第7話 親分の矜持



「『ライトフィスト』を試さないんですか !? 」


「バカ野郎 ! 素手でキラーベアを相手にできるか ! 」


 汗と唾をまき散らしながら、アルナルドはわめく。


 地球においても人間がヒグマやグリズリーを倒すことができるのは猟銃あってのことだ。


 そしてこの世界のおいてヒグマ以上に危険な魔物であるキラーベアを倒せるのは剣や女神の恩寵であるスキルがあってこそだった。


 いまだ効果がよくわからない「ライトフィスト」というスキルが彼の推測通りに「テイマー」系のものだとしても、それを発動させるためにはキラーベアの大型ナイフよりも鋭い爪の間合いに入って殴り合いを演じなければならない。


 よって布の肌着 1 枚だけを装備している勇者アルナルドは逃げの一手を打つ。


 アルナルドとベルは鬱蒼とした森の中を飛ぶように走る。


 しかしその後を走るゴブリン達はもともと走るのが得意ではないのか、それともそれほど体力がないのか、どんどん二人との距離が離れ、その代わりに巨大な熊型の魔物との距離が縮まっていく。


「アルナルド様 ! ゴブリン達が追いつかれそうです ! 」


「そうか…… ! 逃げるのにいい時間稼ぎになるな ! 」


 そんな勇者とは思えない卑劣なセリフを吐き終わった彼に悲痛な声が届いた。


「オヤブン…… ! 」


「タスケテ…… !! 」


「マダ……シニタクナイ…… !! 」


 魔物とは思えない哀願する声だ。


「ッ !? バカが ! 元はと言えばお前らのせいだろうが !! クソ !! バカ野郎 !! 」


 最後の「バカ野郎」は彼自身に向けた言葉だったのかもしれない。


 アルナルドは地面との摩擦で煙が立ち上るほどの急制動を行い、ものすごい勢いで反転して走り出す。


「アルナルド様 !? たかが──」


 ──魔物なんかのために──と言いかけてベルは唇を噛んだ。


 たった今彼女が言おうとしたことの、たった一文字を変えたセリフを散々アルナルドが言われて来たことを思い出したからだ。


 ──たかが魔人なんかのために──


 唇を噛みしめたまま、ベルも反転して勇者の後を追う。


 その先に巨大な黒い熊の形をした化け物に追い詰められ、大木を背にしている 3 匹の小さな化け物が見えた。


 両脚で立ち上がれば 3 メートルを超える黒い山のようなキラーベアを前にしたゴブリン達はまるで子どものように身を寄せあって震えていた。


「うおおおぉぉぉぉおおお !!!!!!!! ライトフィストオォォォォオオオオオ !! 」


 ゴン、と拳骨と頭蓋骨とが衝突した鈍い音が響く。


 黒い山が揺らいだ。


 が……それだけだった。


 怒りに燃えた瞳でアルナルドを見据え、彼の顔よりも大きな掌をうなりをあげて振るう。


「うおっ !? 」


 一瞬前までアルナルドの頭があった空間を 4 本の大型ナイフよりも分厚く、鋭い爪が空気を抉りながら通り過ぎていった。


「一発ぶち込んだだけじゃあ足りねえか !? いいぜ ! 満足するまで何発でもぶち込んでやらあ ! 」


 ヤケクソ気味に喚いたアルナルドは再びキラーベアへ飛び掛かっていく。


 どうやら彼の方が敏捷性においては勝っているようで、恐ろしい威力の前脚による攻撃を躱しては頭部に右拳を叩きこんでいく。


(……今は優位に戦いを進めているけど……人間は永遠に動き続けることはできない…… ! 集中力だって……。体力が尽きる前に「ライトフィスト」の効果が発動しなかったら……)


「オヤブン…… ! ガンバッテ…… ! 」


「マケナイデ…… ! 」


 ゴブリン達はまるで神に祈るような瞳で彼に声援を送る。


「やかましい ! 応援するくらいだったら石でも拾ってこいつにぶつけてろ !! 」


「ヒィ !! 」


「スミマセン…… !! 」


 そんないじらしい声を一喝するアルナルド。


「……そんな無茶なことを……」


 リュックからナイフを取り出して構えつつ、ベルは溜息を吐いた。


 ゴブリンと言えば道具を使う知能もなく、冒険者の経験稼ぎや小遣い稼ぎのために駆除され、魔族に兵隊として使い潰される憐れな種族だ。


「ワ、ワカリマシタ…… ! 」


「イシ……イシ…… ! 」


「コレクライノ……オオキサ…… ? 」


「ソレ……オオキスギル ! 」


 3 匹はかしましく叫びながら森に転がる石を拾い始める。


 そして投擲が始まった。


 最初はキラーベアに届かなかったり、飛び越えたり。


 その度にアルナルドの怒号が飛ぶ。


 だが、徐々に照準があってくる。


 そしてついにボコ、とゴブリンが投げた石がキラーベアの背中に命中した。


「ア……アタッタ…… ! 」


「よし ! いいぞ ! その調子だ ! 顔を狙え ! 」


「ハイ ! 」


 実際、ゴブリンの投げた石はダメージとはならなかった。


 しかし時折、熊の化け物の目に当たるそれは気を逸らすには充分だった。


 さらにその速度と狙いの正確さは徐々に上がっていく。


「そんなバカな……ゴブリンが道具を使って……しかも上達していってる…… ? 」


「ベル ! なにボーっとしてんだ !? 今の『ライトフィスト』で何発目だ !? 」


「……申し訳ありません。おめでとうございます。いまのでちょうど 100 発です」


「何がめでたいんだ !? ライトフィストオォォォォオオ !! 」


 ゴメキャ、と拳骨と頭蓋骨がぶつかる音の質が変わった。


 同じ個所に与え続けた負荷が、ついにその耐久力を上回ったのだ。


 そして黒い山は崩れた。


「よっしゃあああああ !! 見たか !! 『ライトフィスト』の威力を !! 」


「オヤブン !! 」


「スゴイ !! 」


 アルナルドの周りに駆け寄り興奮のあまり飛び跳ねる 3 匹。


「……『テイム』することはできませんでしたね……。結局ただただ右拳でキラーベアの頭蓋骨を殴り続けて陥没させただけですか……。いやすごいことですよ。正気の沙汰とは思えませんけどね。……武道家でもないのに熊の化け物と殴り合って勝つんですから…………そもそも、あなたの体力はどうなってるんですか…… ? 」


 なかなかこの出来事を消化できないのか、ベルはいつまでもブツブツと呟いていた。



────


 暗い廊下をイヤンは音も無く貴賓室の扉へと進む。


 そして中を窺うと彼女の手がある形を作る。


 アルナルドがメンバーに徹底させた潜入時のハンドサインだ。


 始めは盗賊みたいで嫌だと彼女は反発したし、今でも好まないが、こういう状況では確かに便利ではあった。


 その手の形が意味するのは「警戒は必要だが、安全」。


 つまり貴賓室の中に異変があるが、脅威となるものは存在しないようだ、ということになる。


 彼女以外の 3 名も扉の前に移動し、開いたままのそこから静かに突入する。


「……なんでこんなに暗いのよ…… ? 」


 念のために杖の先を室内に巡らせながらジュリエッタが呟いた。


「さあな……。こいつはダメだ。そっちは ? 」


「ダメだ……」


「……この子はまだ息がある ! 」


 イヤンは血でびしょびしょの絨毯から意識のないメイド服の少女を抱きかかえ、ソファーに座らせる。


「それにしても何が起こったんだ…… ? ベネディクタは ? まさか彼女が…… ? 」


 考えを纏めるためか、ブツブツと独り言ちるシリ。


「落ち着いて。何をすればいいか分からない時はまず最優先の目的を設定するの。そしてそのための手段を決めるの」


 ──アルナルドはそうしていたでしょ、とまでは言わないのがイヤンなりのシリへの気遣いだった。


「……そうだな。まず国王様の安全が第一だ。謁見の間に向かうぞ。その途中で警備兵を見つけたらすぐに厳戒態勢をとらせる」


「そう……ね。でも私はここに残る。この子を連れては行けないし、放っても行けない。あなた達なら 3 人でも大丈夫でしょ ? 」


「……わかった。回復師と警備兵をすぐに遣るからな」


 そう言い残してシリ達はイヤンを残し、駆けていく。


 そしてふと暗い室内の窓際を見た彼女は呟いた。


「……ベネディクタ ? 」


 そこには確かにさきほどまでいなかったはずの女の後ろ姿があった。



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