第5話 ゴブリンに八つ当たり


 薄く立ち上る光の先に見えていたのは、確かに中庭をぐるりと囲む回廊の石造りの壁だった。


 しかし、その光に触れた瞬間、アルナルドの視界は一面の深緑色に変わる。


「……ここが魔の森か……。たかが木の密集地帯に大層な名前をつけたもんだな」


「ここは魔物の巣窟らしいですからね」


 ひとちて消えゆくだけのはずの言葉にこたえたものがいた。


 それと同時に背中の背負子しょいこが軽くなる。


 アルナルドが慌てて振り返ると、今度はさらに濃い緑色が目に映る。


 ダークグリーンの丈夫な布で、しっかりと縫製された細身の上着にズボン。


 さらに女性用であるためかズボンの上から短いスカートが装飾されていた。


 女の狩人がよくやる恰好だ。


「な、なんでお前がいるんだ…… !? 」


 驚愕するアルナルドの目の前に立っていたのはベルだった。


 黒いショートカットで、黒い瞳で、雪のような白い肌で、相変わらずの無表情で。


「……一度体験してみたかったんですよ。追放される男が全ての荷物を背負子から捨て去り、そこに恋人を座らせて連れていくってシチュエーションを。この詩集にもそんな場面が描かれてますしね」


 そう言ってベルは彼女の足元のリュックサックからボロボロの本を取り出した。


 詩の題材になるほどロマンチックな場面をトロイの木馬のような策略によって再現させた彼女はどこか満足げであった。


「……ということはひょっとして積まれてた荷物は…… ? 」


「食料を少々いただきましたが、それ以外は捨ててきました。お金はこんな魔の森で役に立つわけありませんし、あんな宮廷画家が実物よりも割り増しで美しく描いた忖度そんたくまみれの肖像画は薪に使うくらいしか利用できませんから」


「な、なんてことをしてくれたんだ !? シモーネ姫の怒りを財布の中味を気にせずに爆買いしやがって !! ああ、そうだろうさ ! その財布は俺のなんだからな ! 損をするのはお前じゃなくて俺だからな ! ……ええい、こうしちゃおれん ! 早く帰国して姫に弁明せねば…… ! 」


 そう喚いて走り出そうとするアルナルドの脇の茂みが不自然に揺れ、そこから何かが飛び出してきた。


 全裸で物陰から襲い掛かってくるという王都で行えばたちまちに警備兵を呼ばれて逮捕される犯罪的行為も、この魔の森では被害者が自ら対処するより他ない。


「うぉ !? 邪魔だ ! 『ライトフィスト』 ! 」


 ボコ。


 ボコ。


 ボコ。


 八つ当たり気味に振るわれた右拳を受けたのは、いわゆるゴブリンであった。


 アルナルドの半分ほどの身長、緑色の肌、ぎょろりと大きな濁った眼。


 三体のゴブリン達は悲鳴をあげて地面に倒れ込む。


「どうだ !? 思い知ったか !? 『ライトフィスト』の威力を ! 」


「……よくわかりましたよ。最下層の魔物を一撃で殺せないほどの威力だということがね。やはり無理にでもついてきて正解でした」


「なんだと !? 今のは手加減してやっただけだ ! お前ら、まだやるか !? 」


 アルナルドは拳を握ったまま倒れているゴブリンに向かって喚きちらす。


「マ、マイリマシタ…… ! 」


「カンベンシテクダサイ……」


「ユ、ユルシテ……」


 許しを乞う魔物達。


 それを見たアルナルドはポカンとした後、顎が外れるほど口を開けた。


「しゃ、しゃべったあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ !! 」



────



「ハハハッ ! あのアルナルドが従者にしてやられたか ! 」


 豪快に「戦士」ニールは笑った。


「それにしても……まさかあいつが女だったとは……ならば『魔人』とはいえもう少し……」


 シリは少しだけ今までの「魔人」であるベルへの態度を省みたが、最後は「所詮は魔物へと堕ちる存在だ……」と自らに納得させたようだ。


「……あれだけ共に旅をしてきて気づかないなんてね。ニールですら気づいてたのに」


 気だるげに溜息を吐いたのは「魔法使い」のジュリエッタだ。


「無口だったけど、働き者のいい子だった。……いじらしくて可愛いところもあったし」


 「武道家」のイヤンは荷物持ちポーターとしてパーティーに加わっていたベルが細身の身体にも関わらず大きな荷物をいつも背負っていたことを思い出していた。


 またある旅の途中、夜にボロボロの本を大事そうに眺めている彼女にそれを問うと、その詩集を使ってアルナルドが文字を教えてくれたことと、詩を読むと訪れたこともない場所に訪れることもできるし、体験したことがないことも体験できるのだ、と珍しく多くを話してくれたことを思い出していた。


 その時、ベルが気を緩めたのか、懐かしさに思わず微笑んだ。


 口角が上がり、彼女は慌てて口元を手で隠す。


 そしてイヤンは何故ベルがいつも無表情なのかを悟った。


 「魔人」の特徴の一つである牙が笑った彼女の口元にちらりと見えたからだ。


「それにしても教会の謁見はまだ終わらないのか ? 」


 ニールが待ちくたびれたように扉を見やる。


 今日、四人が王城の控えの間にいるのは昨日の騒動で軟禁されているベネディクタへの減刑の嘆願と面会のためだった。


 アルナルドとは違ってパーティー内で人望の厚かった彼女のためならば当然のことだったし、法を尊重するシリも減刑の嘆願は法で認められた権利であるので同意していた。


 その時、ニールが睨みつける扉の向こうから悲鳴が聞こえてきた。




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