第三話

「シリル様……!」


 駆け込んだ竜騎士隊の詰め所にある医務室。


「殿下? そんなに急いでどうしたんだ?」

 驚くことに、シリルは平然とした顔で椅子に座っていた。


「ど、どうしたって、あなたが矢で射られたと聞いたから……!」

 いったいどこを怪我してしまったのだろう?

 立ったまま彼の身体のあちこちにふれて確かめる。


「傷の程度は!? どこを怪我したの!? もう治療は終わって――」

「とりあえず落ち着いてくれ」

 シリルはリリアの両腕をつかんできた。


 けれど落ち着くなんて無理だ。

「いったいどこを怪我したの!? 傷は!? 早く答えて!」

 リリアは責め立てるように言葉を浴びせ続ける。


「いや、俺は無傷だ」

「無傷……? 本当に? どこも痛くないのね!?」

 食い入るように彼の顔をのぞき込むと、驚くことに、シリルは口元を緩めてにやにやしていた。


「な、何をにやついているの……!?」

「いや、あんたがすごい剣幕で入ってきたから」

「だってあなたが矢で射られたと聞かされたから!」

「そんなに俺のことを心配してくれたのか」

「あたりまえでしょう!?」

「なるほど、そんなに俺のことが好きなのか」

「だからあたりまえだと――」


 そこでリリアはようやく気づいた。

 これは誘導尋問。彼に言わされている、と。


 ――ひどい人……! わたくしは真剣に心配しているのに!


 顔を赤くしながら、慌ててシリルから離れる。

 ふと我に返れば恥ずかしさや苛立ちがない交ぜになって、居ても立ってもいられないような心地に陥った。


「ほ、本当に無傷なのね!?」

「ああ」

「だったら心配する必要はないわね。わたくし、失礼させていただくわ!」


 ぴしゃりと言い放ち、きびすを返す。

 しかし一歩を踏み出すことはできずに、その場でたたらを踏む。

 なぜなら立ち上がったシリルに、背後からふわりと抱きしめられたからだ。


「なっ……なにを!」

「悪かった。あんたが全力で心配してくれるものだから、嬉しくて、つい」

 耳元で彼の吐息を感じれば、思わず身体がびくりと跳ねる。


「……心配、したのに」


 うしろから回された、シリルの長い腕。

 自分よりだいぶしっかりしたそれに、そっと手を添えた。


「本当に、心配で、どうにかなってしまいそうで……」

「ああ、本当に悪かった」


 背中にほのかな温もりを感じ、ようやく彼の無事を認識する。

 ほっと安堵の息を吐くと全身から力が抜け落ちそうになったが、どうにか押し留めた。


「……ええと、ここではそれくらいにしておいてもらおうかな」


 突然、誰かの声がリリアの鼓膜を揺らした。


「か、カイエン様……! いらしたのですね!?」


 シリルの安否を確認することに夢中で、彼の存在にまったく気がつかなかった。

 医務室の端に置かれた長椅子に座り、困ったような顔でこちらを見ているのカイエンがいた。


「ちっ……もう少しおとなしくしてくれればいいものを」

 シリルは不満げにリリアから離れる。

 と、そのうちに部屋の扉が開き、ロドルフとエドが姿を現した。


「カイエン、怪我の程度を教えてくれ」


 入って来るなりカイエンの前に立つロドルフの後ろで、リリアは眉をよせた。

「怪我? って、カイエン様、足を……!?」

 彼の左足、ふくらはぎのあたりに、白い包帯が巻かれているのを見て取れた。


「たいしたことはないんだ。竜舎の近くを歩いていたら、塀の上から突然、矢を射かけられてね。一緒にいたシリルが、剣で斬って落とすように防御してくれたんだが、一本だけ掠めてしまったんだよ」

「手当は済んでいるのですか!?」

「自分で数針縫ったよ。竜の、といえど私は医者だからね」

 カイエンはなんでもないことのように笑う。


「犯人の数は?」

 リリアは問うた。

 自分が騎士団長であることを、ようやく思い出した。

 このような事件が起こってしまったのなら、自分にはやるべきことがある。


「おそらく三人だ」

 シリルが応えた。


「射られた矢の本数は?」

「全部で十本」

「十本……竜騎士隊の竜舎周りに立つ塀には、侵入者対策が施されているのに」


 脳裏に思い浮かぶのは、竜舎周辺の景色だ。

 塀の上に設置された、とげ状の金属。それらに邪魔をされながらも、ひとり三本程度の矢を短時間のうちに放つ技術を持っているとすれば、敵はなかなか手強そうだ。


「警告だろうね、きっと」


 ロドルフの言葉に、リリアはどきりとした。

 おずおずと顔を向ければ、彼は「だから言っただろう?」と言わんばかりの表情で、こちらを見ている。


『この状況に安堵して、リリアとシリルが再び婚約をしてしまって問題ないのか』

 先ほど、晩餐ばんさん室の前でロドルフが口にした言葉が、頭の中でぐるぐると渦を巻いていた。


「心配いりませんよ」

 シリルはロドルフの胸に握った拳をあてた。


「警告? おそらくそうなのでしょう。が、兄はほぼ無事だ。警告に従うつもりはありません」

「けれどこれで終わりとういうわけにもいかないだろうね」

「次は逃しません。今度こそ捕らえます」


 そして積年の恨みをはらしてやるのだと、シリルは笑う。


 やがてロドルフは、近衛隊の自分の部下を呼びつけ、早急な犯人捜しと警備の強化を命じた。

 リリアもエドに、現場への案内を頼む。


「ここです。犯人はあの上とあそこ、その隣の三方向からカイエン様とシリル様を狙いました」

「この血痕けっこん……」


 竜舎の西側の敷石に、それほど多くはないものの、黒い染みができていた。

 負傷したカイエンのものだろう。

 それを呆然と見ながら、リリアはかつてない不安に襲われていた。

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