第六話
結局、その夜は、シリルのおかげで眠れぬ夜を過ごした。
そうして迎えた翌朝。
――まさか本当に、今夜も来るというの?
「あれは……ロドルフ?」
踏み入れるなり、驚きに目を見開いた。
集合時刻の三十分ほど前であるため、演習場にはいまだ二人ほどしか姿を見せていない。
そのうちのひとり。背の高い男が自分の従兄弟だったのだ。
「ロドルフ、どうしてあなたがここにいるの?」
王の弟の息子――つまりリリアの従兄弟である、二十三歳のロドルフ・クラウ・ヴィステスタ。
一部の民や貴族たちが、王太子であるジョルジュを押し
ミドルネームがシリルと同じ『クラウ』なのは、ロドルフの母がクラウ家出身者――シリルの叔母であるからだ。
つまりリリアとロドルフは父方の従兄弟同士だが、ロドルフとシリルも母方の従兄弟同士になる。
「おはよう、リリア」
こちらに気づいたロドルフは、さわやかな笑みを向けてきた。
身に着けるのは、王立騎士団近衛隊の白い隊服だ。彼は二年ほど前から、近衛隊の隊長を務めている。
――あいかわらず、麗しい姿だわ。
朝陽を受けて輝く金色の髪。深い湖を思わせるような碧玉の瞳。
華やかな顔立ちに白の隊服がとてもよく似合っていて、見慣れているはずのリリアですらも、ついはっとしてしまう。
「君の様子をうかがいに来たんだ。近衛隊の集合時刻には戻らなければいけないから、こんな時間になってしまったけれどね。君のことだ、おそらく早くに来ているだろうと思って」
言いながら、ロドルフはリリアの頭をぽんと撫でてきた。
「ありがとう。でも、どうせなら仕事終わりに来てくれればよかったのに」
そのほうが話をする時間を長くとることができる。
「もちろんそうするつもりでいたさ。でも昨日、君が大立ち回りを演じたとの噂を聞いてね」
居ても立ってもいられなくなり、朝早くから訪ねてきてくれたのだという。
――あいかわらず、優しいのね。
六歳年上のロドルフは、リリアにとって兄のようなものだ。
優しく、穏やかな性分で、昔からリリアのことをよく気にかけてくれている。
ロドルフを次の王にと望む者たちがいる一方、彼自身はまったくその気はない。
「聖竜を持たない王など真の王ではない。直系でない僕が王になど、なれるわけがない」
そうはっきりと公言してくれているのだ。
「それにしても、昨日の一件は感心しないな。君の剣の腕は知っているけれど、大勢を相手にするのは危険すぎる」
「成り行きよ。そうしたくてしたのではなかったのだけれど……」
そこでロドルフの背後に立っていたもうひとりの人物が、ばつが悪そうに口を開いた。
「おはようございます、団長」
ロドルフとリリアの会話を邪魔しないよう、やや控えめに挨拶をしてきたのは、昨日、手合わせをしたエドだ。
「おはよう、エド・マテスタ。あなたもずいぶん早いのね」
声をかければ、エドはいきなりリリアの眼前で
「
「な……急にどうしたというの?」
「昨日、あなた様と剣を交えたことにより、身に染みてわかりました。――あなた様は強い。我らが竜騎士隊の隊長にまさしくふさわしい方だ、と」
「そ、そう?」
突然の展開に驚き、まともに返すことができなかった。
そう評してくれたのは嬉しいが、あまりに急変した態度に戸惑いを覚える。
ふと隣に立つロドルフに視線をやれば、彼は安堵したように微笑んでいた。
昨日の揉め事の原因が解決に向かいそうだとふんだのだろう。
「僕がここに来た時には、すでにエドがいたんだ。君に謝りたくて、君のことを早くから待っていたようだよ」
「無礼を許してくださるのなら、このエド、団長のために身を粉にして働きます」
エドはどこか切羽詰まったような顔をしていた。
「団長の剣となり盾となり、団長のために懸命に働かせていただきますので――」
「いいえ、その必要はないわ」
リリアは慌てて彼の
「あなたが剣となり盾となる必要があるのは、この王国に対して。王国の民たちを守るためにすべきよ」
するとエドは、今度は面食らったように瞬きをする。
「もちろんそれは承知しております。ただ、ぜひあなたの手駒として使ってほしいと――」
「手駒だなんて、そんな言い方よしてちょうだい。あなたも他の隊員たちも、わたくしにとっては大切な部下よ。わたくしの命を
でも、と、リリアは続けた。
「あなたの気持ちは嬉しいわ。ありがとう。その意気で民たちのために働いてちょうだいね」
と、その時、演習場に靴音が響いた。
誰かがやってきたのだろう。視線を向ければ、新たに演習場に入ってくる者の姿を見て取れる。
「シリルか」
ロドルフが「やあ」と手を挙げた。
それに対して、シリルは怪訝そうに眉をひそめる。
「おはよう、王女殿下。今日も綺麗だな」
シリルは真っ先にリリアを口説いて――いや、挨拶をしてきた。
「仕事中よ。団長と呼びなさい」
「ではそれ以外の時間は殿下と呼んでいいんだな?」
否と言ったところで、どうせ従ってはくれないのだろう。
リリアは答えの代わりに溜息を吐く。
「沈黙は了承と受け取るぞ」
そこでロドルフが苦笑しながら口を開いた。
「シリル、君はリリアしか見えていないのか?」
「今ちょうどロドルフ隊長にも挨拶をしようとしていたところですよ。――で、エド、おまえは跪いて何をしている?」
蒼玉色の
「おはようございます、シリル様。あいかわらずお早いですね」
「質問に答えろ」
「ここ二日の無礼な振る舞いを団長に謝罪していたところです」
「なるほど。で、団長は受け入れてくれたのか?」
「受け入れるも入れないもないわ。逆にわたくしのことを受け入れてもらえたようで、一安心していたところよ」
リリアはエドに立つように命じ、彼はそれに従った。
「では問題は解決されたというわけか。――ならば副隊長である俺からも、エドに苦言を」
シリルはエドの左胸にある竜騎士隊の記章に右の拳をあてた。
「いいか、あのように子供じみた嫌がらせをしたことを恥じろ。二度目はさすがに黙っていないぞ」
するとエドは、今度はシリルの前に跪き、「申し訳ありませんでした」と、深々と頭を垂れる。
「シリル、そのくらいにしてやったらどうだい? エドも反省していることだし、リリアも許したことだし」
ね? と、ロドルフはまたしてもリリアの頭をなでてきた。
それは、リリアとロドルフにしてみれば、兄が妹にするような、とくに意味のない行為。
しかしシリルはそう捉えてはくれなかったらしい。
「団長に失礼ですよ、ロドルフ隊長」
即座にロドルフの腕をつかみ、リリアの頭の上から退けさせる。
「なんだ、嫉妬かい?」
「彼女にふれないでいただきたい」
シリルはよくわからない答えを返した。
「それより、なぜあなたがここにいるんです? たしか明日まで、隣国テシレイアに滞在する予定でいたのでは?」
「え、そうなの?」
リリアもつい会話に交ざっていた。
西側の隣国テシレイアは、広大な国土と強大な武力を擁する国だ。
近年、周辺諸国に戦をしかけ、さらに国土を拡大している要注意国家だが、今のところ我が国とは良好な関係を築いている。
それには最強の武器となりえる竜の存在と、ロドルフの功績が大きい。
かつてテシレイアに留学していたロドルフは、かの国の王族と強い信頼関係を結ぶことに成功。ヴィステスタに帰国し、二年の歳月が経った今でも、年に数回ほどあちらの王宮に滞在するほどの仲なのだ。
――それもあって、ロドルフを次の王にと推す者がいるんでしょうけれど。
リリアは複雑な心境に陥る。
「で、ロドルフ隊長はいったい、いつこっちに戻ってきたんです?」
シリルの声にはっとした。
「今回は少し早めに切り上げて、一昨日には戻ってきたんだ。リリアが騎士団長に就任するとの報告を受けてね」
「なんだ。もしや例の件に何か進展があって、早帰りしたのかと」
「残念ながら、進展は何もないな」
「まだ、ですか……もう二年になるというのに、いったいいつになったら手がかりの一つも手に入るのか」
シリルとロドルフは、リリアの知り得ない話をし始める。
「まあ、そう言ってくれるな。これでも努力はしているつもりさ」
おどけるように首をすくめて、ロドルフはまたしてもリリアの頭の上にぽんと手を置いた。
「そろそろ時間だ。リリア、今度は君の部屋を訪ねるよ。もしかつての婚約者と一緒に働くのが苦痛なら、僕に言ってくれ。なんとかしてみせよう」
「だから何度、勝手にふれる気ですか」
苛立つ様子のシリルを面白がるように、ロドルフは目を細めた。
そして白い隊服の裾を
「ええと……そろそろ皆が集まる頃かしら」
リリアは仕切り直すようにぽんと手を叩いた。
「ちょっと待てくれ。ロドルフ隊長は、いつもあなたにあんなにも簡単にふれるのか?」
シリルは真剣な面持ちで問うてくる。
「だっ……だったら何だというの?」
「ただちにやめさせてくれ」
「あなたには関係のないことだわ」
「たしかに。が、面白くない」
彼はロドルフの背を睨み付けるようにしながら、両の拳を握りしめている。
「部屋を訪ねるだって? 冗談じゃない。毎夜、あなたの部屋を訪ねるのはこの俺だ」
肝に銘じておいてくれ。
捨て台詞のように言い置いて、シリルは集まりだした隊員たちの輪に向かって行った。
「って、そんなこと言われても困るのだけれど……!」
リリアはやり場のない感情を吐き出すように、顔を上向けて溜息を吐いた。
ふと瞳に映ったのは、雲一つ無い春の空。
澄み渡った青はまぶしいくらいに明るくて、思わず目を細めずにはいられなかった。
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