第3話 シモーネ姫の餞別


「……お願い ! アルナルドに会わせて ! 」


 厳重に閉められた貴賓室の重厚な扉から悲痛な声が響いた。


 謁見の間で即死魔法を発動させ、一歩間違えば王族や貴族を巻き添えに仕掛けたとはいえ「聖女」である彼女を地下牢に閉じ込めるわけにもいかないがゆえの措置であった。


 扉を護る衛兵達は当然その声を無視する。


「……それが叶わないなら……アルナルドを守って !! 」


 その言葉に衛兵達は思わず顔を見合わせた。


 ついさっき彼を殺そうとした張本人の言葉とは思えなかったからだ。


「そうしないと……私は……ひっ、ひいいいいぃいぃいぃっぃいいいいいい !! ど、どうか、お許しを…… !! 」



────



 現国王の質実な気質がそのままにじみ出たような威容の王城。


 石造りの灰色がほどんどであるその中、息をつける数少ない場所の一つはこの中庭であった。


 ふかふかの芝生の緑の中に整列する色とりどりの花々。


 天蓋のように新緑の葉を広げる広葉樹。


 ここは国王の娘シモーネの飼い猫、ペトラのお気に入りの場所。


 どういうわけか今朝は多くの人間がせわしなく行き来している中、彼女は中庭のベンチに腰掛ける人間に目を止めた。


 そして芝生の上を音もなく歩き始める。


 朝の木漏れ日が彼女の黒い毛並みを様々にまだらに照らしていく。


 不意に彼女は跳んだ。


 その数舜後、着地点である人間の顔は彼女のお腹によって塞がれることとなる。


「ぐおっ !? 息が…… ! 」


 慌ててやや太り気味の黒猫を引きはがした白い布の肌着だけの男は彼女を両手で捕らえて拷問にとりかかる。


 わしゃわしゃと上質な赤い革製の首輪の辺りをいてやると彼女は気持ちよさそうに目を細めた。


「ククク……どうだ ? さあ言え。誰の命令でこの勇者アルナルド様を襲った ? 」


 くすんだ茶色の髪のまだギリギリ青年と言っても差し支えない男は続けて尋問にとりかかる。


「ニャア ! 」


「ニャアじゃない ! 」


 猫に対してあまりに理不尽な文句を言う男。


「……ミャア ? 」


 首をかしげながらも「ニャア」から変えてきた黒猫は前脚で中庭の入り口を指し示す。


 ロの字になっている中庭の外周は回廊になっており、そこから数名の侍女を従えてシモーネ姫が入ってきたところであった。


「シモーネ様…… ! 」


 立ち上がったアルナルドを彼の後ろから見張っていた警備兵達が抑えようと前に回り込む。


「……良いのです。私はアルナルドと少し話がありますの」


 そう言って、既に亡くなっている王妃から受け継いだ少し癖のあるふわふわの金髪をそよ風に揺らしながら、彼女は微笑んだ。


 そして彼女はベンチに腰を下ろし、隣の目つきの悪い男とその腕の中でだらけきった愛猫を見やる。


(……そう言えば初めてアルナルドと出会ったのもこんな状況でしたわね)


 公爵から献上された血統書付きの子猫。


 小さな黒い毛玉であったその子は恐れ多くも王女の言うことを聞かないばかりか、彼女の部屋から脱走した。


 慌てて侍女達に探させるだけでなく、自らも捜索に出て辿り着いた中庭に、この男はいた。


 必要以上に煌びやかな本当に高貴な者は絶対に纏わないような宝石まみれの黄金色の鎧を装備した男だ。


 そんな成金を顕現した存在の手の中で、黒い毛玉は嬉しそうに鳴いていた。


 その小さな鳴き声に男は頷いたり、話しかけたり、まるで会話が成立しているようであった。


「……あなた、ひょっとして猫と話せますの ? 」


「ハハッ、まさか ! そんなわけねえ……そうではありません…… ! 」


 自然な笑顔は途中でびとへつらいとを 50 : 50 で混ぜたような笑顔へと変わった。


 話しかけてきたのが王女だと気づいたのだろう。


 そんな彼を黒猫は不思議そうに見上げた。


「そう……」


 どこか落胆したようにシモーネは肩を落とす。


「……ですが猫達は言葉を使わない代わりに身体で心を表してくれます ! 」


 その落胆をどう受け取ったのか、慌てて男はつづけた。


「そうなの ? 」


「そうです ! 私は昔飼っていたのですが、例えば尻尾の上げ方で──」


 それから猫の飼い方講座が始まり、最後に男は神妙な顔でこう言った。


「──大方おおかたはこんなところです。ですが一番大事なことがあります」


「一番大事なこと ? 」


「そうです。それはこの子に仲良くなりたい、と本気で伝えることです」


 そう言って男はいつの間にか彼の頭の上に陣取っていた黒い毛玉に手を伸ばし、それを王女の目の前に差し出す。


「わかりました…… ! お願いです。私、シモーネ・バルチェローナとお友達になってください ! 」


 大きなあおい瞳で子猫の金色の目をじっと見つめて、王女はそっと両の手を差し伸べる。


 ペロリ。


 子猫はそのたおやかな指を舐めると、ぴょんと彼女の両掌に飛び乗った。


「まあ !? すごい ! あなたの言ったとおりですわ ! 」


「そうでしょう…… ! 申し遅れました。私は新たに『勇者』を拝命したアルナルドと申します ! 」


 そう言ってアルナルドはうやうやしく一礼した。


 地球でもそうだが王家の人間というのは、ろくでもない異性にかれがちである。


 その例に漏れなかったシモーネ姫は、ときおり城中でアルナルドと逢うようになっていった。


 ある曇り空の日。


「ねえアルナルド、あなた『魔人』を従者にしているそうね。……どうして ? 」


 魔人とは魔族の人間との間に産まれたもので、幼い内は人間の外見だし、特別な能力もないが、成長していく内に恐ろしい魔物となって理性も失ってしまうと言われる存在だ。

「さて……どうしてでしょうか ? 」


 アルナルドは小さく肩をすくめてみせる。


「はぐらかさないで ! あなたは『もし魔物化すれば自分が必ず殺す』とまで言い張って無理やりそれを認めさせたそうだけど……それによってあなたが魔族と通じていると噂する人達がいるのは知っているのでしょう ? 」


「……光の女神ギムドフリア様が光を与えるのは我々人間だけではありません。全ての存在に光を与えるのがギムドフリア様です。……ならばすでに光を与えられている我々よりも……光を渇望しているものをなんとかできないかと思ったまでです……」


 ふと雲の切れ間から陽光が差し込み、彼の黄金の鎧を美しく綺羅綺羅と照らした。


 それはまるで光の女神が改めて彼に祝福を与えているかのようだった。


 時に綺麗ごとを言い、時に欲望に従って卑劣な行いを成す。


 そんな両極端が一つに纏まっているのがアルナルドという人間だった。


 たとえ卑劣漢でも、目の前で大きな穴に落ちそうになっている幼子がいれば何も考えずに思わず助けてしまうのが人間である。


 その意味で彼はとても人間らしかったのだ。



 シモーネ姫がそんなことを思い出しているとも知らずにアルナルドは必死に弁明を始めていた。


「昨日、謁見の間で現地妻がいる、と告発されたのは大きな誤解です ! 彼女達は……協力者なのです ! その国によって内情は様々であり、その中で円滑に行動するためには……」


「良いのです。アルナルド、私は少しも怒ってはいませんわ」


「え ? 」


「それよりも……追放者に与えられる背負子しょいこはあれですね ? 」


 この国の追放刑では転移魔法で僻地に追放される者に最後の慈悲として背負子が与えられ、そこに基本的なサバイバル用品が詰められている。


 また見送りに来た者達の差し入れをその背負子に詰めるだけ詰めてもいい、という決まりもあった。


 さらにこの刑は自力で王国に帰還できればその時点で刑期が終わったとみなされる、極刑に比べれば緩い刑であった。


「……今回の現地妻の件に関しては遠征ばかりでなかなか逢えない私達の関係自体にも問題があったと思いますの」


 そう言って彼女は背負子に歩みより、それに侍女達も付き従う。


「だから……離れていてもあなたが私のことを忘れないようにするにはどうしたらいいか考えたのですわ」


 背負子の前に辿り着いた王女は一呼吸おいてから、そこに積まれたアイテムを次々と芝生の上に放り投げ始めた。


 そして侍女達が両手に持っていたものを次々と空になった背負子に積んでいく。


 唖然とするアルナルドの視線の先、生き残るためのアイテムは捨てられ、背負子は大きな額縁でいっぱいになる。


「……これは私の幼い頃からの肖像画ですわ。これを毎日眺めて、私だと思って話かけて、寂しさを紛らわせてくださいね ! 」


「……怒ってますよね ? 」


「怒ってませんわ…… ! 」


 笑顔を崩さないシモーネ姫を青ざめた顔で見つめるアルナルド。


 そんな二人を黒猫のペトラが不思議そうに眺めていた。


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