第五章 渦巻く陰謀(それでもあなたと一緒にいたいのです)

第一話

 ――あっ……また、だわ。また見られている。


 竜騎士隊の定期演習中。

 自分にひたと向けられる視線を感じて、リリアは居心地が悪くなった。


 従騎士たち三人を相手にしての試合の最中だ。

 視線を送ってくる人物が誰かはわかっている。

 シリルだ。


「――ほら、これでわたくしの勝ちだわ。攻撃ばかりに集中していてはだめ。体勢を崩さず防御をしっかり行うことで、次の攻撃に滑らかに移れるのだから」

「承知いたしました。手合わせありがとうございます!」


 三人の従騎士たちは、頭を下げてこの場を離れていく。

 そうしている間にも。


 ――また見られている……いったいなんだというの?


 シリルの絡みつくような視線に若干の苛立ちを覚え、リリアはすたすたと早足で彼へ歩み寄った。


「シリル・クラウ副隊長。相手がいないのなら、わたくしと手合わせしましょう」


 腕を組み、演習場の真ん中で立っているシリルに、剣先を向けた。


「俺が? あんたと?」

「そうよ」

「やめておく。俺が負けることは明白だからな」

「嘘!」


 彼の剣の技術は、リリアが知る中で最上である。


「あなたのほうが数段、強いはずよ。わたくしに負けるなんて、つまらない冗談はやめてちょうだい」

「それでも、だ。俺はあんた相手に本気は出せない」

「なぜ?」

「それを聞くのか? わかっているだろう?」


 蒼玉の瞳で射貫くように見つめられれば、もう何も言えなくなった。


「それは……」

「わからないなら教える必要があるな。なぜ、と聞かれれば、俺があんたに惚れているから本気は出せないと答えるしか――」

「わかった! わかったわ……! それでもいいから手合わせしましょう!」


 今の会話を周囲の隊員たちに聞かれたら問題だ。

 リリアは心臓をばくばくさせながら、きょろきょろとあたりを見回す。


「しかも戦っている時のあんたは、凛としていて、ことのほか綺麗だ。それに見惚れている間にあんたにやられるのがおち――」

「だからわかったから……! お願い、一度、黙ってちょうだい!」


 最近のシリルは、常にこうだ。

 兄のカイエンを自らの管理下に置いたことによって安心しているのか、リリアへ対する想いを隠そうとしない。

 公私を使い分けることなく、常に直球を投げてくるのだ。


「と、とにかく手合わせを……」

「しかたないな、少しだぞ」


 シリルは面倒くさそうに腰に下げている剣を手に握った。


「リリア・アンセルム・ヴィステスタ、まいります」

「――シリル・クラウ。行くぞ」


 向かい合った二人は、さやに収めたままの剣先を挨拶代わりに合わせた。

 直後、シリルの素早い突き。間一髪のところでそれを交わし、彼の胴を払うように剣を出す。


 ――相変わらず早くて正確だわ……。けれどこれでも手加減してくれている。


 必死で剣を振り続けるリリアに対し、シリルは呼吸一つ乱れていない。

 地力の差は歴然だった。


「もういいだろう? 終わりにするぞ」


 足を止め、剣を合わせての押し合いとなった途端、彼はあからさまに力を抜いた。


「あんたに間違っても傷をつけるわけにはいかないからな」

「まだよ。だってこうでもしなければ……」

「なんだ」

「また変な目でわたくしのことを見るでしょう?」

「変?」


 つい本音を口にすれば、シリルが眉間にしわを作った。


「変とはずいぶんな言われようだな。俺はあんたに不満があるだけだ」

「わたくしに?」


 不満とはこれまた予想外な返答である。


「何かあるのならはっきり言ってほしいわ」

「ならば言わせてもらおう。――あんた、いったいいつになったらロドルフ隊長と話をするつもりだ?」

「あ……」


 その件か、と認識すれば、途端にばつが悪くなった。

「それは……」

 リリアはシリルと剣を合わせたまま、数歩、後ずさる。


「サワバの街で俺があんたに求婚してから、もう半月が経った」

「も、もちろんわかっているわ」

「あんたは、俺に待ってくれと言った。先に求婚されているロドルフ隊長に返事をするから、と。そしてその願いどおり、俺はあんたに指一本触れずにおとなしく待った。――が、そろそろ限界だ」


 シリルはリリアの耳元に唇を寄せてくる。


「早くあんたを俺のものにしたい」

「お、俺のものって……」

「もちろんあんたの意向を尊重した上で、だ。だから早くあんたからの答えを聞きたいと願っている」

「それは……もちろんわたくしも早く伝えたいとは思っているけれど……」

「ならばなぜロドルフ隊長に返事をしてくれない」

「だって、ロドルフが忙しくて、なかなか時間がとれないと言うんだもの」


 そう。近衛隊の隊長である彼は、今時期、何かと忙しくしている。

 結局、サワバの街で取り逃がした犯人たちの行方も知れぬまま。それらの事後処理も彼が請け負うこととなった。


「話をしたくても、なかなか機会が得られないのよ。休暇がとれた時には、相変わらずテシレイアに行っているみたいだし……」

 そうしている間に、半月が経ってしまったというわけだ。


「テシレイアに? 最近、頻繁ひんぱんだな。陛下が命じているのか?」

「尊敬する師に会いに行っているらしいわ。政治や経済のことを学んでいるみたい」

「なるほど、ロドルフ隊長らしい。あの方はもとより文官向きの性質だからな」


 そこでシリルが、ふいに剣をひいた。


「事情はわかった。……が、ロドルフ隊長との件、早く決着をつけてほしいとの俺の願いは変わらない」

「ええ、それはもちろんわかっているわ」

「あんたにとっては、どうでもいいことなのかもしれないが……」


 ふと気づけば真摯しんしな眼差しがこちらに向けられている。


「俺は不安になるよ。こうしている間にもあんたの気持ちが変わるんじゃないか、とか、やはりロドルフ隊長を選ぶつもりでいるんじゃないか、とか」

「そんな……」

「もともとあんたの気持ちをはっきり聞いたわけでもないしな」


 彼は剣を片手に、きびすを返す。

 その背中がどことなく落ち込んでいるようにも感じられて、リリアは焦った。


 ――わたくしだって、一日も早くシリル様の隣に立ちたいわ。


 一度はシリル側から破棄された婚約。

 それでもシリルがあらためてリリアの降嫁こうかを願えば、王は二つ返事でそれを受け入れるだろう。


 なぜならその結婚が成立すれば、アンセルム家に加えて、クラウ家までもジョルジュ側に付くことになる。

 そうなればロドルフの即位を推す者たち――とくにクラウ家出身のブルネラだとて、楯突くことなど出来なくなるからだ。


「あの、シリル様――いえ、シリル副隊長」

 周囲の目を気にして、呼び変えた。


「ロドルフにはすぐにでも話を聞いてもらえるよう努力するわ。だから――」

 待っていて、と、声になりかけた言葉は喉の奥でかき消える。


「騎士団長、ラヴェリタの検診が終わりましたよ」

 演習場にやってきたカイエンに、声をかけられたからだ。


「とくに異常は見当たりませんでした。健康状態は良好。翼にもまったく問題なし。飛行時間もちょうどいいようだ」

「あ、ありがとうございます」


 リリアは上の空で返事をする。


 半月前のあの日をきっかけに、カイエンはサワバの街から王都へと移住し、竜騎士隊付きの竜医りゅういとなった。

 それは彼なりの、シリルに対する罪滅ぼしなのだろう。

 勝手をした自分の犠牲となってしまった弟が、二度とそうなることのないよう、シリルと同じ職場で医術をふるうことを選んだのだ。


 生活の場も、もちろん一緒――竜騎士隊専用宿舎の一室に収まった。

 これでカイエンをだしに脅されることは無くなるだろう。


「今日はあと二匹ほど診る予定だが、さて、どの順にしましょうか」

「ええと、そうね……昨日、哨戒しょうかい飛行をした竜からにしてもらおうかしら」

「では一度、確認のために竜舎にきていただいても?」

「ええ、今すぐに――あっ……シリル様……!」


 カイエンの登場に一度は足を止めたシリルだが、ふと気づくとリリアに背を向けて歩き出していた。


 待って、と呼び止めたいが、そうもできない。

 曖昧な言葉よりも、今はわかりやすい結果だ。

 彼の求めているものは、これ以上ないくらい、はっきりしているのだから。


 本日の仕事が終わり次第、もう一度、ロドルフのもとへ行ってみよう。

 そう決意し、リリアは両の拳をきつく握りしめた。

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