところですぐに消えて、せいぜいこいつに根性焼きをくれてやるくらいだろうが !! 」
「まあいいじゃないですか。舌が火傷していたら味わえずに食べられるわけですから。それがせめてもの抵抗になりますよ」
「せめて不味く食われろだと !? 俺が死ぬ前提の最後の悪あがき的な抵抗なんか提案するんじゃねえ !! 」
こんな状況でもまだまだ元気な食われかけのアルナルドはベルに食ってかかる。
「ア、アノ……オヤブン……」
「なんだ !? 」
「ソノヒ……キエナイ……ヒノカミサマ……ソウイッタ……」
「なに !? そんなバカな…… !? 」
そう否定しようとしたアルナルドは背中が生ぬるいメガダイルの呼気以上に熱くなっているのに気づいた。
そして彼の両手両足にかかる大きな顎の咬合力がとんでもなく強まったのも。
「うおっ !? 口の中が火事じゃねえか !? どうすりゃいいんだ !? 」
舌の上の 3 本の薪は消えるどころか舌に燃え移り、それを燃料としてさらに燃え上がり上顎を焦がしていた。
「人間には火事の時、自分にはあると思えない大きな力を出して重い物を持ち出したりする火事場の馬鹿力があると言います ! 今こそそれを発動させてください ! 」
「バカ野郎 !! むしろこのクソワニの方がそれを発揮してやがるだろ !! なにせ口の中が燃えてんだからな !! 」
メガダイルからすれば口の中の火を消さなければ命にかかわるのだから、そうするために命がけで口を閉じようとするのは当然であった。
じりじりとアルナルドの両手足はワニの化け物の咬合力に押されて曲がっていく。
「ぐおおおおおっ !!
「こんな時にまでお金を惜しむなんて……実は結構余裕あるんじゃないですか ? 」
「何言ってやがる ! これがゴルド・ソルド様への正しい祈り方だ ! 命や
くわっと瞳をゴールドのように
「……それって女神というより悪魔側の存在なんじゃないんですか ? だいたいゴルド・ソルド様なんて聞いたことありませんよ ? 」
「当たり前だ ! 商会ギルドの上位会員しか知らない秘密の信仰だからな ! 俺は特別に金への愛が認められて入会させてもらえたんだ ! 」
(光の女神様の恩寵を受けた光の勇者が何を血迷ったことを言ってんだよ ! )
ベルがそんなことを思い、溜息を吐いた時、破滅的な音が聞こえた。
バリバキゴキ。
乾いた音だ。
真っ黒に炭化したメガダイルの上顎がアルナルドの力に負けて上方に折れ曲がった音だ。
「うおっっしゃあああ !! ゴルド・ソルド様 !! 感謝します !! 」
そう叫んでアルナルドはワニの口内から跳んだ。
舞い落ちる火の粉の中、全裸の男は華麗に地面に着地する。
そして彼を追うように飛んだ火の粉が彼の茶色い髪に着地した。
途端に彼の頭は燃え上がる。
「うわちぃいいい !! なんだこの炎 !? 消えねえぞ !? 」
懸命に地面に頭をこすりつけるがどういうわけか炎の勢いは全く収まらない。
「オヤブン !? 」
「フィア・アロナサマ ! ……オヤブンノヒヲケシテクダサイ ! 」
「ユルシテクダサイ…… ! 」
ゴブリン達が慌ててアルナルドの元に駆け寄ると彼の頭の炎はふっと消えた。
「……なんだったんだ ? この火は ? 」
むくりとこげ茶色になった髪の毛を触りながら起き上がるアルナルドにゴブリン達が飛びついた。
「オヤブン ! ヨカッタ ! 」
「タベラレルカトオモッタ ! 」
「バカ野郎 ! この俺があんな火を水で消す知能もない爬虫類に殺されてたまるか ! まあお前らもなかなかの行動力だったぞ ! あの火がなけりゃあ危なかったかもしれん。よくやったぞ ! 」
凶悪な笑みを浮かべるとアルナルドは頭を撫でるのにまるで向いていないゴツゴツとした手でゴブリン達の緑の丸い頭をゴシゴシと撫でてやった。
ゴブリン達はなんだか恥ずかしそうに笑った。
(……なんだか人間の子どもみたいね。でも……「火の神様がそう言った」 ? フィア・アロナ様って一体誰 ? いや、そもそも急に喋れるようになったこと自体がおかしいんだから気にするだけ無駄かも……)
「ククク…… ! お前ら ! 今日の昼飯はワニだぞ ! 」
そうお昼ご飯のメニューを宣言して、アルナルドは顎と頭が焼けて死んだ巨大なワニに向かって行った。
────
トマスは青空の色をモチーフにした武道家の道着の背中まで突き抜けたレイピアを丁寧に引き抜いた。
それと同時に青空がどんどん赤に染まっていく。
もちろん夕焼けではなく、流れ出した血で。
ゆっくりと崩れ落ちた女武道家を一瞥することもなく、トマスは彼女に背を向けて抱き合って眠る男女の死体へと歩き出した。
「……せめてあんた達の剣で首を切り落としてやりましょうか。いい働きをしてくれましたしね。簡単にやられるでもなく、勝つわけでもなく、手こずらせて隙を作ってくれましたからね」
少しだけ片頬を上げ、トマスは
彼の思い描く最善の結果が転がりこんできたことが、少しだけ彼を浮かれさせていた。
『やがて竜を殺す者達』が全員死んで、自分だけが賞金を受け取れるという結果が。
そのためにちょうど良い実力の彼らを選んで、「隠身」のスキルによって最後の最後まで女剣士の
「…… 3000 万ゴールドか……それだけあれば、あの子を娼館から
彼は父親の借金で娼館に売られたと語る、まだ顔に幼さの残る遊女の儚げな笑顔を思い浮かべた。
そして首元から派手に血を噴き散らす。
イヤンが「硬化」させた手刀で背後から切り裂いたのだ。
「……そんな……心臓を……貫いたのに……」
信じられないものを見るように、極限まで見開かれた瞳が胸を真っ赤に染めた武道家を見据えた。
「『変形』で変えられるのは身体の外だけじゃない……相当危なかったけど」
彼女は咄嗟に「変形」のスキルで心臓の位置をわずかに動かした。
それは地球からの転移者が書いた医学書によって人体の構造を知り尽くしている彼女だからこそ可能な離れ業であった。
小さな夢とともに散ったトマスと大きな夢とともに倒れたパーティーを少しだけ見やって、イヤンはまた布を羽織って夕闇の中を走り出した。
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