第三話

「さて、種明かしがまだ終わっていない。まずは続きを話そうか」


 ロドルフは椅子の肘掛けに片肘を置き、頬杖をついた。

 天井からつり下げられた燭台しょくだいの火が、風もないのに時折揺らめく。

 リリアはとりあえず落ち着こうと、ベッドの端に腰をかけた。


「君が騎士団長に任命された時は、さすがに驚いたよ。まさしく計画外。母は取り乱し、エドに君を竜騎士隊から追い出すよう命じた。君とシリルが接触し、ふたたび婚約関係になることを警戒してね」

「だからエドは……」


 就任当初、あんなにもリリアを拒絶していたのかと、合点がいった。


「だが僕は、母の命令を無視し、エドに君の下に付くよう命じた」

「なぜ?」

「君とシリルは、きっとどのような状況下だって惹かれ合う。ならば二人に一番近い場所で状況を把握し、僕に報告してほしかったんだ」

「だからエドは、あの日――わたくしと戦った翌日、わたくしに謝ってきたのね? わたくしの手駒にしてくれ、などとへりくだる形で」


 思い返してみればあの日は、ロドルフとエドが演習場で待っていた。

 ただの偶然だと思っていたが、そうではなかったということだ。


「僕はね、リリア、君とシリルがどう動くのか、しばらく静観しようと思っていたんだよ。でも」

「――わたくしが偶々たまたま、カイエン様と出会ってしまった。……それが引き金になったのね?」

「カイエンの存在がシリルの管理下に置かれれば、シリルに課したかせが外れてしまう。母にとっては最悪の事態だったろうね」


 定期的にカイエンを監視していたマテスタ家の間者スパイ

 しかしカイエンが東国からこの国に戻る際、彼の行方を見失ってしまったらしい。

 必死に捜していたところに、東国帰りの竜医りゅういをサワバで見つけた、とリリアからの報告が上がってきた。

 そのため慌ててカイエンの家を探し当て、その身を拘束しようとしたのだとか。


 ――まさに間一髪だった、というわけね。


 あの日、偶然にも間に合ってよかったと、リリアはほっと安堵の息を吐く。


「サワバの街で捕らえられたのは、マテスタ家が用意した人員たちだ。そして彼等を牢から逃したのは、エド」

「ええ、そうなのでしょうね」

「母が恐れていたとおり、カイエンは竜騎士隊に入隊し、シリルの管理下に置かれることとなった。手詰まりになった母はエドに命じ、カイエンとシリルを襲わせた。リリアとの結婚を望むなら、カイエンを殺す――君とシリルの意識にあらためてそう植え付け、二人を思い留まらせるために」

「それで、あなたは?」


 リリアはロドルフの蒼い瞳をじっとめ付けた。


「今の種明かしは、ブルネラ様のくわだてに対してのものでしょう? わたくしがカイエン様を見つけたことにより、あなたはもう静観できなくなってしまったと言ったけれど、あなたはいったいどう考えて、何をしたというの?」


 ロドルフは意味ありげに微笑む。


「君が騎士団長の職に就くまで、僕は考えあぐねていたんだ。留学することにより、テシレイアの素晴らしさを目の当たりにした。この国をテシレイアの傘下に収めれば、きっと飛躍的に発展する、そう思った。けれどいくら母が策を講じたとて、僕が王位にくことは不可能だ。そしてこの国には竜をようする騎士団がある」

「つまり、王となってこの国をテシレイアに明け渡すこともできず、戦をすれば、竜の加護がある我が国が勝つかもしれない、ということ?」

「勝つという結果はありえない。――が、戦は長期に及び、双方かなりの痛手を負うだろうね」


 それだけは避けたかった、と、ロドルフはひとりごとのように言った。


「で、考えあぐねていたところに、君が騎士団長に就任した。――これだ、と思ったよ。君と結婚したのちに、君に僕の思想を明かし、やがては僕の考えに賛同してもらおう、と」


 それが求婚の狙いだったのかと、リリアは複雑な心境に陥る。


「どれくらいの時間を要するかはわからない。けれど君はきっと、その実力で騎士団を完全に掌握しょうあくするだろう。やがて隊員たちは、君の意志に従い動くようになる」

「ずいぶんとわたくしを評価してくれているのね」

「騎士団で何よりも重んじられるのは力だ。そして君は、それ以外にも人の上に立つ資質を持っている」


 ロドルフは静かに立ち上がった。


「騎士団長である君が僕の考えに賛同し、団員たちを動かしてくれれば、この国を無血開城することができる。戦にならなければ、陛下やジョルジュだって命を落とすこともない。無駄な血を流さず、大国テシレイアの一部となれるんだ」


 彼は両手を広げて、熱弁をふるう。

 珍しく興奮したような表情で、一歩、また一歩と、距離を詰めてくる。


「君と結婚したのちには、長い時間をかけて説得しようと思っていた。あるいはテシレイアに連れて行って、その魅力にじかにふれてもらってもいい。夫婦となれば共有できる時間はたくさんあるからね。――なのに」

「わたくしが求婚を断ったから、次の手段に出たというわけね?」


 リリアはロドルフから逃げるようにあとずさった。

 けれど部屋の中だ。

 すぐに背中が壁に行き当たる。


「エドに頼んでおいたんだ。君がおかしな行動に出たら――陛下にシリルとのふたたびの婚約を願いに行くことがあれば、すぐさま僕に知らせてくれ、と」


 そしてリリアは、まんまと策にはまってしまい、ここに連れて来られたというわけだ。


 けれど。


 ――なぜここに連れてくる必要があったのかしら?


 無意識のうちに眉をひそめれば、リリアの疑問を察知したであろうロドルフがすぐに応えた。


「シリルから君を離したくてね」

 彼は苦笑する。


「シリルは聡明な男だ。とくに君のことになると、ものすごい嗅覚きゅうかくを発揮する。満足に話もできないまま、君の居場所を探し当てられては困る。だからエドにここまで送らせたんだ。そして竜騎士隊の竜をすべて空に放つよう命じた」

「竜たちを……!? あなた、なんてことを……!」

「ただの時間稼ぎだよ。これでシリルはどうしたってここにたどり着くことはできなくなる。僕は安心して君と向かい合うことができるというわけだ」

「…………!」


 リリアは絶句した。

 そしてさらなる不安に襲われた。

 竜騎士隊所属の竜を許可無く空に放つとは、とんでもない凶行。

 いくら王族の一員であるロドルフとて、重罪を犯した責任を問われ、捕らえられるということは本人もわかっているはず。

 それなのに、事を起こした。

 ということは。


「あなた、いざとなったらここからテシレイアに逃げるつもりね……?」

「それは君次第だな」


 顔の横の壁に手を突かれれば、たちまち身動きがとれなくなった。


「いいわ、まずはあなたの要望を聞くわ。けれどその前に手の縄をといてちょうだい」


 とにかく、自身の自由を確保しよう。

 そう思ったのだが、「ごめん」と、まったく気持ちのこもっていない謝罪をされた。


「それはできかねるな。君は僕より強いから、念のためにね」

「べつにあなたのことを殴ったりなんてしないわ。剣も取り上げられてしまったようだし、かまわないでしょう?」


 しかしロドルフは、無言のまま首を横に振る。


「リリア、君に求めることはひとつだ。僕の思想に賛同してほしい。その証として、僕の妻となってほしい」

「それこそできかねるわね」

 リリアは即答した。


「わたくしはヴィステスタをテシレイアにする気はないし、あなたとではなくシリル様と結婚するわ」


 そう。ロドルフのかたよった理論に寄り添うつもりはないし、彼と結婚し、人質のような立場になる気もない。


「ロドルフ、あなたはこの国のことよりも自分の身を案じたほうがいいわね。わたくしは王城に戻り次第、あなたの裏切りを父さまに報告し、必ず捕らえてもらうわ。たとえあなたがテシレイアに逃げたとしても。……けれど、そうね、あなたがもしも今、考えをあらためてジョルジュの下、民たちのために尽くすというのなら、今回のことは不問にするわ」


 お願いだから、わかった、と言って。

 一緒に王城に戻ろう、と、いつものように笑って。

 リリアはまたしても祈るように両手を組み合わせる。


 しかしロドルフは、考える間もなく首を横に振った。


「それもできかねるな」


 何がそうさせるのか、彼の信念はちょっとやそっとのことでは揺るがないようだった。


「僕の願いは叶えてもらえない、か」

「わたくしの願いも、よ」

「ならば僕は今すぐテシレイアへと向かい、兵をヴィステスタに向けるよう進言しよう。攻め時は今だ、と」

「…………っ!」


 リリアはまたしても言葉を失った。


「テシレイアは今、主立った戦を抱えていない。持てる武力のすべてがたくわえられている。ものの数日で開戦の運びとなるだろうな」

「そのようなことは許さないわ!」

「ならばリリア、選ぶんだ。僕に賛同し、血を流さずにテシレイアに吸収されるか。あるいは僕を拒み、おびただしい血を流した末にテシレイアに吸収されるか。……まあ、僕が今すぐテシレイアに向かうとすれば、それはもちろん君も連れて行くけれどね」

「そんな……!」


 つまりどちらにしろ、リリアに自由はないということだ。

 ロドルフはなんとしてでもリリアに前者を選ばせようとしている。


「……いいえ、三つ目の選択肢があるわ」


 その時、動揺や怒りがすっと消え、不思議と心が落ち着いた。

 もう話し合いではどうにもならないと、覚悟が決まったからかもしれない。


「わたくしは今ここで、あなたと戦ってあなたを捕らえる。そして王城に帰還し、いつかテシレイアが攻めてくるかもしれない時のために、騎士団をより強くするわ」


 ――絶対に、ロドルフの思うようにはさせない。騎士団長として王女として、この国の未来を――わたくしの未来を守ってみせる……!


「リリア・アンセルム・ヴィステスタ――まいります!」


 リリアは拘束された両手で、ロドルフの胸元を突き飛ばすように押した。

 そして思考を戦闘態勢に移行したのだ。

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