第四話

「犯人たちの行方はいまだ知れない――が、サワバの街でカイエンと君を襲った者と同一、あるいはその者の仲間だということははっきりしたよ」


 翌日、勤務を終えたリリアが竜舎へ向かって歩いていると、ふとロドルフに呼び止められた。

 どうやらサワバの街で使用された矢と、昨日、竜舎近くで使用された矢がほぼ同一のものだと認定されたらしい。


やじりの形、それから羽根の造りが一緒でね。様々な種類が市中に出回っている中、偶然同じものを用いたとは考えにくい」

「ではやはり……」

「かつてシリルを脅していた者の仕業、と考えるのが妥当だろうね」


 ロドルフは困ったように微笑みながら、部下と共に去っていった。

 

 ――どうすべきかしら……。


 頭を悩ませながら、けれどすでに結論は出ていた。


 シリルと想いを通わせることは、犯人を捕まえるまで控えたほうがいい。

 たとえ互いの願い通りに婚約関係を再構築できたとて、誰かの身の安全が脅かされる事件が起きてしまっては後悔することになる。


 ――きっとシリル様も同意してくれるわ。


 そうしてたどりついた竜舎――ラヴェリタの部屋には、驚くことにシリルがいた。


「どうしてここに……?」

 戸惑いながら問えば、ラヴェリタが気だるげに応えた。

「そなたに用があるようじゃ。まったく、とんだ迷惑じゃの。わらわの部屋を逢い引きの場に使おうとするとは」

「あ、逢い引きって……貴女はは少し黙っていてちょうだい」


 ラヴェリタの鼻先をひと撫でし、シリルへと歩み寄る。


 ――お、怒っている……?


 腕を組み、竜舎の柱に寄りかかった彼の顔は、珍しく険しかった。

 リリアが近寄っていっても、ちらりと視線をよこすだけ。

 そのうちにこれみよがしな溜息を吐く。


「ど、どうかしたの?」

「どうかしたのか、だと? わからないのか?」

「え……?」


 これはリリアに対する怒りだ。

 なんだろう、何かしてしまっただろうか。

 思考を全力回転するが、思い当たる節がない。


「噂を聞いた。あんたとロドルフ隊長が結婚する、というものだ」

「あ……!」


 全身の血が凍り付くかのような感覚に襲われた。

 そうだ。その件を放置したまま、いまだ父であるヴィステスタ王に訂正をしていなかったのだ。


「時期は半年後だとか。陛下はたいそうお喜びのようだな」

「半年後!?」


 そんな話は初めて聞いた。


「どういうことか説明してもらおうか」

「それは……」


 リリアは事の顛末てんまつを、そのままシリルに話して聞かせることにした。

 下手に隠そうとして、誤解が深まっても困る。

 もちろんロドルフに、『今、この状況に安堵して、リリアとシリルが再び婚約をしてしまって問題ないのか』と言われたことも、正直に明かす。


「わたくしはロドルフと結婚するつもりはないわ。もちろんただちに父上に訂正を入れるつもりよ。ただあなたとのことは……」


 柱に寄りかかったままのシリルが、ちらりとこちらに視線をくれる。


「あなたとのことは、犯人が捕まってからのほうがいいと思うの。もしまたカイエン様が狙われたりなんてしたら――えっ……」


 途中でかき消えた声。

 気づけばシリルに腰を抱き寄せられ、息つく間もなくキスをされていた。


「なっ……シリル様、ちょっと待って……」


 じたばた暴れて、彼との間に少しだけ距離ができる。

 顔を上げれば、目の前にあるのは蒼玉の双眸そうぼう

 そしてまたしても奪うような、強引な口づけをされた。


「待って、わたくしの話を聞いて……! だってそうでもしないと……あっ」


 キスは何度も繰り返される。

 抵抗しようと試みても、無駄。あごや後頭部に手を添えられ、すっかり自由を奪われてしまった。


「シリル、さま……」


 いつしかリリアの頭の中は、真っ白になっていた。

 唇に与えられる熱に、思考能力が溶かされ、失われていく。

 そのような中でも確信できるのは、シリルが相当に怒っているということだ。

 ようやくキスが終わったかと思うと、彼は冷めたような眼差しでリリアを見下ろしてきた。


「……俺とのことは犯人が捕まってから、だと? あんたはいったいどれだけ俺をらせば気が済むんだ」

「焦らすだなんて、そんなつもりはないわ!」

 リリアは必死に食い下がった。


「わたくしはただ、心配なの」

「とにかく、これ以上、俺を怒らせないでくれ。ロドルフ隊長とあんたの噂を聞いただけでもどうにかなってしまいそうだというのに」

「それは……本当に申し訳ないと思っているけれど」


 両手をシリルの胸に置き、顔をうつむける。


「わたくしの怠慢たいまんだわ。このあと、きちんと父上に話をして、もちろん誤解を解いてくる。……けれど、あなたとのことは、もう少し待っていてほしいの」

「却下だ」

「でも……! もしまた犯人たちが何かを仕掛けてきたら?」

「心配するな。今度こそ捕らえてみせる」

「捕らえられなかったら……? いえ、たとえ捕らえられたとして、もしカイエン様やあなたに何事かあったら……」


 想像した刹那、背筋に冷たいものが走った。

 そして思い出す。

 昨日、シリルが矢に射られたと報告を受けた時のことを。


「生きた心地が、しなかったの……あなたが怪我をしたと聞いて、こわくて、こわくて、どうにかなってしまいそうで……」


 気づけば全身からすっと血の気が引き、手はがくがくと震え始めていた。

 おそらく顔色は蒼白。胸が締め付けられるように苦しくなって、呼吸が速くなる。


「もしあなたに何事かあったら、わたくしは……!」

「落ち着け、俺は無事だったろうが」

「それだって、ただ幸運なだけだったかもしれないじゃない!」

「殿下、なぜ泣いて……?」


 気づけば頬に落ちる涙があった。

「あ……」

 いやだ。泣きたくなどない。

 涙を武器に自分の主張を認めてもらっても、ちっとも嬉しくない。


 だから止まってほしいのに、それははらはらと落ち続ける。

 昨日、感じた不安やおそれがない交ぜになって、リリアの胸の内を支配するのだ。


「泣くな……頼むから、泣かないでくれ」


 いきなり涙をこぼし始めたリリアを、どう扱っていいのかわからないのだろう。シリルは焦ったような手つきでふたたびリリアを抱き寄せてきた。

 けれどそう簡単に泣き止むことなどできやしない

 あらためて彼の温もりを感じたことで気が緩み、リリアはさらに頬を濡らしてしまう。


「だって昨日、あなたが矢で射られたって……エドが、そう言いながら駆け込んできたから……!」

「わかった、わかったからもう喋らなくていい」

「昨日は大丈夫だったけれど、もしまた同じようなことが起きてしまったら……!」

「殿下……!」


 リリアの腰や背に回された彼の手に、力がこめられた。


「くそっ……わかった、わかったさ。あんたの提案を了承する。犯人が捕まるまでは、俺たちのことをおおやけにしなくていい! 隊員たちの前でも、ただの元婚約者同士であり、上司と部下という関係を演じる!」

「本当!?」


 反射的に顔を上げれば、うんざりしたように眉をひそめるシリルがいた。


「だから泣き止んでくれ。頼むから!」

「シリル様……」

「しかたないだろう。俺はあんたに心底惚れてるからな。結局、あんたの願いを断ることなどできやしないんだ」


 その代わり、と、シリルはリリアの濡れる目元にキスをする。


「条件がふたつある。ひとつはロドルフ隊長とのことを陛下にしっかり説明し、誤解を解くこと。そしてもうひとつは二人きりの時のみ、俺の恋人であること。以上だ」

「二人きり……就業時間以外、と限定してくれるのなら」

「いいだろう。そのかわり、恋人となったあんたに手加減はしないぞ?」

 

 シリルはリリアを抱き寄せたまま、リリアの前髪を掻き上げてきた。

 そして額へ、まぶたへ、頬へ、耳元へと、キスの雨を降らせてくる。


「ちょ、ちょっと待って……」

「手加減はしないと言った」

「でもわたくし、父さまの誤解を解きに行かなければ……」


 次から次へと繰り出される彼からの攻撃に、流されてしまいそうで、こわい。

 絶え間なく与えられる甘やかな刺激に溺れ、まるで自分が自分でなくなってしまいそうだ。


「とにかく父さまのところに行ってくるわ。でなければロドルフとの噂も消えないままだもの」


 おそるおそる彼から離れれば、頭の上で小さな舌打ちが聞こえた。


「しかたない。今日はこれくらいにしておこう」


 そっと離れていくシリル。

 彼は今、どのような顔をしているのだろう?

 ふと気になって顔を上げれば、目が合った刹那、蒼玉の双眸が細められた。

 その優しさが愛おしくて、離れるのが切なくて、リリアは無意識のうちに彼にしがみつく。


「行ってまいります。必ず誤解を解いてくるわ」


 シリルとラヴェリタに別れを告げ、リリアはひとり、王宮の中へと向かった。

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