第二話

「ああ、リリア。ちょうど君のところに報告に行こうと思っていたんだよ。たった今、陛下から了承をいただいてね」

「え……?」


 何を? と、部屋に入るなり、リリアは首をかしげた。

 終業後、どうにかロドルフと話がしたいと彼を探し歩き、たどりついた晩餐ばんさんの間――リリアの両親である王と王妃が夕食をとる部屋でのことだ。


「ええと、いったい何の話かしら?」


 状況を把握できずにいると、部屋の端に置かれた応接セットに座っている王が、相好を崩した。


「ロドルフに聞いたぞ。まさか二人が結婚する気でいるだなんて、なぜもっと早くこの父に報告しなかったのだ」


 瞬間、頭を鉄槌てっついで殴られたかのような衝撃を受けた。


「いや、私も本当にびっくりしたよ。しかし、なかなかお似合いな二人じゃないか」


 王の横でにこにこ笑っているのは、宰相でもある王弟キリル――ロドルフの父だ。


「わたくしは賛成ですわ。クラウ家との縁組みが不可能となった今、王族内で結束を強め、ジョルジュを支援していく体制を整えるべきですもの」


 唯一、真剣な面持ちでそう話すのは、リリアの母である王妃だ。


「ロドルフを次の王にと声を上げているのは、一部の民と、クラウ家に縁のある一部の貴族だわ。けれどリリアとロドルフが結婚をすれば、そのような馬鹿げたことを考える者もいなくなるでしょう。従兄弟同士ということで今まで思いつきもしなかったけれど、これ以上ない名案だわ」

「お母さま、わたくしは……!」


 違う、と主張したかった。

 今まさに、ロドルフからの求婚を断るつもりでここに来たのだ、と。

 けれどまずはロドルフと話をすべきだと判断し、爆発しそうな感情をぐっとこらえる。


「……ロドルフ、ちょっと来てくれるかしら」

「急ぎの用かい? これから陛下と晩餐をご一緒させていただこうと――」

「いいからすぐに来て! 火急の用事よ!」


 リリアの剣幕に、皆が驚いたように目を丸くしたが、それにかまっている暇はない。


「一度、失礼いたします。結婚の話はまたあとで詳しく説明させていただきますわ」


 膝を曲げて一礼し、ロドルフの腕を引いてその場をあとにする。

 そして廊下に出るなり、怒りを解放した。


「どういうこと!? あなた、返事は急がないってわたくしに言ってくれたじゃない! なのに勝手に父さまたちに言うなんて……! しかも事実ではないことを!」


 腹立たしさが収まらず、食ってかかるようにロドルフの隊服の胸元をつかむ。

 これで、シリルとすんなり婚約することは不可能となった。


 ――まずは誤解を解くことから始めなければいけないわ。


 想像しただけでも気が重くなり、リリアは無意識のうちに顔をうつむける。


「早まった真似をしたことは、もちろん謝るよ。申し訳なかったと思う。でも」

「でも、何!?」

「これは僕なりの足掻あがきだ。君にはかわいそうなことをしているけれどね」

「え……?」


 隊服の胸元をつかんだままのリリアの手に、ロドルフの大きな手が添えられた。


「君が僕からの求婚を断るつもりでいることは、わかっている。――でも、僕もそう簡単に君をあきらめるつもりはないんだ。まずは外堀から埋めさせてもらおうと思ってね」


 彼はどこか悲しげに微笑みながら、リリアの手の甲に、自分の頬を寄せる。


「そうだな、はっきり聞かせてもらおうか。リリア……君は僕より、シリルを選ぶつもりでいるんだね?」

「ええ、そうよ」


 息つく間もなく応えた。


「だけど今、その選択をしてしまって後悔しない?」

「どういうこと?」

「彼が長らく脅され続けていたことは知っている。僕は彼に代わり、カイエンをずっと捜し続けていたからね。カイエンを竜騎士隊に迎え入れた今、シリルがようやく君に思いの丈を伝えられるようになったということも、もちろん理解しているさ」


 だけど、と、ロドルフは急に険しい表情になった。


「本当に安心してもいいんだろうか? シリルを脅していた者の素性も明らかになっていない。サワバの街でカイエンを狙った者も行方知れずのままだ」

「でも、カイエン様の身の安全は、竜騎士隊にいる限り保証されているようなものだわ」


 なにせ竜騎士隊には最上レベルの剣技や竜の操縦技術を持つ隊員たちが在籍している。それに加えて、王宮内には近衛隊の警備網も敷かれているのだ。

 今まで通りにカイエンをだしに脅したところで、シリルは従いはしないだろう。


「ねえロドルフ、シリル様を脅迫きょうはくした者が誰であるのか、あなたは本当に見当が付いていないの?」


 ふと気になり、問うてみた。


「僕の即位を望む者であることはたしかなんだけどね」

「ええ、それはわたくしにもわかるわ」

「ということは、やはり僕に縁のある者――クラウ家派の貴族であることは間違いないだろうね」


 ロドルフはうんざりしたように息を吐いた。


「リリアとシリルが結婚することになれば、クラウ家の変わらぬ繁栄は約束されるけれど、そもそもクラウ家出身者を母に持つ僕が王となれば、クラウ家だけでなくクラウ家派の貴族までもかなり力を拡大することができる。一方、アンセルム家派の貴族は力を落とすことになるだろうね」

「……父さまが昔、言っていたわ。わたくしたちが婚約する際、クラウ家派の貴族たちから反対の声があがったって」

「そうだね。当時反対していたのは、クラウ家派のマテスタ家、ソノヴィッタ家、それから――」

「ちょっと待って、マテスタ家って、エド・マテスタの家?」

「そういうことになるね」


 知らなかった。

 彼が男爵家の出自だということは聞いていたが、まさかクラウ家派だったなんて。


「だからあんなにも……」


 シリルに心酔しているのかと、あらためて納得できた。


「いくつかの家に関しては、実はかなり前から探りを入れているんだ。……が、なかなか真実にはたどりつけないな。敵も巧妙こうみょうだからね」

「それは近衛隊として、ということ?」

「いや、僕の私兵を投じてだ。カイエンを質にシリルが脅されていることがクラウ家の当主――叔父上に知れれば、即刻、調査を中止しろと騒がれるだろうからね」


 それについてはシリルもカイエンもロドルフも、同じ見解のようだった。

 

「クラウ家の当主は、出奔しゅっぽんしたカイエンのことを良く思っていない。そしてリリアとシリルの婚約が破談となった件に関しては、息子のたんなる心変わりだと思っている。が、もしカイエンが原因だと知れれば、憤慨ふんがいし、リリアとシリルを無理にでも結婚させようとしただろうな」


 その結果、カイエンの身の安全は保証されなくなる、ということだった。


「だからこそシリルは、僕を頼ってきた。そしてすべての状況を知っている僕だからこそ、不安になるんだ。今、この状況に安堵して、二人が再び婚約をしてしまって問題ないのか、と」


 そもそも犯人を捕らえることができていないのに。


「だからリリア、考え直して欲しい。君の気持ちがシリルにあることはよくわかった。が、君が優先すべき事柄はなんだ? やがて王となるジョルジュを支えることだろう? だったら危険を冒してまでシリルと婚約するより、僕と結婚したほうがいい。それがシリルとカイエンを救うことにもつながるんだ」

「でも、わたくしは……」


 リリアは隊服の胸元をぐっと握り込んだ。

 ロドルフの論も理解できる。けれどもうこれ以上、シリルへの恋をあきらめたくはなかった。

 だから立ち向かおうと思った。

 そしておそらく、シリルも同じ考えでいてくれているだろう。

 

「ごめんなさい、ロドルフ。やはりわたくしは、あの方の隣にいる未来をあきらめられないの」

「リリア……これだけ言ってもまだ理解してくれないのか」

「あなたの言うことはもっともよ。けれどまずは努力をしてみたいのよ」


 そう。カイエンを失わないように、さらには犯人が誰であるのかを暴き、捕らえることができるように。


「だからあの日の返事をさせてちょうだい。わたくしは、あなたからの求婚を謹んでお断りさせていただくわ」


 ロドルフが寄せてくれた好意は、素直に嬉しかったけれど。


「父さまたちには、わたくしから事情を話すわ。あなたとちょっとした行き違いがあったと、なんとか誤魔化して――」

「ロドルフ、このようなところで何をしているの?」


 突如、リリアたちの会話に割って入る者があった。

 この声は、もしや。

 反射的に首を巡らせれば、早足でこちらにやってくる女たちの集団がある。

 それはブルネラと彼女の娘であるヴィオラ。そしてその侍女たちだった。


 ――会いたくなかったわ。この複雑な状況で。


 リリアの胸中に、たちまち憂鬱の雲が広がっていく。


「母上、なぜここに?」

「おかしな話が耳に入ったからよ。あなたと王女殿下が――ああ、口に出すのも嫌な話だわ、まったく」

 ブルネラはこちらにちらりと一瞥いちべつをくれると、これみよがしに肩を落とす。


「まさかあなたが悪役と名高い王女と結婚するだなんて……おかしな冗談はやめてちょうだいね。あなたに見合う縁談はほかにたくさんあるもの。あなたは将来、民草の頂点に立つ人間なのだから、よく考えて行動するべきよ」

「母上、いいかげんにしてください」


 ロドルフはわずらわしげに顔を歪めた。


「僕には僕の考えがある。母上の希望を押しつけないでいただきたい」

「な、何を言うの! この母はあなたのためを思って――」

「それが迷惑だと申し上げているのです。僕は自分のことは自分で決める。もちろん結婚相手も。ですから母上は何も心配せずに、心健やかにお過ごし下さい。――さあ、行こう、リリア」

「えっ? え、ええ……」


 最愛の息子に拒絶されたブルネラは、歯ぎしりをするような表情で、こちらを睨んできた。


 ――わたくしに怒りをぶつけられても、困るのだけれど。


 複雑な気分を抱えながら、リリアはブルネラに向けて一礼する。

 そしてさっさとこの場を去ろうと、ロドルフのあとを追って歩き始めた。


 と、またしても王宮の廊下から静寂が失われる。


「――騎士団長! ロドルフ隊長も、こちらにおいででしたか!」

 叫びながら、早足でこちらにやってきたのはエドだ。

「すぐに竜騎士隊の詰め所にお戻りを……!」

 彼はずいぶんと切羽詰まったような様子だった。


「落ち着きなさい。いったい何があったというの!」

 すぐさま問いただしたリリアだったが。

「シリル副隊長と竜医のカイエン殿が、何者かに矢で射られました……!」

「…………え?」

 思わぬ返事に、数秒ほど頭の中が真っ白になる。


 ――矢で射られた、って……嘘でしょう?


 その時、心臓に鋭利な刃物を突き立てられたような衝撃を、リリアは受けていた。

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